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カテゴリ:師弟関係のエントリー一覧

  • 215.指南・考~導く方向・見つける方法~

    師匠のもとに入門してまもない、まだ芸名すらもらっていない頃だった。師匠の鞄を持って新幹線の新大阪駅まで同行することになった。駅につくと、二番弟子の桂蝶太兄(昭和63年没、享年36)が待っていた。師匠とはそこで別れたのだが、そのあと兄弟子と二人で喫茶店に入った。今思えば、師匠がわざわざ兄弟子を呼び寄せたのであろう。蝶太兄は芸界のしきたりについて色々教えてくれた。挨拶の仕方に始まって、誰を「師匠」と呼び、...

  • 214.「笑われる」ぼくが、「笑わせる」喜びに目覚めた瞬間~二代目春蝶とWヤング・平川幸雄師匠との共通点とは?~

    小学校時代のぼくはとかく劣等感の塊だった。寝小便たれは治らず、勉強もスポーツもからきしダメ。授業中は窓の外をボーっと眺めていることが多かった。当然、担任からもよく叱られた。ある日のホームルームのこと。終礼の挨拶をするため、その日の当番が「起立」と声を掛けた。皆は一斉に椅子から立ち上がった。しかし、ぼくはそれが聞こえているにも関わらず一人じっと椅子にすわり込んだまま。とにかくボーっとした子だった。級...

  • 213.野球嫌いなぼくが何故「虎キチ」師匠に入門を乞うたか?~アカン奴ほど愛おしい~

    ちょうどこの原稿を書いている最中、世間では連日ワールドカップの話題で持ち切りである。しかし、ぼくはこの手の話がどうも苦手だ。それはおそらく少年期のトラウマからきている。ぼくは大の運動音痴で、ことに団体球技の類となると身体中が緊張して動けなくなる。野球では大きなフライに誰もがアウトを確信した瞬間、ぼくがポトリと落としてしまうのがお決まりだった。いつもそんなふうだから、いつしか級友たちはぼくを野球やサ...

  • 206.祝・四代目春團治襲名~まるでコント?!な三代目&四代目の思い出~

    今年の2月11日、大阪道頓堀の松竹座で行われたのが、「四代目春團治襲名興行」。1033席ある会場が昼夜二回公演ともに超満員となりました。 襲名興行の目玉といえば、やはり「襲名口上」です。口上では、襲名する本人は舞台中央に正座で床に手を付き下を向いたまま、横に居並ぶ諸先輩や仲間の挨拶を黙って聞いていなければならないという決まりがあります。歌舞伎や文楽の襲名口上は厳かに行われることも多いようですが、こちとら落...

  • 204.象引物語~泣いたり笑ったり、怒ったり……とかく桂福車は忙しかった~

    桂福車、2015年花團治襲名お練りにて(撮影:相原正明)2018年2月1日没、享年56桂福車に関する逸話は快挙にいとまがない。例えば、「上方落語協会」の会長選を巡る総会の席。それまでは理事会で決められた案を協会員全員の賛同を得て決定するという選び方に異を唱え、「会長は協会員全員による投票で決めるべきだ!」と声高に訴えたのは彼だった。これにより、初の協会会長選挙で誕生したのが桂三枝(現・六代文枝)会長である。...

  • 199.春蝶兄さんが生きてはったらなぁ~四代目桂春団治とぼくの因縁~

    春之輔師匠は、ぼくにとって高校の大先輩でもあります。落語家の系図でいえば、ぼくの師匠(先代春蝶)のすぐ下の弟弟子で、ぼくの叔父貴にあたります。ぼくが入門して間もない35年前、なぜか事あるごとに春之輔師匠はうちの師匠から呼び出されては小言をくらっていました。「お前にしっかりしてもらわな困るんや!」ぼくの高校時代。舞台上の右から4人目がぼく。当時、大阪府立の豊中、箕面、桜塚の落語研究会が集まって合同の寄...

  • 196.先代桂春蝶「最後の晩餐」~刺客?となった笑福亭福笑~

    口さがない楽屋雀たちは、笑福亭福笑師を指して、「先代春蝶にとどめを刺した張本人」だと噂する。左から恩田繁昌亭支配人、笑福亭福笑、桂一蝶、桂花團治、桂梅團治、桂春雨。花團治襲名記念公演(繁昌亭)にて。2015年5月。故・二代目春蝶にとって最後の晩餐は平成4年大晦日の夜となった。リビングで宴席の片づけをしていると、「蝶六さん!救急車!!」師匠の奥さんがありったけの大声でぼくに叫んだ。師匠はトイレのなかで大量...

  • 194.叱るむつかしさ・叱られるありがたさ~落語の授業にて~

    その瞬間、ぼくは「ああ、またやってしまった」と後悔した。出講するマスコミ系の専門学校で、思わず学生の一人を怒鳴りつけてしまったのだ。事の発端はこうだ。ぼくの授業は最初に皆で大道芸の口上を口にするのが決まりで、その日もかなり大きく発声していた。とその時、他のクラスの学生の一人が焦った表情で教室に入って来た。「教室の前でドラマのロケをやっていますので静かにしてください!」。あちらも実習ならこちらも授業...

  • 189.悪事も善事も千里を走る~見てる人は見てるもんです~

    花團治の公式サイトはこちらをクリック!「若手コンテストを見ました。真剣勝負の場なのにそれを審査する立場の者が普段着のまま舞台に立つというのはいかがなものか。見ている人は見ています」今、ぼくは上方落語協会で「若手育成委員会」に所属している。若手のための深夜寄席やコンテストの運営をするのがその主な業務内容だが、先日、ぼくのもとにとある新聞記者から冒頭のようなメールが届いた。このときの審査員とはつまりぼ...

  • 188.繊細な鬼瓦~六代目松鶴師匠の思い出~

    花團治公式サイトはこちらをクリック!あんさんとこのお弟子さん、お借りしましたで。 六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。豪快なことで知られる松鶴師匠だが、誰よりも繊細な方だった。若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。 六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)よりNHK大阪放送局がまだ馬場町にあった頃のこと。落語番組の収録のため、...

  • 176.芸人はモノを食むな~師匠に学んだ酒の美学と反面教育~

    ◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック! ぼくの師匠(二代目春蝶)がまだ元気だった頃、パーティーのお供をすることが多々あった。師匠の自宅に迎えにあがると、奥さんがいつもどんぶり飯を食べさせてくれた。 「今日は立食パーティーやねんてな」「はい、そうです」「ほたら、ご飯いっぱい食べていき」 パーティーの席上、ぼくが腹を空かせないようにという奥さんの配慮だった。師匠の家族と共に(右手後ろがぼく。当時20歳頃...

  • 173.生きてはったら75歳~寝小便もお家芸のうち~

    ぼくが二代目春蝶の家に住み込みをしていた頃。師匠の長男・大助君の寝小便ぶとんを干すのが毎朝の日課でした。ぼくの年季が明け、大助が小学5年生になってもなお、彼の寝小便は続いていました。ぼくは彼に言いました。「大助、実はぼくも6年生まで寝小便が治れへんかってん。だから心配せんでも大丈夫。そのうちに絶対、治るわ」 すると、それを横で聞いていた師匠が少し強い口調で、「蝶六!(当時のぼくの名前)、お前は何をエ...

  • 172.恩送り2~先代春蝶門弟として~

    「花團治公式サイト」はここをクリック!ぼくの襲名記念の会に花束を持って駆けつけてくださった春團治師匠。このとき全くのサプライズでした。東京の落語界では、二つ目以下の落語家は、師匠が亡くなれば、必ず誰か他の真打の弟子にならなければならない、という決まりがあるそうです。でも、真打制度のない大阪では、そういう取り決めなどありません。うちの師匠(先代春蝶)が亡くなってすぐ。テレビの追悼番組には、師匠の師匠...

  • 170.嫌われもしない奴は、好かれもしない~二代目春蝶のコトバ~

    「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。生前、師匠(二代目桂春蝶)から掛けられた言葉である。二代目桂春蝶(撮影:後藤清)……つい先日、兄弟子の桂一蝶兄と、師匠の息子である三代目桂春蝶くんの三人でお茶をしていたときのこと。たまたまFacebookの話題になった。「春蝶が書いた今日のコメント、なかなかオモシロいなあ」とぼくが告げると、彼は笑みを浮かべながら「けどね、あれで友達(Facebookの中で繋がる友人)の数がゴソ...

  • 167.岡目八目、離見の見~自分ドラマを楽しむ~

    桂三度さんを取材した記事にこんな一節がありました。ボクって、哀しいことがあったとしても『俺の人生ドラマチックやなぁ』って思うようにしているんですね。で、数年前に自分の人生を振り返った時にあんまり面白くないなぁって思ってたんですけど、落語家になって『あ、自伝の内容みえた!』って(笑)。「桂三度、落語家転身の真相を明かす」より右が三度さん。左がぼく。「ジャリズム」という漫才コンビで活躍し、ピン芸人に転...

  • 164.暴力に屈しない~生きててよかった~

    「まあ、とりあえず、親に顔でも見せに帰ったり」内弟子の年季が明けた日のことだった。師匠の言うように、ぼくはまず実家に戻ることにした。3000円もあればタクシーで帰れる距離だった。それぐらいは小遣いやラジオのギャラなどで少し貯えがあったので、その日だけはちょっと贅沢することにした。親とはもう一年以上、連絡を取っていない。師匠の家に住み込みしてから休暇は年に二日ほど。その休みも実家には帰らず、中退した大学...

  • 155.春團治師匠のサプライズ~いたずら小僧の真骨頂~

                                                 桂花團治公式サイトはここをクリック!地下鉄の車内でばったりお会いすることが何度かあった。ぼくが椅子に掛けて、下を向いて本を読んでいると、「あのう……ひょっとして蝶六師匠と違いますか?」お客さんかと思い、ふと顔を上げると、そこには大きなマスク姿の春團治師匠。「あ、どうもおはようございます」と慌てるぼく。そんな時の...

  • 149.弟子の決断・師匠の覚悟(新聞コラム版)

    当時、奥様は35歳。小学1年生の男の子と幼稚園に通い出したばかりの女の子。そんな平穏な家庭にどこの骨とも分からぬ20歳の男がいきなり転がり込み、奇妙な共同生活が始まった。ヘマばかりを繰り返す男。それでも奥様は嫌な顔ひとつ見せず、行儀や礼儀作法の一から教え始めた。この「男」とは、つまりぼくのこと。師匠と一つ屋根の暮らしは緊張の連続だったが、傍にずっといられるという喜びでいっぱいだった。師匠(先代桂春蝶)...

  • 113.会社に入ったら三年間は「はい」と答えなさい

    「お前、今日からわしの弟子や」「は、はい。ありがとうございます」。入門初日はこんな会話から始まった。Photo by Masaaki Aiharaフォトブログ 写真家 相原正明先生の見た桂蝶六最初の半年間は師匠の家に通いだった。朝9時に師匠宅に伺い、一日師匠の家で過ごして帰るという日々が続いた。炊事、掃除、犬の世話、買い物・・・・・・師匠の側にいるということが何よりの修行だった。破門にされるんじゃないだろうか。ぼくはいつもそ...

  • 97.わらいばなしに涙する 追悼・桂文春くん

    「何や、それ?」と文珍師匠。繁昌亭がオープンして、この9月15日で丸7周年。いまも大勢のお客様にご来場いただき、ぼくも一落語家として大変嬉しく思っている。でも、この時期になると決まって思い出す顔がある。桂文春くんである。今から7年前、彼もまた『繁昌亭』のオープンを心待ちにしていた。こけら落としでの出演は9月24日と決まっていた。桂 文春本名:時枝 伸幸(1965年7月18日 - 2006年9月21日)は、和歌山県和...

  • 94.ヒーローの条件

    「ええか、ヒーローになるもんはやな、 最初に、挫折っちゅうもんを  必ず味わうもんやねん」今も師匠のこの言葉だけはしっかりと覚えている。当時、ぼくはラジオ大阪の『ヤングラジオ』という番組でパーソナリティーの一人として参加していた。入門してまだ半年の頃だった。野球中継がない半年間という契約だったが、それが終了したとき、ぼくは妙に虚しさを感じていた。芸人枠は、月曜日が楽珍、火曜日があやめ、水曜日がす...

  • 89.弟子の決断・師匠の覚悟

    当時、奥様は35歳。そこへ20歳の素性の分からぬ、得体も知れぬ男がいきなり生活のなかに転がり込んできた。長男は小学1年生、長女は幼稚園に通い出したばかり。それでも、奥様はとても温かく男を迎え入れ、行儀や礼儀作法の一から教え始めた。「この世界はね、晩に会っても、おはようございます」「部屋に入ったら、こっちが上手で、こっちが下手」「カミのものとシモのものを一緒にしたらダメ!」「掃除はちゃんと畳の目に添って...

  • 85.叱られて

    うちの師匠は「叱り方の上手な人」だった。師匠がぼくを叱る時、たいてい二人きりだった。そう言えば、落語のなかでも、旦那が番頭に意見をするシーン。「ああ、番頭どんか、さあさあ、こっちへ入りなはれ。 後、ピシャッと閉めてな、お座布当てなはれ。 いや、おまはんを呼びにやったのは他でもないねやが・・・」 人払いしたうえで、「二人きりで」というのが原則。丁稚や手代の見ている前で番頭を叱るようなことはしない。ぼく...

  • 76.「贈与」で送る落語界

    師弟関係のいいところっていうのは、生徒にとって「この先生の最高の面を知っているのは私だけだ」という幸福な錯覚が敬意を生み出し、学びを起動させるという点にあるんです。「オレはお前のためにこれだけの贈与をしてやる。オレに感謝しろよな」って渡すような贈り物はあんまりうまく回らないような気がする。あっちからパスが来たから、次の人にパスする、そうするとまた次のパスが来る。そういうふうに流れているんですよ。弟...

  • 60.春団治 初代・二代目法要

    ...

  • 56.ふるきゃらと先代春蝶

    山と川と田んぼと海と生きてゆくのさおれたち私たち畑耕すいとしさを作物にそえ とどけたいのさ遠くの町へと人を愛する せつなさを山の彼方に叫びたい山の空気を吸い込むと身体が緑に 染まるのさどうしてこんなに美味いのか梢をすぎゆく風にある筈もない味なのに俺の元気は蘇る日暮山から流れてくる水が甘くてキレイなら浜の昆布も 魚も貝も塩吹浜は大漁さおまえがいて おれがいて遠くの町に友だちがいる生きているのさこの町...

  • 55.破門騒動と桂雀喜くん

    いよいよ上方落語協会誌「んなあほな」27号がゴールデンウィークに合わせて発刊されます。※天満天神繁昌亭の他、大阪・千日前の波屋書房、 なんばパークス5階の&音(あんどん)、 ジュンク堂の千日前店でもお買い求めいただけます。 また、島之内寄席をはじめ、落語会会場でも販売しています。  詳しくは、上方落語協会ホームページまで。先日、安藤忠雄先生設計の協会会館にて最終の編集会議が行われました。同じく編集委員...

  • 50.繁昌亭の楽屋番のこと、師弟のこと

    ...

  • 37.昭和任侠伝

        強かったなあ、あの時の阪神は、十一連勝!  と、喜んでいたら、あと八連敗。  そこが、また阪神らしいところかねえ。  勝つ時はムチャクチャ強いけど、  肝心な時にはよう裏切られるねん。  思たら、昭和四十八年 最終戦、  巨人に勝ったら優勝やいう時に九対〇の完敗。  あの時は三日間寝込んでしもうた。あの悔しさ分かるか。  選手は替っても、ファンは死ぬまで阪神ファンやねん。  そこんとこ分か...

  • 34.師弟の親子

    ぼくの落語家人生は故二代目桂春蝶宅での住み込み生活から始まった。炊事、洗濯、掃除、犬の散歩・・・師匠の身の廻り全てが内弟子の仕事である。家にいる間は奥さんが師匠のようなもので、師匠同様に奥さんにも可愛がってもらえるよう勤めることも大事。それに奥さんをしくじると師匠に余計な気苦労を与えるだけだ。奥さんにはご飯の炊き方から庖丁の使い方、掃除の仕方、着物の畳み方、挨拶の仕方、謝り方、人の話の聴き方・頷き...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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