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カテゴリ:師弟関係のエントリー一覧

  • 280.ざこば師匠に「うっせぇわ!」~そのしつこさは、優しさの裏返し~

    うちの女房が瞼の手術をすることになった。その病院は遠方からの患者も多く、名医と評判の病院だ。女房曰く、そこには先生が二人いて、一人は寡黙な男性で、もう一人はかなりお喋りな女性。女房の瞼は寡黙な男性が担当することになったが、手術を目前にもう一人の先生が執拗なぐらい語り掛けてきたという。「今日の昼ごはんは何を食べました?」という問いかけから始まり、「パスタです」と応えると「なぜだか女性はパスタ、男性は...

  • 279.叱るよりも、叱られたい~笑福亭仁勇兄を偲んで~

    先日、スーパーで「仁勇」という日本酒を見つけた。「じんゆう」と読むが、思わず6年前に亡くなった笑福亭仁勇(にゆう)兄を思い出した。仁勇兄はぼくより四つ年上で、高校の落語研究会の先輩でもある。ぼくが落語家になるときも、真っ先に相談したのが仁勇兄だった。以来、落語家になってからも何かにつけ、兄に報告した。「弟子にしてもらいました」「初高座が決まりました」「師匠をしくじりました」どんなことでもいつも穏や...

  • 260.一見さんお断り~一期一会を100倍ステキにする方法

    「一見さんお断り」という京都花街のしきたりはあまりにも有名だ。この慣習が「敷居が高い」というイメージに繋がっているのは言うまでもないが、「おもてなし」という観点からみれば実に理にかなっている。花街で提供される「おもてなし」は顧客の好みによって内容がさまざま。お茶屋は顧客の好みを十分にわかったうえで芸舞妓さんや料理の手配をするが、そのときに全く情報のない客ではどのようなサービスをしていいのかわからず...

  • 259.最後の贈り物~笑いと、涙と、あの人と~

    今年の3月、師匠の奥さんが亡くなった。コロナ禍ということもあり、密を避け家族葬で見送ることになったが、親族や弟子の他に、奥さんとごく親しい友人二人も駆けつけておられた。このお二方の女性は芸界にも通じていて、師匠とも番組はじめ公私にわたって交流のあった方々だ。ぼく自身も若い頃、ずいぶんとお世話になった。仕事を世話してもらったり、たまにはお小言やアドバイスをもらうことも。ところが、その頃のぼくは糞生意...

  • 252.仁鶴師匠と敏江師匠~二代目春蝶生誕祭に寄せて~  

    生前、ぼくの師匠の二代目桂春蝶がぽつりと呟いた。「春輔兄さんは後世ずっと語られることになるけど、わしが死んだらすぐに忘れられるんやろな」春輔兄さんとは奇行エピソードが尽きることのない「伝説の落語家」この言葉が脳裏にずっと残っていたぼくは、師匠が亡くなって20年を越えた頃、兄弟子の桂一蝶や師匠の子息である大助こと当代春蝶に相談した。ここから師匠の誕生日である10月5日に、毎年「二代目春蝶生誕祭」を開催す...

  • 249.鶴の恩送り~弟子にしたのは俺や、辞めさすのも俺や~

    お釈迦さんは数多の弟子に多くの教えを示したが、相手やその時どきに応じて、内容を変えている。落語家の師匠も同じで、「前に言ってたことと全然違うやん!」ということが多々ある。入門した当初は師匠の台詞をしっかりなぞることを強いても、ある段階までくると全く正反対の言葉に代わることも。それに指南というものはさりげない日常会話のなかに含まれることが多く、弟子の側にもしっかりそれを受け止めるアンテナを持つことが...

  • 245.澤田隆治先生ありがとうございました。

    澤田先生が、澤田隆治先生が逝ってしまった。ぼくが「澤田隆治」という名を知ったのは高校生の頃。当時、「花王名人劇場」という番組が流行っていて毎週欠かさず見たものである。その番組タイトルの肩には「澤田隆治プロデュース」とあって、このとき「プロデュースとは何ぞや?」という興味がわき、澤田先生が「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「新婚さんいらっしゃい」などなど伝説の人気番組を手掛けた人だということを知...

  • 235.リメンバー・ミー~思うことは活きること~

    遅ればせながら、今頃になってディズニー映画「リメンバー・ミー」(2017)を観た。死者の国では「死者の日」だけ現世の家族に会いに行けるという決まりだ。日本でいうお盆のようなものである。ただし、それは自宅の祭壇に先祖の遺影が飾られた者だけに限られていて、そうでない死者は死者の国を出ることができない。ひょんなことからミゲルという少年は死者の国に迷い込んでしまい、紆余曲折の末ようやく自分の高祖父にあたるヘク...

  • 227.初高座の想い出~師匠のペップトーク~

    失敗はむしろ喜ばないかん。失敗したということはそれだけ広い道を歩くことになるんやから。誰が言ったか忘れたがそんな言葉を覚えている。ぼくもうちの師匠(先代桂春蝶)から「失敗するな」という言い方をされたことがなかった。「あれはダメ」「これはするな」と言われたことも記憶がない。その代わりよく言われたのは「常にアクションをせい!」だった。先代春蝶の写真を挟んで、左が現・春蝶、右がぼく。(撮影:相原正明)ぼ...

  • 225.揺れる~大人ブランコのススメ~

    昭和37年、ある日の夕方。駅近くの児童公園。それまで元気に走り回っていた子どもたちの姿はもうそこにはなかった。そんな公園の片隅に一人ポツンとブランコに揺られながらじっと遠くを見つめる青年がいた。それにしても誰もいない公園で大人の一人ブランコは何とも孤独である。青年はこの界隈ではちょっとした有名人で公園でのこの行動がよく目撃されていた。「落語家さんのお弟子さんらしいで」という情報も知れ渡っていた。「修...

  • 223.壁に耳あり障子に目あり、弟子の背後に師匠あり~師匠はいつだって見守ってくれていた~

    ぼくが落語家の世界へ入門した頃は携帯電話やスマートフォンなど存在せず、ポケットベル登場よりも以前のこと。師匠(先代春蝶)の鞄持ちをしていると、その立ち居振る舞いについて師匠のマネージャーからいろいろ指導を受けた。師匠が公衆電話の前に立つときはメモと筆記用具を携え、十円玉をたんまり用意してさりげなく後方に控える。あくまでさりげなくというのが基本だった。師匠が楽屋にいるときは呼ばれてすぐに走ることので...

  • 222.初めてあぐらをかいた日~師匠からのお免状~

    師匠(先代桂春蝶)のもとに入門して、まもなく10年を迎えようかという頃だった。ぼくはその日、師匠の家で晩酌のお相手をしていた。当然、師匠の前ではしっかり正座の姿勢である。とその時、師匠がおもむろに切り出した。「蝶六(ぼくの前名)はうちに来てどれぐらいになる?」「かれこれ10年近くになります」「そうか・・・足を崩したらどないや」ぼくは一瞬耳を疑った。これまで師匠の前で足など崩したことがない。躊躇していると...

  • 218.思いやりの破門~死に際に見せた師匠の流儀~

    「お前ら三人ともみんな出ていけ!わしは弟子なんかいらん」それまでにも何度か「破門」をくらっていたが、この時ばかりはこれまでとは違う何かしら重みを感じた。師匠(先代桂春蝶)の芸にはどこか哀愁みたいなものがあって、「これでもか」と押して笑いを獲りにいくのではなく、フッと零れ落ちるさりげないひと言に可笑しみがあった。いわゆる浪花の代名詞のようなコテコテとは対極で、ある評論家は師匠のそれを指して「引きの芸...

  • 216.やるかやられるか~師匠と弟子の奇妙な関係~

    若手の頃、ぼくはよく師匠の前座を務めさせてもらっていた。それも師匠とぼくと一席ずつという現場が多かった。師匠は番組のレギュラーも多く、まるでパズルのピースを埋め込むようなスケジュールで、ギリギリに現場到着ということも少なくなかった。その日もぼくは、まだ楽屋入りしていない師匠を気にしながら高座に上がった。予定では、いつも通り演じて下りたとしても、師匠は出番に何とか間に合うはずだが、どんなアクシデント...

  • 215.指南・考~導く方向・見つける方法~

    師匠のもとに入門してまもない、まだ芸名すらもらっていない頃だった。師匠の鞄を持って新幹線の新大阪駅まで同行することになった。駅につくと、二番弟子の桂蝶太兄(昭和63年没、享年36)が待っていた。師匠とはそこで別れたのだが、そのあと兄弟子と二人で喫茶店に入った。今思えば、師匠がわざわざ兄弟子を呼び寄せたのであろう。蝶太兄は芸界のしきたりについて色々教えてくれた。挨拶の仕方に始まって、誰を「師匠」と呼び、...

  • 214.「笑われる」ぼくが、「笑わせる」喜びに目覚めた瞬間~二代目春蝶とWヤング・平川幸雄師匠との共通点とは?~

    小学校時代のぼくはとかく劣等感の塊だった。寝小便たれは治らず、勉強もスポーツもからきしダメ。授業中は窓の外をボーっと眺めていることが多かった。当然、担任からもよく叱られた。ある日のホームルームのこと。終礼の挨拶をするため、その日の当番が「起立」と声を掛けた。皆は一斉に椅子から立ち上がった。しかし、ぼくはそれが聞こえているにも関わらず一人じっと椅子にすわり込んだまま。とにかくボーっとした子だった。級...

  • 213.野球嫌いなぼくが何故「虎キチ」師匠に入門を乞うたか?~アカン奴ほど愛おしい~

    ちょうどこの原稿を書いている最中、世間では連日ワールドカップの話題で持ち切りである。しかし、ぼくはこの手の話がどうも苦手だ。それはおそらく少年期のトラウマからきている。ぼくは大の運動音痴で、ことに団体球技の類となると身体中が緊張して動けなくなる。野球では大きなフライに誰もがアウトを確信した瞬間、ぼくがポトリと落としてしまうのがお決まりだった。いつもそんなふうだから、いつしか級友たちはぼくを野球やサ...

  • 206.祝・四代目春團治襲名~まるでコント?!な三代目&四代目の思い出~

    今年の2月11日、大阪道頓堀の松竹座で行われたのが、「四代目春團治襲名興行」。1033席ある会場が昼夜二回公演ともに超満員となりました。 襲名興行の目玉といえば、やはり「襲名口上」です。口上では、襲名する本人は舞台中央に正座で床に手を付き下を向いたまま、横に居並ぶ諸先輩や仲間の挨拶を黙って聞いていなければならないという決まりがあります。歌舞伎や文楽の襲名口上は厳かに行われることも多いようですが、こちとら落...

  • 204.象引物語~泣いたり笑ったり、怒ったり……とかく桂福車は忙しかった~

    桂福車、2015年花團治襲名お練りにて(撮影:相原正明)2018年2月1日没、享年56桂福車に関する逸話は快挙にいとまがない。例えば、「上方落語協会」の会長選を巡る総会の席。それまでは理事会で決められた案を協会員全員の賛同を得て決定するという選び方に異を唱え、「会長は協会員全員による投票で決めるべきだ!」と声高に訴えたのは彼だった。これにより、初の協会会長選挙で誕生したのが桂三枝(現・六代文枝)会長である。...

  • 199.春蝶兄さんが生きてはったらなぁ~四代目桂春団治とぼくの因縁~

    春之輔師匠は、ぼくにとって高校の大先輩でもあります。落語家の系図でいえば、ぼくの師匠(先代春蝶)のすぐ下の弟弟子で、ぼくの叔父貴にあたります。ぼくが入門して間もない35年前、なぜか事あるごとに春之輔師匠はうちの師匠から呼び出されては小言をくらっていました。「お前にしっかりしてもらわな困るんや!」ぼくの高校時代。舞台上の右から4人目がぼく。当時、大阪府立の豊中、箕面、桜塚の落語研究会が集まって合同の寄...

  • 196.先代桂春蝶「最後の晩餐」~刺客?となった笑福亭福笑~

    口さがない楽屋雀たちは、笑福亭福笑師を指して、「先代春蝶にとどめを刺した張本人」だと噂する。左から恩田繁昌亭支配人、笑福亭福笑、桂一蝶、桂花團治、桂梅團治、桂春雨。花團治襲名記念公演(繁昌亭)にて。2015年5月。故・二代目春蝶にとって最後の晩餐は平成4年大晦日の夜となった。リビングで宴席の片づけをしていると、「蝶六さん!救急車!!」師匠の奥さんがありったけの大声でぼくに叫んだ。師匠はトイレのなかで大量...

  • 194.叱るむつかしさ・叱られるありがたさ~落語の授業にて~

    その瞬間、ぼくは「ああ、またやってしまった」と後悔した。出講するマスコミ系の専門学校で、思わず学生の一人を怒鳴りつけてしまったのだ。事の発端はこうだ。ぼくの授業は最初に皆で大道芸の口上を口にするのが決まりで、その日もかなり大きく発声していた。とその時、他のクラスの学生の一人が焦った表情で教室に入って来た。「教室の前でドラマのロケをやっていますので静かにしてください!」。あちらも実習ならこちらも授業...

  • 189.悪事も善事も千里を走る~見てる人は見てるもんです~

    花團治の公式サイトはこちらをクリック!「若手コンテストを見ました。真剣勝負の場なのにそれを審査する立場の者が普段着のまま舞台に立つというのはいかがなものか。見ている人は見ています」今、ぼくは上方落語協会で「若手育成委員会」に所属している。若手のための深夜寄席やコンテストの運営をするのがその主な業務内容だが、先日、ぼくのもとにとある新聞記者から冒頭のようなメールが届いた。このときの審査員とはつまりぼ...

  • 188.繊細な鬼瓦~六代目松鶴師匠の思い出~

    花團治公式サイトはこちらをクリック!あんさんとこのお弟子さん、お借りしましたで。 六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。豪快なことで知られる松鶴師匠だが、誰よりも繊細な方だった。若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。 六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)よりNHK大阪放送局がまだ馬場町にあった頃のこと。落語番組の収録のため、...

  • 176.芸人はモノを食むな~師匠に学んだ酒の美学と反面教育~

    ◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック! ぼくの師匠(二代目春蝶)がまだ元気だった頃、パーティーのお供をすることが多々あった。師匠の自宅に迎えにあがると、奥さんがいつもどんぶり飯を食べさせてくれた。 「今日は立食パーティーやねんてな」「はい、そうです」「ほたら、ご飯いっぱい食べていき」 パーティーの席上、ぼくが腹を空かせないようにという奥さんの配慮だった。師匠の家族と共に(右手後ろがぼく。当時20歳頃...

  • 173.生きてはったら75歳~寝小便もお家芸のうち~

    ぼくが二代目春蝶の家に住み込みをしていた頃。師匠の長男・大助君の寝小便ぶとんを干すのが毎朝の日課でした。ぼくの年季が明け、大助が小学5年生になってもなお、彼の寝小便は続いていました。ぼくは彼に言いました。「大助、実はぼくも6年生まで寝小便が治れへんかってん。だから心配せんでも大丈夫。そのうちに絶対、治るわ」 すると、それを横で聞いていた師匠が少し強い口調で、「蝶六!(当時のぼくの名前)、お前は何をエ...

  • 172.恩送り2~先代春蝶門弟として~

    「花團治公式サイト」はここをクリック!ぼくの襲名記念の会に花束を持って駆けつけてくださった春團治師匠。このとき全くのサプライズでした。東京の落語界では、二つ目以下の落語家は、師匠が亡くなれば、必ず誰か他の真打の弟子にならなければならない、という決まりがあるそうです。でも、真打制度のない大阪では、そういう取り決めなどありません。うちの師匠(先代春蝶)が亡くなってすぐ。テレビの追悼番組には、師匠の師匠...

  • 170.嫌われもしない奴は、好かれもしない~二代目春蝶のコトバ~

    「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。生前、師匠(二代目桂春蝶)から掛けられた言葉である。二代目桂春蝶(撮影:後藤清)……つい先日、兄弟子の桂一蝶兄と、師匠の息子である三代目桂春蝶くんの三人でお茶をしていたときのこと。たまたまFacebookの話題になった。「春蝶が書いた今日のコメント、なかなかオモシロいなあ」とぼくが告げると、彼は笑みを浮かべながら「けどね、あれで友達(Facebookの中で繋がる友人)の数がゴソ...

  • 167.岡目八目、離見の見~自分ドラマを楽しむ~

    桂三度さんを取材した記事にこんな一節がありました。ボクって、哀しいことがあったとしても『俺の人生ドラマチックやなぁ』って思うようにしているんですね。で、数年前に自分の人生を振り返った時にあんまり面白くないなぁって思ってたんですけど、落語家になって『あ、自伝の内容みえた!』って(笑)。「桂三度、落語家転身の真相を明かす」より右が三度さん。左がぼく。「ジャリズム」という漫才コンビで活躍し、ピン芸人に転...

  • 164.暴力に屈しない~生きててよかった~

    「まあ、とりあえず、親に顔でも見せに帰ったり」内弟子の年季が明けた日のことだった。師匠の言うように、ぼくはまず実家に戻ることにした。3000円もあればタクシーで帰れる距離だった。それぐらいは小遣いやラジオのギャラなどで少し貯えがあったので、その日だけはちょっと贅沢することにした。親とはもう一年以上、連絡を取っていない。師匠の家に住み込みしてから休暇は年に二日ほど。その休みも実家には帰らず、中退した大学...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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