カテゴリ:蝶六改メ、三代目桂花團治襲名のエントリー一覧
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177. 15年ぶりの再開~ぼくが狂言を学んだ理由~
「花團治公式サイト」はこちらをクリック!前回、この国立演芸場の高座に上がらせていただいたのは、昨年8月の「花團治襲名」のときでした。国立演芸場での襲名披露口上(左から桂春雨、桂春之輔、ぼく、笑福亭鶴瓶、柳亭市馬・落語協会会長)撮影:相原正明ゲストとして口上にも並んで下さった笑福亭鶴瓶師匠は、舞台から客席に向かってこのようにおっしゃいました。「花團治は来年もここで演ることに決まりましたから。みなさん...
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162.桂ざこ團治襲名か?~我ら日本團治!~
「團治ちゅう名前はよろしいなぁ。春團治、小春團治、梅團治、花團治……シュッとして恰好よろしいがな。わたしも、ざこ團治にしよかしらん。……あぁ、米團治もおったな。あんなんはどうでもよろし」 昨年の4月26日、池田アゼリアホールでの襲名披露公演でのこと。日本経済新聞2015年4月27日 お客さんも「ざこば節」に大喜び。会場はひときわ大きな笑いに包まれた。「米團治もおったな」は、米團治師匠を幼少からよく知っている身内だ...
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157.恩送り~師匠のおかげです~
「恩送り」という言葉があります。「恩返し」じゃなくて、「恩送り」。襲名のおはなしを頂いてから、その準備期間も入れると、すでに二年近くになるわけですが、日々「恩送り」を感じずにはいられませんでした。落語家の諸先輩方のもとへ挨拶に伺うと、よく耳にしたのが、「春蝶兄さんには、ずいぶん世話になったんや」というお言葉。故・二代目桂春蝶(1995年1月4日没、享年51)東京の国立演芸場での御披露目。笑福亭鶴瓶...
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156.池田市・タスマニア州ローンセストン市・姉妹都市提携50周年記念~相原正明写真展~
1962年(昭和37年)といえば、ぼくの生まれた年です。当時、池田市民だった男子高校生がラジオの英会話を通じて、オーストラリア・タスマニア州の女子学生と文通を開始。それがきっかけで、1953年(昭和40年)、ローンセストン市と池田市が姉妹都市になりました。池田市・五月山動物園のウォンバットやワラビーは、実はローンセストン市からの寄贈だそうです。池田市・五月山動物園のサイトはここをクリック!ところで、ぼくの襲名...
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148.憧れの恋雅亭~花團治襲名記念公演~
神戸「もとまち寄席」はぼくにとって特に思い出ぶかい落語会のひとつ。内弟子の頃、師匠の鞄持ちとして何度も何度も通いました。また、若手の間ではなかなか出番を割ってもらえない会として通っていて、初めて番組に名前が名前が並んだときには、「ああ、これでやっと落語家の端くれとして認めてもらえた!」と祝杯を挙げたことをよく覚えています。入り口には出演者の赤提灯が並びます。そんな特別の寄席に今回はトリで出演できる...
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141.「襲名披露イン国立演芸場」後記
花團治公式サイトはここをクリック8月2日(日)東京・国立演芸場。炎天下。真夏日が続く、一年で最も暑いなかでの襲名披露公演。このたびの襲名公演は熱中症との闘いでもありました。ご足労いただいた方々には本当に暑い中ありがとうございました。遠く大阪から、奈良から、わざわざ休みをとって来られた方もおられました。ぼく自身、慣れない土地での公演ということもあり、いろいろ大変なこともございました。でも、周囲の助けも...
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140.蝶六改め、三代目桂花團治襲名披露・東京公演ゲスト
8月2日(日)18時~ 東京・国立演芸場にて 5000円花團治襲名披露チケットのお求めはここをクリック花團治公式サイトもご覧ください(クリック)笑福亭鶴瓶以前から「出たるでぇ」とはおっしゃって下さってましたが、いかんせんスケジュールが全く取れませんでした。ぼくのなかでは、東京の披露目はまず鶴瓶師匠と勝手に決めてはいたものの、半ば諦めていました。そんなある日、鶴瓶師匠からお電話をいただきました。「東京のゲス...
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139.襲名秘話~サプライズゲスト~
左から桂福團治師匠、ぼく、三代目桂春團治師匠 (撮影:相原正明)・・・・・・つい先日のことでした。大阪市住吉区民ホールにおいて開かれた「三代目春團治を囲む会」主催の「ほろ酔い寄席」。このたびは「新・花團治襲名記念」ということで、大先輩を前に、トリを務めさせていただきました。下げを言い終わって頭を下げると、そこにマイクを手に現れたのが、ひょうきん者の当代桂春蝶。彼は、ぼくの師匠の息子にあたる。写真は...
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138.襲名秘話~東京公演に向けて~
露草のつゆ、身に光るものを持たず露草のつゆは自ら光っているのではない。我々咄家は、周囲に照らされてこそキラリ輝る露草のようなもの。先代の春團治師匠の御夫人に教えてもらって以来、ぼくが色紙に好んでよく書く言葉です。ぼくの襲名披露公演はまさにこの言葉通りでした。襲名披露の皮切りとなった池田アゼリアホール。撮影:相原正明ぼくの新しい出囃子は、亡き師匠・先代春蝶が使っていたものです。「井出の山吹」兄弟子ら...
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136.襲名秘話~後ろ幕の革命~
「革命ですよね」電話の向こうで、とある新聞記者がおっしゃった。確かにこれまでの後ろ幕は、古典柄が一般的で、このようなものは、ぼくも見たことがない。ある関係者の一人は、事前にこのデザインを見て、「こういうものは何か決まりのようなものがあるのでは?」「大丈夫ですか?」とも言った。でも、ぼくはどうしても西口先生に描いてもらいたかったし、今までにないものを期待していた。前例がない方がいいに決まっている。結...
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135.襲名秘話~写真家との出会い~
「高座を撮らせてもらえませんか?」と相原先生。「是非!!……ただシャッター音が出ないようにして頂けますか?」とぼく。構造上、一眼レフにとってカシャッという音は避けられない。メカに疎いぼくはそんなことなどまるで眼中になかった。相原先生は少し困った顔をされた。それでも、「分かりました」とにこやかに応え、「近日中に連絡をしますので」とおっしゃって、その日は別れた。それからしばらく経ったある日のこと、意気揚...
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134.襲名秘話~船乗り込み3~
(前号からの続き)「くるしまたけひこ、ですかぁ?」「そう、久留島武彦!」「くるしまたけひこ」という名前は初耳だった。大和郡山の上田市長は話を続けられた。大和郡山は古事記の編纂者、語り部のルーツ「稗田阿礼」の出身地であること。「阿礼祭」を始められたのは「久留島武彦」先生であること。ぼくは市長が持参した「こをろこをろ」に酔いしれながら、「くるしまたけひこ」という文字をぐるんぐるんになりながらも手帳に残...
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133.襲名秘話~船乗り込み2~
(前号からの続き)襲名公演成功を祈願して、池田「呉服神社」にてご祈祷の模様。 撮影:相原正明心配事は山積みだった。さて、商店街でお練りをするとなると、安全面は大丈夫かとか、商店主の了解を得られるかとか、はたして道幅の狭いところを船が通れるかとか、雨の場合はどうするかとか、警察の許可が下りるかとか、人が集まってくれるのかとか、どういうルートにするかとか、船を動かす要員、食事、トラックの手配……商店会の...
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132.襲名秘話~船乗り込み1~
その日はたまたま戎橋松竹のことに話が及んだ。ぼくは時折、先代春團治夫人のもとを訪ねては昔のことを伺っている。(左から、二代目春團治夫人、ぼく、桂治門くん(襲名の三日前、撮影:藤井百々)戦後、大阪が焼野原になって寄席小屋も無くなった。芸人の活躍する場が限られていた。そこで、もともとあった映画館を改装して寄席小屋にすることが決まった。今から68年前のことである。その成功を祈願して催されたのが、この「船乗...
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131.船乗り込み~穀雨と共に~
(撮影:相原正明)それはまさに奇跡でした。天気予報では終日の「雨」。当日は雨に備えて古い黒紋付を引っ張り出しての巡行でした。さて当日。天気予報は見事に当たって、やはりあいにくの雨。でも、船がアーケードを巡行する間は土砂降りなのに、アーケードのないところではしっかりと止んでくれました。アーケード内に入った途端、またザァーという雨音。ぼくはついている。商店街ではたくさんの「おめでとう!」の言葉を頂きま...
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130.襲名挨拶まわり
襲名に際し各師匠方を順にご挨拶にまわるのがこの世界の習わし。漆の盆には、扇子、手ぬぐい、挨拶状の三点セット。黒紋付きの羽織、袴に身を包み、各師匠方、新聞社を順にご挨拶してまわります。今回、付き人を務めてくれたのが、小春團治兄の弟子、治門くん。お盆もまた、小春團治兄からの借りもんです。このたびは春團治師匠の代行として、一門筆頭の福團治師匠に同行していただきました。まず、朝一番は春團治師匠宅に集合。「...
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128.襲名披露成功祈願”船乗り込み”石橋商店街にて
蝶六改め、三代目桂花團治 襲名披露にさきがけての船乗り込み。4月20日(月)石橋商店街"赤い橋"を朝11時に出発ということになりました。商店街あげての催しとなりました。ぜひ大勢の方々にお集りいただきたく思います。船乗り込みは、大坂の夏の風物詩として江戸時代から続いている伝統行事。興行の成功祈願である。大正13年に途絶えたが、昭和54年に十七代目勘三郎丈が復活して今に至っている。ただし、今回行うのは、歌舞...
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127.落語にこだわり続けた初代、二代の花團治
先代(二代目)花團治の襲名は、昭和19年(1944)のことだった。亡くなったのが、昭和20年(1945)。二代目は、たった一年だけの花團治だった。昭和20年といえば、大阪大空襲の年である。戦後70年間、花團治の名は、ずっと空白のままだった。「花團治代々」については、芸能史研究家の前田憲司氏が、ずいぶん調べてていねいにまとめてくださっている。前田憲司とは?(ウィキペディア)それらをもとに、改めてここに書き記しておこうと思...
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125.池田駅前・栄町商店街~落語ミュージアム
「いけだ春團治まつり」も、今年で16年目を迎える。毎年、石橋商店街はイベントで賑わい、池田市民文化会館(アゼリアホール)では一門による落語会、また、そこに隣接する豊島野公園にもまた多くの出店がひしめき合う。この祭りは、初代・二代春團治とのご縁から始まった。初代は「池田の牛ほめ」「池田の猪買い」を得意とし、清荒神に居を構えていた二代目は、よくこの地を訪れ、受楽寺の御住職とも懇意にしていた。これが「春...
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118.蝶の花道~蝶六の名の由来~
ぼくが入門した頃、『小さな春の会』という落語会があった。春団治一門が集う会である。その中心メンバーがぼくの師匠、故・二代目桂春蝶。その頃、ぼくの芸名はまだなくて師匠はずいぶん決めかねているようだった。でも何となく師匠のなかでは『胡蝶』ということに決まりかけていたようだ。その当日、楽屋には師匠と春之輔師匠とぼくの三人きりだった。まず話を切り出したのは、師匠の弟弟子にあたる春之輔師匠だった。「春蝶兄さ...
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117.チンドン・あめちゃん・寄席囃子
チンドンを生んだのは飴ちゃんである。昔、大阪千日前のテキ屋さんのところに『飴勝』という若い衆。この方は飴を売る口上が実に上手い。その頃、大阪では寄席のポスターを禁止されていた。「それじゃあ」ということで、頼みの綱となったのがこの『飴勝』さんであった。『飴勝』さんは、飴売り口上の節で寄席を宣伝して廻った。すると、これがかなりの評判となり、やがてこの方は「代理宣伝業」を生業とするようになった。つまり、...