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カテゴリ:コミュニティーのエントリー一覧

  • 272.黒歴史という財産~”弱さ”は身を助ける~

    もし、ぼくが吃音じゃなかったら、きっと落語家になっていなかったし、教壇にも立っていなかった。吃音になる要因はまだ解明されていないらしいが、幼児期に大きなストレスを体験するとか、左利きを右利きに強制されたことが引き金になることがあるという。3歳の頃に実母を亡くし、もともと左利きだったぼくはその両方に当てはまる。それにぼくはひどいチックで、今も高座に上がって座布団の上でお辞儀をしながら、お客にわからな...

  • 268.パワハラマンション~壁に耳あり、近所にヒヤリ~

    最近、我が家の周りはマンションの建設ラッシュだ。古い空き家が解体されるやいなや、ひょろっと細長いワンルームマンションが建つ。背景には、二駅先への大学キャンパス誘致の決定と、2025年開催の大阪万博があるようだ。確かにここは万博会場へ通うに便利な場所なので、建設従事者やパビリオン関係者の常駐・宿泊先にもってこいだ。まだまだマンションが必要らしく、ご近所さんの元にも土地売却の話が頻繁に持ち込まれているらし...

  • 262.地雷を踏んだ「自称イクメン」~「ぼく食べる人」から半世紀…~

    その日、ぼくはいつものように洗濯物を取り込み、昼食の片づけと晩御飯の下ごしらえを終えた。それからふらりと家を出て、散歩がてらネタを繰り、喫茶店で原稿の下書きをしながら2時間ほど過ごした。自宅に戻ると4歳のムスメは「パパ―!」と笑顔で迎えてくれたが、どうもヨメの機嫌が思わしくない。これほど家事をしているのになぜ怒るのか。「私がアンタと同じ行動を取ってもいいのかしら?」。そう問われてもぼくは理解できず、...

  • 253.学校のいごこち~彼らがいたからぼくは不登校にならずにすんだ~

    ぼくが夜間高校に出講するようになってかれこれ20年以上の月日が経つ。最近になって学校の雰囲気はずいぶん変わった。いかにも指導者然としてモノを言う先生がほとんど見受けられなくなったかわりに、生徒と談笑する姿をよく見かけるようになった。ヤンチャな生徒が減っておとなしい生徒が増えたということかもしれないが、文科省の方針について調べてみて合点がいった。令和元年に文科省は「不登校児童生徒への支援は、学校に登校...

  • 248.その「正義」が笑顔を殺す~突然、殺人犯にされた男の10年間の闘い~

    かつてヨン様ブームの頃、お笑い芸人のスマイリーキクチさんはペ・ヨンジュンに似ていることからテレビにも引っ張りだこだった。芸名の名付け親はプロデューサーで作詞家の秋元康さん。いつもニコニコしていることから、「君はスマイリーキクチがいいんじゃないの」と提案された。先日、そんなキクチさんの講演会が大阪で開かれたのだが、客席にいたぼくは身が震え、涙がこぼれそうになった。これは他人事ではない。いつ自分の身に...

  • 242.良縁のススメ~今日、運命の人に出会えるかもしれないじゃない~

    コロナ禍で人と集まる機会がめっきり減ったためか、「出逢いがなくて」とぼやく声を最近よく耳にするようになった。50すぎのオッサンであるぼくには何のアドバイスもできないが、最近読んだ『ラブホ上野さんの恋愛相談』(KADOKAWA)という本の一章に我が意を得たりと思う内容があった。出逢いが少なくて困っているという女性からのお悩みに対し、相談された“上野さん”が語る。「私は男なので化粧品に興味がないが、よくデパートの...

  • 190.喜六になりたい~ロールモデルとしての落語~

    花團治公式サイトはココをクリック!撮影:相原正明落語に出会った頃のぼくは決して良き観客ではなかった。当時、通っていた高校近くのお寺で定期的に落語会が開かれていた。その最前列に席を取り、中入りになるとありったけの知識をこれ見よがしに周囲の客に無理やり聞かせて悦に入るのがぼくの楽しみだった。高校3年生の頃。左から二人目がぼく。「〇〇の落語は△△師匠の型そのままやな」「こういう笑いの取り方は邪道やな」「あ...

  • 171.落語に見る「聴き上手」~喜六の場合~

    花團治HPはここをクリック!こんなエピソードがあります。勝新太郎さんを中心に、落語家やタレントが集まって座談や歌を楽しむといった番組でした。その終わり近くになって、勝さんがこんなことをおっしゃったそうです。「きょう、ぼくは都々逸などいくつかやらせてもらったけど、ここにいるみんなは、たいていその文句を知っているものばかりだっただろう。けれども、初めて聞くような顔をして、聴き入ってくれ、拍手もしてくれた...

  • 142.生まれ故郷~負の思い出より~

    イラスト:「広報とよなか」よりぼくが生まれ育った町の広報課からエッセイの依頼。故郷について語って欲しいという。二つ返事で引き受けたものの、はたしてぼくは困ってしまった。というのは、その町にあまりいい思い出がなかったからだ。思い出すのは、苛められたことや自分のコンプレックスに関することばかり。夜尿症にチックにパニック障害。……からかわれてついカッとなったぼくはその級友の腕に噛みついたことが一度や二度で...

  • 122.風になりたい~町おこしとしての芸能~

    「僕らはさあ、結局、土にはなれないんだよね。だから、せめて風になってさ、種をさ、そこにね、落としていこうと思うんだよ」ぼくが劇団ふるさときゃらばんに客演として全国を回っていた頃。今から15年前の平成11年、ぼくが36の時だった。とある旅館のロビーで深夜、劇団員の一人がそう語った。以来、この言葉がずっとぼくの頭のなかにこびりついている。舞台パンフレット ふるさときゃらばん「男のロマン女のフマン」(1995年)...

  • 104.福井の町づくり、人おこし、こけら落とし

    1月4日は師匠の命日。以来、この日は毎年墓参りと決めている。それに今年は、福井駅前寄席『きたまえ亭』のこけら落とし。ぼくにとってこの日はこれまで以上に大きな意味を持つことになった。墓碑に書かれている『春蝶』の文字は、司馬遼太郎先生によるもの。平成5年1月4日没、享年51歳。福井駅前寄席『きたまえ亭』。毎週土曜日の開催。市民の浄財によって建てられた小屋である。「福井を元気にしたい」「落語が好きだ」「楽...

  • 96.1000人の謡い SARUGAKU祭2

    「私の稽古場でやってもいいんですけどね、 ここでお稽古していると、 お蕎麦を食べに来られた方が ちょいちょい覗きに来られる。 それから稽古人になられる方も多いんですよ」  そう言って、水田先生は悪戯っぽい笑顔を浮かべられた。JR東西線・鴫野の駅から3分ほど。ちょっと奥まったところに手打ち蕎麦のお店がある。かなり大きなお屋敷だ。手入れの行き届いた庭を眺めながら食べるお蕎麦は絶品である。ぼくが通された...

  • 95.わが町の誇り SARUGAKU祭1

    「ぼくもこの委員会に入ってから気がついたんですけど、 これらのサークルって、彼らの受け皿になってるんですよ」「受け皿?」「ええ、小学生までは子ども会とか色々あるけど中学生になると そこを卒業することになる。 クラブ活動や塾とかに忙しい子はまあいいとして、 居場所のない子たちがどれほど多いか。蝶六さん、これ分かります?」「ええ、ぼくも今まで小学生にばかり目が向いてました」 「ここに彼らの居場所がある...

  • 91.こぼれるものわらいをつかむ ”川柳と落語”考

    「脱ぐ・吐く・こぼれる」これ、まさに「落語の世界」そのものだった。     画・おおしろ晃 ……東映の『任侠路線』がもてはやされた昭和40年頃。 男はその世界に感化されてしまった。 喧嘩が強いわけでもない。どちらかといえば華奢で気弱な男。 彼は映画のなかの高倉健に魅入られたのだ。 銭湯への道すがら、男は一人の女性に呼び止められた。 「お兄さん、風呂行きのお兄さん」「へっ、あっしの事でやすかい」 二枚目...

  • 57.ふるきゃらとガチ袋

    村から村へ。人が輝けば、町が輝く。人は、みんな、輝く瞬間がある。町おこしは、人おこし。前項に続けて「ふるきゃら咄」です。全国の「ふるきゃら」応援団や実行委員会が、後に、「町おこし」の核となって活躍している例は多い。この劇団の前身は『統一劇場』という劇団でした。そこから独立する形で『ふるさときゃらばん』という劇団が生まれました。新生ふるきゃら山田洋次監督の作品で、その『統一劇場』を描いた映画がありま...

  • 42.妄想福井

    落語を通して街づくりを考えよう。福井・片町の料亭「寿ずや」は、市民や学生ら約30人が集まった。人と人との交わりが、活気を生み出す原動力になる。落語世界の理想的コミュニティーに学ぼうというのが今回の企画。題して『福井むかし語り』。ぼくの演目は、『牛褒め』と『豊竹屋』の二席。『牛褒め』における阿呆に対しての「しゃあないやっちゃなあ」という眼差し。「狂言は、愚かな人間を描いているのではなく、人間の愚かさを...

  • 36.種を運ぶ

    かつて私は『ふるさときゃらばん』という劇団に客演していた。今になって思えば、まともに芝居などしたことのない私をよくぞ採用してくれたものだと思うが、それは楽しくもあり苦しくもあった。知人の紹介から私も劇団の追っかけのようなことをするようになり、それでたまたま役者の一人の都合が悪くなったことから私にお鉢が廻ってきたのだ。芝居はミュージカルである。歌は独唱がないので何とかごまかせたが、ダンスだけはどうに...

  • 29.チンドン屋

    懇意にさせてもらっている知人に林幸治郎という男がいる。毎年富山で開催されるチンドンコンクールにおいて過去10回の優勝歴。大阪谷町6丁目にある「チンドン通信社」。日本一のチンドン屋の大将だ。林氏曰くチンドンの音楽は歓迎する人たちばかり相手にしていられない。聞きたくない人まで視野に入れ尊重せないかん宿命がある。しかもそんな彼等の存在を肯定的にとらえる事で、逆に自分たちの居場所を大いに確保していくというや...

  • 13.照らされて

    「定吉」「旦那さん、何ぞご用で?」「先ほどお前に言いつけておいた金魚鉢の水は替えてやったかいな」「へえ、替えておきました」「で、どこの水を入れてやった?」「へい、あの、銅壺の」「ドウコ?これ、胴壷と言うたら湯と違うか」「へえ、そうでおます」「そうでおます?・・それで金魚はどうしてますな?」「結構な風呂ができたなあてな顔してええ具合に横になって寝てはります」「そら何をするのじゃ。死なしてしまってどう...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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