カテゴリ:大阪大空襲のエントリー一覧
-
274.じぃじの桜(兵庫県勤務医ニュースより)
大阪城公園に桜を増やそうと大阪市が始めた植樹事業。3年前に亡くなった生前の義父もまとまった額の寄付をした。おかげで、2年程前に植えられた桜のプレートには、ぼくや女房、ムスメの名前も刻まれた。自宅からも近く、散歩がてら時おりここを訪れる。二三日ほど前までつぼみだった桜もこの日、見事に満開。ぼくの家族はこの桜を「じぃじの桜」と呼んでいる。じぃじの桜の前でムスメと。コロナ禍が一区切りついたこともあるのだ...
-
273.ダルマの伝言~市民はいつも知らされない~
明日にでもウクライナのサポリージャ原発が攻撃されるというニュースが飛び交っている。すでに周辺住民は避難を始めているというが、管理する職員など役目上残っている者もいる。今、どのような心境でそこにいるのだろうか。大阪大空襲(ピースおおさか)ぼくの父方の祖父は、父がまだ幼い頃に亡くなっている。それも牢獄死だと聞いたのは、ぼくが小学校に上がって間もない頃だった。戦時中、戦争反対の言論を唱えたとかで、アカと...
-
257.ホンマのお母さんて、何や?~言えなかったひと言…~
先月、母が亡くなった。享年84。父と二人で暮らしていた。あまりの長風呂に父が様子を見にいったところ、すでに浴槽の脇で息絶えていた。後日、遺品整理をしてくれた弟夫婦が母の財布からデイサービスで利用した美容院の領収書を見つけた。亡くなる前日の日付だった。いつも室内をきれいに整理整頓していた母。「髪を整え、風呂に入ってから逝くなんて、なんとも母さんらしいわ」と弟が呟いた。ぼくが小学生の頃、毎日のように母の...
-
254.おじいちゃんのざんげ~戦争を知らない子どもたち~
ぼくが小学生3年か4年生の頃。正月に母方の祖父の家に親戚一同が集まり、その頃は高校生で後に音楽大学に進んだ叔母がピアノを披露し、祖父は詩吟か何かを詠い、余興の順番がぼくにまわってきた。ぼくはその少し前に流行った杉田二郎の戦争を知らない子どもたちを歌った。 戦争が終わって 僕等は生れた戦争を知らずに 僕等は育ったおとなになって 歩き始める平和の歌を くちずさみながら僕等の名前を 覚えてほしい戦争を知ら...
-
246.戦時下を生きた芸能~”笑い”という名の毒を飲む~
襲名をして以来、毎年6月になるたびどうしても戦争のことが頭をよぎってしまう。先代の二代目花團治が1945年(昭和20年)6月15日に大阪空襲の犠牲になっているからだ。遺族によると、防空壕の入り口で亡くなっていたらしい。しかも、襲名してわずか一年後のこと。どれほど無念だったろう。後列左から三人目が二代目花團治(写真提供:前田憲司)あれは今から35年ほど前、落語家に入門して3年ほどだったぼくが、地方のある敬老会に...