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カテゴリ:イズムのエントリー一覧

  • 222.初めてあぐらをかいた日~師匠からのお免状~

    師匠(先代桂春蝶)のもとに入門して、まもなく10年を迎えようかという頃だった。ぼくはその日、師匠の家で晩酌のお相手をしていた。当然、師匠の前ではしっかり正座の姿勢である。とその時、師匠がおもむろに切り出した。「蝶六(ぼくの前名)はうちに来てどれぐらいになる?」「かれこれ10年近くになります」「そうか・・・足を崩したらどないや」ぼくは一瞬耳を疑った。これまで師匠の前で足など崩したことがない。躊躇していると...

  • 219.繊細なコロス~2018M-1グランプリより~

     テレビで『M-1グランプリ』を観た。結成15年までの漫才師のなかから日本一を決めるコンテストである。現在の世相が色濃く反映されていてとても興味深いものであった。今、パワハラやセクハラといった言葉を聞かない日はない。それだけ世間は「言葉」というものに敏感である。例えば、相方に対して「お前はハーフ顔やな」と持ち上げるように言いながら、そのあと「東南アジア系のハーフやけどな」と落とすやり方。以前ならド...

  • 218.思いやりの破門~死に際に見せた師匠の流儀~

    「お前ら三人ともみんな出ていけ!わしは弟子なんかいらん」それまでにも何度か「破門」をくらっていたが、この時ばかりはこれまでとは違う何かしら重みを感じた。師匠(先代桂春蝶)の芸にはどこか哀愁みたいなものがあって、「これでもか」と押して笑いを獲りにいくのではなく、フッと零れ落ちるさりげないひと言に可笑しみがあった。いわゆる浪花の代名詞のようなコテコテとは対極で、ある評論家は師匠のそれを指して「引きの芸...

  • 216.やるかやられるか~師匠と弟子の奇妙な関係~

    若手の頃、ぼくはよく師匠の前座を務めさせてもらっていた。それも師匠とぼくと一席ずつという現場が多かった。師匠は番組のレギュラーも多く、まるでパズルのピースを埋め込むようなスケジュールで、ギリギリに現場到着ということも少なくなかった。その日もぼくは、まだ楽屋入りしていない師匠を気にしながら高座に上がった。予定では、いつも通り演じて下りたとしても、師匠は出番に何とか間に合うはずだが、どんなアクシデント...

  • 215.指南・考~導く方向・見つける方法~

    師匠のもとに入門してまもない、まだ芸名すらもらっていない頃だった。師匠の鞄を持って新幹線の新大阪駅まで同行することになった。駅につくと、二番弟子の桂蝶太兄(昭和63年没、享年36)が待っていた。師匠とはそこで別れたのだが、そのあと兄弟子と二人で喫茶店に入った。今思えば、師匠がわざわざ兄弟子を呼び寄せたのであろう。蝶太兄は芸界のしきたりについて色々教えてくれた。挨拶の仕方に始まって、誰を「師匠」と呼び、...

  • 214.「笑われる」ぼくが、「笑わせる」喜びに目覚めた瞬間~二代目春蝶とWヤング・平川幸雄師匠との共通点とは?~

    小学校時代のぼくはとかく劣等感の塊だった。寝小便たれは治らず、勉強もスポーツもからきしダメ。授業中は窓の外をボーっと眺めていることが多かった。当然、担任からもよく叱られた。ある日のホームルームのこと。終礼の挨拶をするため、その日の当番が「起立」と声を掛けた。皆は一斉に椅子から立ち上がった。しかし、ぼくはそれが聞こえているにも関わらず一人じっと椅子にすわり込んだまま。とにかくボーっとした子だった。級...

  • 213.野球嫌いなぼくが何故「虎キチ」師匠に入門を乞うたか?~アカン奴ほど愛おしい~

    ちょうどこの原稿を書いている最中、世間では連日ワールドカップの話題で持ち切りである。しかし、ぼくはこの手の話がどうも苦手だ。それはおそらく少年期のトラウマからきている。ぼくは大の運動音痴で、ことに団体球技の類となると身体中が緊張して動けなくなる。野球では大きなフライに誰もがアウトを確信した瞬間、ぼくがポトリと落としてしまうのがお決まりだった。いつもそんなふうだから、いつしか級友たちはぼくを野球やサ...

  • 212.6月15日に思うこと~大阪大空襲と花團治~

    もっともっと、落語をしたかった。「初代」も「二代目」もきっとそう思っていたに違いありません。今から73年前の今日、昭和20年6月15日。先代(二代目)花團治(花次改め)は、襲名した翌年、「第四次大阪大空襲」によって命を落としました。ご遺族の方によると、防空壕の入り口あたりで亡くなっていたらしいとのことです。二代目花團治ちなみに、初代の花團治は「吉本興業専属第一号」でした。そんな栄えある名跡にも関わらず、...

  • 209.命懸けの道成寺~能はロックだ!?~

    ”大鼓”と書いて”おおつづみ”と読みます。「カーン」という乾いた音色が特徴ですが、実はこの楽器、「世界で一番硬い楽器」だそうです。 ”小鼓”は「ポンポン」と水を含んだような音ですが、”大鼓”は乾いた高音。”小鼓”はたえず息を吹きかけたりして湿らせた状態にします。時折、舞台上で革にハァーしてる姿を見受けます。余談ですが、モノを冷ますときの息はフゥーで、温めるときの息はハァーですよね。ちなみに飲酒検問のときはハ...

  • 208.映画『福井の旅』と『男はつらいよ』~はみ出しものの視点から~

    その兄弟子は、もうどうしようもない落語家だった。平気で仕事に穴をあける、朝から酒浸り、自分勝手、飽き性、協調性ゼロ……とにかくだらしがないこと、このうえない。でも、どこか憎めない。 ある日、そんな兄弟子から弟弟子のもとへ一本の電話。「とにかく福井まで来てほしい」という。それだけ言うなり、プツッと電話を切った兄弟子。大阪でラジオのレギュラー番組を持ち忙しい弟弟子は、「何でぼくが福井にまで……」と訝りなが...

  • 206.祝・四代目春團治襲名~まるでコント?!な三代目&四代目の思い出~

    今年の2月11日、大阪道頓堀の松竹座で行われたのが、「四代目春團治襲名興行」。1033席ある会場が昼夜二回公演ともに超満員となりました。 襲名興行の目玉といえば、やはり「襲名口上」です。口上では、襲名する本人は舞台中央に正座で床に手を付き下を向いたまま、横に居並ぶ諸先輩や仲間の挨拶を黙って聞いていなければならないという決まりがあります。歌舞伎や文楽の襲名口上は厳かに行われることも多いようですが、こちとら落...

  • 204.象引物語~泣いたり笑ったり、怒ったり……とかく桂福車は忙しかった~

    桂福車、2015年花團治襲名お練りにて(撮影:相原正明)2018年2月1日没、享年56桂福車に関する逸話は快挙にいとまがない。例えば、「上方落語協会」の会長選を巡る総会の席。それまでは理事会で決められた案を協会員全員の賛同を得て決定するという選び方に異を唱え、「会長は協会員全員による投票で決めるべきだ!」と声高に訴えたのは彼だった。これにより、初の協会会長選挙で誕生したのが桂三枝(現・六代文枝)会長である。...

  • 202.客いじりのある高座風景~言霊から漫才まで~

    寄席の高座でその場のお客をネタにしたり、直接話しかけたりすることは「客弄り(いじり)」といってあまり好まれることではない。寄席のお客は芸を楽しみに来ているのであって、そういう対話を目的に来ているのではないというのがその主な理由。おまけに寄席の出番はあらかじめそれぞれの持ち時間が決まっているので、「客弄り」はタイムオーバーの原因にもなる。筆者の高座風景(撮影:相原正明)ずいぶん前になるが、その日の夜...

  • 200.センセ、着物って逆さに着たらアカンの?~落語の授業にて~

    今年も夜間高校で「落語の授業」が始まりました。10代から70代までの学生たち。そこで投げかけられる素朴な疑問の数々が、ぼくにとっては戦々恐々、また毎度の楽しみなのです。 例えば、ぼくの雪駄を見た学生が、「センセ、そのスリッパ、サイズ小さいんと違う?」 雪駄というものは、足のかかとが少し出るぐらいでちょうどいいのですが、馴染みのない学生には奇異に映るらしい。 「雪駄って、こんなもんやで」と返すものの、これ...

  • 199.春蝶兄さんが生きてはったらなぁ~四代目桂春団治とぼくの因縁~

    春之輔師匠は、ぼくにとって高校の大先輩でもあります。落語家の系図でいえば、ぼくの師匠(先代春蝶)のすぐ下の弟弟子で、ぼくの叔父貴にあたります。ぼくが入門して間もない35年前、なぜか事あるごとに春之輔師匠はうちの師匠から呼び出されては小言をくらっていました。「お前にしっかりしてもらわな困るんや!」ぼくの高校時代。舞台上の右から4人目がぼく。当時、大阪府立の豊中、箕面、桜塚の落語研究会が集まって合同の寄...

  • 197.不足は創造の源~落語と映画と土団子~

    1970年代、ぼくが少年の頃、土団子が流行った。これは泥んこ遊びのひとつで、泥を丸めて作った玉にきめの細かい砂をまぶして固め、それを手のひらで磨いて硬くしていく。濡らしては固め、乾かせては濡らしの作業を繰り返すうち、やがてそれは艶々と輝き始め、見事な金の玉へと変貌する。こうして出来上がった玉を今度は友だち同士で競い合った。高いところから相手の団子目指して落とすのだ。それぞれが団子に向いた上質の土の在り...

  • 196.先代桂春蝶「最後の晩餐」~刺客?となった笑福亭福笑~

    口さがない楽屋雀たちは、笑福亭福笑師を指して、「先代春蝶にとどめを刺した張本人」だと噂する。左から恩田繁昌亭支配人、笑福亭福笑、桂一蝶、桂花團治、桂梅團治、桂春雨。花團治襲名記念公演(繁昌亭)にて。2015年5月。故・二代目春蝶にとって最後の晩餐は平成4年大晦日の夜となった。リビングで宴席の片づけをしていると、「蝶六さん!救急車!!」師匠の奥さんがありったけの大声でぼくに叫んだ。師匠はトイレのなかで大量...

  • 195.”離見の見”と”目前心後”~駅ナカ・デイパック禁止令~

    最近とみに気になるのが、大きなデイパック(リュック)を背負いながらスマホに夢中になる人の姿。背中に荷物を負えば両手が開くのでスマホを操作するには都合がいい。しかし、そのぶん満員電車内など周囲はかなり不愉快な思いをしている。当人が向きを変えるたび、思わずデイパックに頬を打たれそうになっている人。ましてやこれが駅のホームの上だったりすると危ないことこのうえない。当人の知らないところで自身が加害者になっ...

  • 194.叱るむつかしさ・叱られるありがたさ~落語の授業にて~

    その瞬間、ぼくは「ああ、またやってしまった」と後悔した。出講するマスコミ系の専門学校で、思わず学生の一人を怒鳴りつけてしまったのだ。事の発端はこうだ。ぼくの授業は最初に皆で大道芸の口上を口にするのが決まりで、その日もかなり大きく発声していた。とその時、他のクラスの学生の一人が焦った表情で教室に入って来た。「教室の前でドラマのロケをやっていますので静かにしてください!」。あちらも実習ならこちらも授業...

  • 189.悪事も善事も千里を走る~見てる人は見てるもんです~

    花團治の公式サイトはこちらをクリック!「若手コンテストを見ました。真剣勝負の場なのにそれを審査する立場の者が普段着のまま舞台に立つというのはいかがなものか。見ている人は見ています」今、ぼくは上方落語協会で「若手育成委員会」に所属している。若手のための深夜寄席やコンテストの運営をするのがその主な業務内容だが、先日、ぼくのもとにとある新聞記者から冒頭のようなメールが届いた。このときの審査員とはつまりぼ...

  • 188.繊細な鬼瓦~六代目松鶴師匠の思い出~

    花團治公式サイトはこちらをクリック!あんさんとこのお弟子さん、お借りしましたで。 六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。豪快なことで知られる松鶴師匠だが、誰よりも繊細な方だった。若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。 六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)よりNHK大阪放送局がまだ馬場町にあった頃のこと。落語番組の収録のため、...

  • 185.テレマンと落語~すべてはカーテンコールのために~

    「花團治公式サイト」はここをクリック! クラシック音楽の方々との共演は実に楽しい。いつも刺激をいただいてます。でも、語り終えたあとのカーテンコールは実に気恥ずかしい。お客様へのご挨拶という名目ながら、なんだか拍手をもらうのが目的みたいで、どんな顔をして立っていればいいか、いつも悩んでしまう。「(じゅうぶんに満足させられず)ゴメンナサイ」では、せっかく拍手を下さるお客様に失礼な気がするし、「ドンナモ...

  • 182.天下一の軽口男~何を笑うか~

    「花團治公式サイト」はこちらをクリック!最近になってようやく『天下一の軽口男』(木下昌輝著)という時代小説を読んだ。大坂落語の祖・米沢彦八の生涯を綴ったものだが、これによると彦八は鹿野武左衛門という男を頼って大坂から江戸の町へ繰り出している。武左衛門は江戸落語の祖として知られているが、元はといえば大坂の生まれ。これは文献にも残っている。しかし、彦八が大坂から江戸に出たという記録は見当たらない。けれ...

  • 181.不況になればお笑いが流行る?~落語と狂言の親密な関係~

    作家の瀬戸内寂聴さんは、「(法話の際に)いきなり仏教のむつかしい話から始めても集まってくれる人は聞く耳を持たない。だから笑い話から始める」とおっしゃってますが、大昔からそういう風習はあったようです。このような法話を落語のルーツとする説もあります。それに、大真面目な真剣な話を聞くときにはグッと息を詰めていなければなりませんが、そのためにもまず大きく息を吸う必要があります。大笑いするということはすなわ...

  • 178.バッハ『農民カンタータ』~せまじきものは宮仕え~

    「バッハはんから依頼があってな、なんでもこのたび新しいご領主さまを迎えることになってな、そのご領主さまの歓迎パーティーで演奏する曲らしい」「つまり、お追従、おべんちゃらの詩を書いてほしいということでっか?」「平たくいえばそういうこっちゃ」 こんな経緯から生まれたのが、バッハの『農民カンタータ』です。この作品のなかで、農民が税収係をボロカスにけなします。実は、作詞担当のピガンダー本人の生業が税金徴収...

  • 176.芸人はモノを食むな~師匠に学んだ酒の美学と反面教育~

    ◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック! ぼくの師匠(二代目春蝶)がまだ元気だった頃、パーティーのお供をすることが多々あった。師匠の自宅に迎えにあがると、奥さんがいつもどんぶり飯を食べさせてくれた。 「今日は立食パーティーやねんてな」「はい、そうです」「ほたら、ご飯いっぱい食べていき」 パーティーの席上、ぼくが腹を空かせないようにという奥さんの配慮だった。師匠の家族と共に(右手後ろがぼく。当時20歳頃...

  • 175.最強のモタレ芸・チンドン~路上の達人から板の上の妙手へ~

    『花團治公式サイト』はこちらをクリック!チンドン屋って、ネコとお友達になるようなもんでね。『ちんどん通信社』の代表・林幸治郎氏が、ふとそんなことをつぶやきだした。花團治襲名披露公演に並ぶ行列を癒してまわる『ちんどん通信社』 撮影:相原正明例えばね、猫の写真を撮ろうとして、不用意に近づいていったら逃げてしまうじゃないですか。あえて、興味がないふりをして向こうを向いたり、そんなことをしながら距離を詰め...

  • 174.伝承と継承~繁昌亭と夏目漱石~

    『花團治公式サイト』はこちらをクリック!土居さんもお練りに参加したかったやろな。せめてあとひと月だけでも長く生きてはったらな。商店街の方も言うてはったけど、このお練りを一番心待ちにしてはったんは、天神橋筋商店街連合会の元会長・土居年樹さん(8月23日没)やった。9月15日、大阪の落語家にとって60年の悲願だった天満天神繁昌亭10周年を記念しての落語家による商店街お練り。この商店街は南北に2.6キロ。日本一...

  • 173.生きてはったら75歳~寝小便もお家芸のうち~

    ぼくが二代目春蝶の家に住み込みをしていた頃。師匠の長男・大助君の寝小便ぶとんを干すのが毎朝の日課でした。ぼくの年季が明け、大助が小学5年生になってもなお、彼の寝小便は続いていました。ぼくは彼に言いました。「大助、実はぼくも6年生まで寝小便が治れへんかってん。だから心配せんでも大丈夫。そのうちに絶対、治るわ」 すると、それを横で聞いていた師匠が少し強い口調で、「蝶六!(当時のぼくの名前)、お前は何をエ...

  • 172.恩送り2~先代春蝶門弟として~

    「花團治公式サイト」はここをクリック!ぼくの襲名記念の会に花束を持って駆けつけてくださった春團治師匠。このとき全くのサプライズでした。東京の落語界では、二つ目以下の落語家は、師匠が亡くなれば、必ず誰か他の真打の弟子にならなければならない、という決まりがあるそうです。でも、真打制度のない大阪では、そういう取り決めなどありません。うちの師匠(先代春蝶)が亡くなってすぐ。テレビの追悼番組には、師匠の師匠...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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