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カテゴリ:イズムのエントリー一覧

  • 260.一見さんお断り~一期一会を100倍ステキにする方法

    「一見さんお断り」という京都花街のしきたりはあまりにも有名だ。この慣習が「敷居が高い」というイメージに繋がっているのは言うまでもないが、「おもてなし」という観点からみれば実に理にかなっている。花街で提供される「おもてなし」は顧客の好みによって内容がさまざま。お茶屋は顧客の好みを十分にわかったうえで芸舞妓さんや料理の手配をするが、そのときに全く情報のない客ではどのようなサービスをしていいのかわからず...

  • 259.最後の贈り物~笑いと、涙と、あの人と~

    今年の3月、師匠の奥さんが亡くなった。コロナ禍ということもあり、密を避け家族葬で見送ることになったが、親族や弟子の他に、奥さんとごく親しい友人二人も駆けつけておられた。このお二方の女性は芸界にも通じていて、師匠とも番組はじめ公私にわたって交流のあった方々だ。ぼく自身も若い頃、ずいぶんとお世話になった。仕事を世話してもらったり、たまにはお小言やアドバイスをもらうことも。ところが、その頃のぼくは糞生意...

  • 258.ウィル・スミスのビンタ~何を笑うか?~

    先日のアカデミー賞授賞式での出来事は前代未聞だった。3度目のノミネートで悲願のオスカー賞を受賞した俳優のウィル・スミスが、プレゼンターのコメディアン、クリス・ロックに皆が見守る壇上での平手打ち。ウィル・スミスの妻は脱毛症に苦しんでいて頭は丸坊主である。それをクリス・ロックがネタにした。相手の気にする身体的要素、しかも笑われた相手のそれは病気によるもの。ウィル・スミスが思わずカッとなったのは理解でき...

  • 256.ふるさと~肥溜め踏みし、かの頃~

    ぼくが早朝の大阪城公園でのラジオ体操に通いだしたのは昨年12月から。日頃の運動不足解消が目的だが、参加するほとんどが70歳以上のお年寄りで今年還暦のぼくはかなり若手の部類で肩身が狭い。多くが常連さんらしく、こんな会話が飛び込んできた。「○○さん、最近見まへんなぁ」「また温くなったら出てきはんのと違いますか」「元気にしてまっしゃろか」「さぁ…、最近わたしも病院行ってまへんしなぁ」これまで集いの場だった診療...

  • 254.おじいちゃんのざんげ~戦争を知らない子どもたち~

    ぼくが小学生3年か4年生の頃。正月に母方の祖父の家に親戚一同が集まり、その頃は高校生で後に音楽大学に進んだ叔母がピアノを披露し、祖父は詩吟か何かを詠い、余興の順番がぼくにまわってきた。ぼくはその少し前に流行った杉田二郎の戦争を知らない子どもたちを歌った。 戦争が終わって 僕等は生れた戦争を知らずに 僕等は育ったおとなになって 歩き始める平和の歌を くちずさみながら僕等の名前を 覚えてほしい戦争を知ら...

  • 252.仁鶴師匠と敏江師匠~二代目春蝶生誕祭に寄せて~  

    生前、ぼくの師匠の二代目桂春蝶がぽつりと呟いた。「春輔兄さんは後世ずっと語られることになるけど、わしが死んだらすぐに忘れられるんやろな」春輔兄さんとは奇行エピソードが尽きることのない「伝説の落語家」この言葉が脳裏にずっと残っていたぼくは、師匠が亡くなって20年を越えた頃、兄弟子の桂一蝶や師匠の子息である大助こと当代春蝶に相談した。ここから師匠の誕生日である10月5日に、毎年「二代目春蝶生誕祭」を開催す...

  • 250.軽口仁輪加・考~春團治・五郎兵衛一門とニワカの深~い関係~

    今、繁昌亭では「15周年記念特別公演」の真っ最中。9月6日(月)から12日(日)は「春團治・五郎兵衛ウィーク」落語はもちろんのこと、今回ぼくが特に見て頂きたいのが「軽口仁輪加」なんです。・・・ということで、今回は「軽口仁輪加」のご紹介です。「軽口仁輪加」とは、今でいうコントや漫才のようなもの。ダジャレやスカタンを言いながら、歌舞伎の芝居の真似事などをする芸。新喜劇の源流という説もあります。ルーツは江戸時...

  • 249.鶴の恩送り~弟子にしたのは俺や、辞めさすのも俺や~

    お釈迦さんは数多の弟子に多くの教えを示したが、相手やその時どきに応じて、内容を変えている。落語家の師匠も同じで、「前に言ってたことと全然違うやん!」ということが多々ある。入門した当初は師匠の台詞をしっかりなぞることを強いても、ある段階までくると全く正反対の言葉に代わることも。それに指南というものはさりげない日常会話のなかに含まれることが多く、弟子の側にもしっかりそれを受け止めるアンテナを持つことが...

  • 247.時代に翻弄された落語家~初代&二代目・花團治クロニクル

    ◆初代春団治やエンタツ・アチャコと共にナンセンスな演出などで一部の評論家から「落語の破壊王」と批判の対象になることもあった爆笑王・初代桂春団治。漫才師として初めてスーツ姿で舞台に立ち、それまで音曲が中心だった萬歳から音曲を無くし、しゃべくりのみに変えた「近代漫才の父」横山エンタツ・花菱アチャコ。初代・二代目花團治は、こうした時代の変革者たちと同時代に生きた咄家でした。1875(明治8)初代花團治生まれ...

  • 246.戦時下を生きた芸能~”笑い”という名の毒を飲む~

    襲名をして以来、毎年6月になるたびどうしても戦争のことが頭をよぎってしまう。先代の二代目花團治が1945年(昭和20年)6月15日に大阪空襲の犠牲になっているからだ。遺族によると、防空壕の入り口で亡くなっていたらしい。しかも、襲名してわずか一年後のこと。どれほど無念だったろう。後列左から三人目が二代目花團治(写真提供:前田憲司)あれは今から35年ほど前、落語家に入門して3年ほどだったぼくが、地方のある敬老会に...

  • 245.澤田隆治先生ありがとうございました。

    澤田先生が、澤田隆治先生が逝ってしまった。ぼくが「澤田隆治」という名を知ったのは高校生の頃。当時、「花王名人劇場」という番組が流行っていて毎週欠かさず見たものである。その番組タイトルの肩には「澤田隆治プロデュース」とあって、このとき「プロデュースとは何ぞや?」という興味がわき、澤田先生が「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「新婚さんいらっしゃい」などなど伝説の人気番組を手掛けた人だということを知...

  • 244.ツラくとも、クサれども~それでも笑いが必要~

    大阪商人の間には今も「泣いてる暇があったら笑ろてこまそ」という言葉が残っている。例えば、店が大赤字で困っているときにも商売仲間との会話では、「おたくの店、商売は順調でっか?」「赤子(赤ん坊)の行水ですわ」「何でんねん」「タライで(足りなくて)泣いてます」と笑いを誘う洒落を交えた。この「笑い精神」は大阪に限ったことではない。商売人というのはすべからくそうだ。憔悴する姿は同情を誘いこそすれお客や取引先...

  • 241.「かわいそう」という名のナイフ

    その女性が児童養護施設で職員として働くようになったのは、高校時代、かねてより好意を寄せていた同級生の男の子に告白したことがきっかけだった。彼からの返事は「住む世界が違うから付き合えない」 というひと言。このときはじめて彼が児童養護施設の子だということを知った。彼女は彼に寄り添うつもりで応えた。「わたしはそんなこと気にしないよ」すると彼は「ほらな。やっぱり住む世界が違うんだ」わたしと彼と、どう世界が...

  • 240.うちのムスメは何でも食らう~優しい文化を召し上がれ~

    近頃はコロナ禍の影響もあって自宅で過ごすことがずいぶん増えた。我が家はヨメはんと2歳半になる娘との3人家族。娘はぼくのことをよく観察しているのかすぐに真似をしたがる。例えば、稽古場の高座に座って落語の真似事。まるでルーティンワークのように「寿限無」の文句に始まり、落語らしき文言を唱え出すようになった。ひとしきりそれが終わると、今度はぼくに向かって「(次は)おとーしゃん、(稽古を)どうぞ~」と言って...

  • 238.あめあめふれふれ父さんが…

    唱歌における父親はどうも肩身が狭い。日本の唱歌に登場する親は母親ばかり。「あめあめふれふれ母さんが…」(あめふり)「かあさんが夜なべをして…」(かあさんの歌)「かあさん、お肩を叩きましょう」(肩たたき)「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、そうよ母さんも長いのよ」(ぞうさん)……もちろん父さんが出てくる唱歌もあるにはあるが、『グッドバイグッドバイ、グッドバイバイ…』(グッドバイ)と家におらずお出掛けし...

  • 237.賛否両論バンザイ!~大阪万博2025ロゴマークに寄せて~

    先日、大阪万博2025のロゴマークが発表された。ネット上では「怖い」「気持ち悪い」といったコメントが飛び交っている。なかには「これはコロナウイルスを模している」といった意見まで。ぼく自身も最初にこれを見たとき、思わず「何じゃ、こりゃ⁈」と口にし、そのあと「わしは松田優作か」と一人ツッコミ。けれども、今ではこのロゴがすっかり気に入ってしまった。今にも動き出しそうで、生命そのものに見えてくる。愛らしいこと...

  • 235.リメンバー・ミー~思うことは活きること~

    遅ればせながら、今頃になってディズニー映画「リメンバー・ミー」(2017)を観た。死者の国では「死者の日」だけ現世の家族に会いに行けるという決まりだ。日本でいうお盆のようなものである。ただし、それは自宅の祭壇に先祖の遺影が飾られた者だけに限られていて、そうでない死者は死者の国を出ることができない。ひょんなことからミゲルという少年は死者の国に迷い込んでしまい、紆余曲折の末ようやく自分の高祖父にあたるヘク...

  • 234.当たり前の向こう側~そして、彼女はオッサンになった~

    混み合う車内に、棚に並ぶマスクやトイレットペーパー…。そんな他愛もない光景がやけにまぶしく映った。この日は久しぶりの出前寄席。県をまたいでの移動はおよそ4か月ぶりのことだった。自粛解除とはいえ手放しで安心するには程遠い状況ゆえ、お客様のなかには家族から嫌味のひとつも言われた方もおられよう。それでもわざわざ集まってくれた。こちらもずっと休業状態で巣ごもりしてきた身。喋る場が与えられただけでもありがた...

  • 233.神様・仏様・アマビエ様~よくもわるくも妖怪のせい~

    「トイレの神様」という歌がヒットしたのはちょうど10年前のこと。「トイレには、それはキレイな女神様がいるんやで。だから毎日キレイにしたら別嬪さんになれるんやで」という歌詞は今もふと口ずさんでしまう。この曲がヒットしている頃、ぼくは講師を務める夜間高校での授業のなかでこれを話題にした。「神事と芸能」を講義するうえでこれほどタイムリーなツカミはなかった。しかし、このとき一人の女子学生がふっと笑みを浮かべ...

  • 232.祝うて三度でご出棺~別れの言葉はサヨナラじゃなくて~

    亡くなる十日ほど前だったか、がん患者によく見られる皮膚の突起が義父の額の真ん中にもくっきりと表れるようになった。義父は自身のそれを指しながら「お釈迦さんみたいやろ」と子どもみたく笑った———。コロナ騒ぎの緊急事態宣言により、全てに自粛が叫ばれるなか、女房の父が静かにあの世へ旅立った。葬儀は三密を避けるため、ごく身内だけで執り行うことになった。その通夜を済ませた夜に女房の兄貴・つまり義兄が電話でぼくに...

  • 231.黒子に魅せられて~家とブロマイドとぼく~

    歌舞伎の「黒子」は、役者の後ろの方で、姿勢を低くして目立たぬように早変わりのサポートをしたり、小道具を渡したり…。全身を黒で包んで現れているものは、「存在しないことにする」という約束事。客も「見えていないもの」として見ている。一昨年からぼくの落語教室に通ってくるある男性は、45歳前後だろうか、ぼくより確か一回りほど年下である。飄々とした雰囲気で、演じる落語も可笑しみに溢れている。「笑わせてやろう」と...

  • 229.左利きが抱えるもの~”甘夏とオリオン”の世界にたゆたう~

    かつて左利きは縁起が悪いとされ、矯正するべきという考え方が当たり前だった。今もご年輩のなかには左利きの者に対して「何で親は治さなかったのか」と半ば憐れむような言い方をする人がいる。かくいうぼくも元は左利きだった。ぼくの母は血を見るのが何よりも怖かったぼくの左手の甲にヨードチンキを塗りつけ、なるべくぼくに左手を使わせないようにした。その結果、ぼくはペンやお箸を持つ手は右利きになった。しかし、消しゴム...

  • 227.初高座の想い出~師匠のペップトーク~

    失敗はむしろ喜ばないかん。失敗したということはそれだけ広い道を歩くことになるんやから。誰が言ったか忘れたがそんな言葉を覚えている。ぼくもうちの師匠(先代桂春蝶)から「失敗するな」という言い方をされたことがなかった。「あれはダメ」「これはするな」と言われたことも記憶がない。その代わりよく言われたのは「常にアクションをせい!」だった。先代春蝶の写真を挟んで、左が現・春蝶、右がぼく。(撮影:相原正明)ぼ...

  • 225.揺れる~大人ブランコのススメ~

    昭和37年、ある日の夕方。駅近くの児童公園。それまで元気に走り回っていた子どもたちの姿はもうそこにはなかった。そんな公園の片隅に一人ポツンとブランコに揺られながらじっと遠くを見つめる青年がいた。それにしても誰もいない公園で大人の一人ブランコは何とも孤独である。青年はこの界隈ではちょっとした有名人で公園でのこの行動がよく目撃されていた。「落語家さんのお弟子さんらしいで」という情報も知れ渡っていた。「修...

  • 224.すべてはアフターのために~神管寄席後記~

    興奮と感動からの学びは子どもの目の色を変える。先日、その瞬間を目の当たりにする機会に恵まれた。神戸でクラシックの演奏会があって、ぼくはその語り部として参加させてもらった。曲の合間に作品の時代背景やその曲の風景を落語風に紹介していくのだが、公演を無事に終え、ホッとしながら楽屋で着替えをしているとモニターに小学生10余名と楽団員らの姿が映し出された。気になって舞台に駆け付けると、それぞれの奏者が子どもた...

  • 223.壁に耳あり障子に目あり、弟子の背後に師匠あり~師匠はいつだって見守ってくれていた~

    ぼくが落語家の世界へ入門した頃は携帯電話やスマートフォンなど存在せず、ポケットベル登場よりも以前のこと。師匠(先代春蝶)の鞄持ちをしていると、その立ち居振る舞いについて師匠のマネージャーからいろいろ指導を受けた。師匠が公衆電話の前に立つときはメモと筆記用具を携え、十円玉をたんまり用意してさりげなく後方に控える。あくまでさりげなくというのが基本だった。師匠が楽屋にいるときは呼ばれてすぐに走ることので...

  • 222.初めてあぐらをかいた日~師匠からのお免状~

    師匠(先代桂春蝶)のもとに入門して、まもなく10年を迎えようかという頃だった。ぼくはその日、師匠の家で晩酌のお相手をしていた。当然、師匠の前ではしっかり正座の姿勢である。とその時、師匠がおもむろに切り出した。「蝶六(ぼくの前名)はうちに来てどれぐらいになる?」「かれこれ10年近くになります」「そうか・・・足を崩したらどないや」ぼくは一瞬耳を疑った。これまで師匠の前で足など崩したことがない。躊躇していると...

  • 219.繊細なコロス~2018M-1グランプリより~

     テレビで『M-1グランプリ』を観た。結成15年までの漫才師のなかから日本一を決めるコンテストである。現在の世相が色濃く反映されていてとても興味深いものであった。今、パワハラやセクハラといった言葉を聞かない日はない。それだけ世間は「言葉」というものに敏感である。例えば、相方に対して「お前はハーフ顔やな」と持ち上げるように言いながら、そのあと「東南アジア系のハーフやけどな」と落とすやり方。以前ならド...

  • 218.思いやりの破門~死に際に見せた師匠の流儀~

    「お前ら三人ともみんな出ていけ!わしは弟子なんかいらん」それまでにも何度か「破門」をくらっていたが、この時ばかりはこれまでとは違う何かしら重みを感じた。師匠(先代桂春蝶)の芸にはどこか哀愁みたいなものがあって、「これでもか」と押して笑いを獲りにいくのではなく、フッと零れ落ちるさりげないひと言に可笑しみがあった。いわゆる浪花の代名詞のようなコテコテとは対極で、ある評論家は師匠のそれを指して「引きの芸...

  • 216.やるかやられるか~師匠と弟子の奇妙な関係~

    若手の頃、ぼくはよく師匠の前座を務めさせてもらっていた。それも師匠とぼくと一席ずつという現場が多かった。師匠は番組のレギュラーも多く、まるでパズルのピースを埋め込むようなスケジュールで、ギリギリに現場到着ということも少なくなかった。その日もぼくは、まだ楽屋入りしていない師匠を気にしながら高座に上がった。予定では、いつも通り演じて下りたとしても、師匠は出番に何とか間に合うはずだが、どんなアクシデント...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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