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カテゴリ:イズムのエントリー一覧

  • 194.叱るむつかしさ・叱られるありがたさ~落語の授業にて~

    その瞬間、ぼくは「ああ、またやってしまった」と後悔した。出講するマスコミ系の専門学校で、思わず学生の一人を怒鳴りつけてしまったのだ。事の発端はこうだ。ぼくの授業は最初に皆で大道芸の口上を口にするのが決まりで、その日もかなり大きく発声していた。とその時、他のクラスの学生の一人が焦った表情で教室に入って来た。「教室の前でドラマのロケをやっていますので静かにしてください!」。あちらも実習ならこちらも授業...

  • 189.悪事も善事も千里を走る~見てる人は見てるもんです~

    花團治の公式サイトはこちらをクリック!「若手コンテストを見ました。真剣勝負の場なのにそれを審査する立場の者が普段着のまま舞台に立つというのはいかがなものか。見ている人は見ています」今、ぼくは上方落語協会で「若手育成委員会」に所属している。若手のための深夜寄席やコンテストの運営をするのがその主な業務内容だが、先日、ぼくのもとにとある新聞記者から冒頭のようなメールが届いた。このときの審査員とはつまりぼ...

  • 188.繊細な鬼瓦~六代目松鶴師匠の思い出~

    花團治公式サイトはこちらをクリック!あんさんとこのお弟子さん、お借りしましたで。 六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。豪快なことで知られる松鶴師匠だが、誰よりも繊細な方だった。若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。 六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)よりNHK大阪放送局がまだ馬場町にあった頃のこと。落語番組の収録のため、...

  • 185.テレマンと落語~すべてはカーテンコールのために~

    「花團治公式サイト」はここをクリック! クラシック音楽の方々との共演は実に楽しい。いつも刺激をいただいてます。でも、語り終えたあとのカーテンコールは実に気恥ずかしい。お客様へのご挨拶という名目ながら、なんだか拍手をもらうのが目的みたいで、どんな顔をして立っていればいいか、いつも悩んでしまう。「(じゅうぶんに満足させられず)ゴメンナサイ」では、せっかく拍手を下さるお客様に失礼な気がするし、「ドンナモ...

  • 182.天下一の軽口男~何を笑うか~

    「花團治公式サイト」はこちらをクリック!最近になってようやく『天下一の軽口男』(木下昌輝著)という時代小説を読んだ。大坂落語の祖・米沢彦八の生涯を綴ったものだが、これによると彦八は鹿野武左衛門という男を頼って大坂から江戸の町へ繰り出している。武左衛門は江戸落語の祖として知られているが、元はといえば大坂の生まれ。これは文献にも残っている。しかし、彦八が大坂から江戸に出たという記録は見当たらない。けれ...

  • 181.不況になればお笑いが流行る?~落語と狂言の親密な関係~

    作家の瀬戸内寂聴さんは、「(法話の際に)いきなり仏教のむつかしい話から始めても集まってくれる人は聞く耳を持たない。だから笑い話から始める」とおっしゃってますが、大昔からそういう風習はあったようです。このような法話を落語のルーツとする説もあります。それに、大真面目な真剣な話を聞くときにはグッと息を詰めていなければなりませんが、そのためにもまず大きく息を吸う必要があります。大笑いするということはすなわ...

  • 178.バッハ『農民カンタータ』~せまじきものは宮仕え~

    「バッハはんから依頼があってな、なんでもこのたび新しいご領主さまを迎えることになってな、そのご領主さまの歓迎パーティーで演奏する曲らしい」「つまり、お追従、おべんちゃらの詩を書いてほしいということでっか?」「平たくいえばそういうこっちゃ」 こんな経緯から生まれたのが、バッハの『農民カンタータ』です。この作品のなかで、農民が税収係をボロカスにけなします。実は、作詞担当のピガンダー本人の生業が税金徴収...

  • 176.芸人はモノを食むな~師匠に学んだ酒の美学と反面教育~

    ◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック! ぼくの師匠(二代目春蝶)がまだ元気だった頃、パーティーのお供をすることが多々あった。師匠の自宅に迎えにあがると、奥さんがいつもどんぶり飯を食べさせてくれた。 「今日は立食パーティーやねんてな」「はい、そうです」「ほたら、ご飯いっぱい食べていき」 パーティーの席上、ぼくが腹を空かせないようにという奥さんの配慮だった。師匠の家族と共に(右手後ろがぼく。当時20歳頃...

  • 175.最強のモタレ芸・チンドン~路上の達人から板の上の妙手へ~

    『花團治公式サイト』はこちらをクリック!チンドン屋って、ネコとお友達になるようなもんでね。『ちんどん通信社』の代表・林幸治郎氏が、ふとそんなことをつぶやきだした。花團治襲名披露公演に並ぶ行列を癒してまわる『ちんどん通信社』 撮影:相原正明例えばね、猫の写真を撮ろうとして、不用意に近づいていったら逃げてしまうじゃないですか。あえて、興味がないふりをして向こうを向いたり、そんなことをしながら距離を詰め...

  • 174.伝承と継承~繁昌亭と夏目漱石~

    『花團治公式サイト』はこちらをクリック!土居さんもお練りに参加したかったやろな。せめてあとひと月だけでも長く生きてはったらな。商店街の方も言うてはったけど、このお練りを一番心待ちにしてはったんは、天神橋筋商店街連合会の元会長・土居年樹さん(8月23日没)やった。9月15日、大阪の落語家にとって60年の悲願だった天満天神繁昌亭10周年を記念しての落語家による商店街お練り。この商店街は南北に2.6キロ。日本一...

  • 173.生きてはったら75歳~寝小便もお家芸のうち~

    ぼくが二代目春蝶の家に住み込みをしていた頃。師匠の長男・大助君の寝小便ぶとんを干すのが毎朝の日課でした。ぼくの年季が明け、大助が小学5年生になってもなお、彼の寝小便は続いていました。ぼくは彼に言いました。「大助、実はぼくも6年生まで寝小便が治れへんかってん。だから心配せんでも大丈夫。そのうちに絶対、治るわ」 すると、それを横で聞いていた師匠が少し強い口調で、「蝶六!(当時のぼくの名前)、お前は何をエ...

  • 172.恩送り2~先代春蝶門弟として~

    「花團治公式サイト」はここをクリック!ぼくの襲名記念の会に花束を持って駆けつけてくださった春團治師匠。このとき全くのサプライズでした。東京の落語界では、二つ目以下の落語家は、師匠が亡くなれば、必ず誰か他の真打の弟子にならなければならない、という決まりがあるそうです。でも、真打制度のない大阪では、そういう取り決めなどありません。うちの師匠(先代春蝶)が亡くなってすぐ。テレビの追悼番組には、師匠の師匠...

  • 170.嫌われもしない奴は、好かれもしない~二代目春蝶のコトバ~

    「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。生前、師匠(二代目桂春蝶)から掛けられた言葉である。二代目桂春蝶(撮影:後藤清)……つい先日、兄弟子の桂一蝶兄と、師匠の息子である三代目桂春蝶くんの三人でお茶をしていたときのこと。たまたまFacebookの話題になった。「春蝶が書いた今日のコメント、なかなかオモシロいなあ」とぼくが告げると、彼は笑みを浮かべながら「けどね、あれで友達(Facebookの中で繋がる友人)の数がゴソ...

  • 169.江戸落語にあって上方落語にないもの~例えば真打制度~

    上方落語にあって、江戸落語にないもの。まず「見台」と「膝隠し」。これはかつて落語が野天で演じられたときの名残。見台を、小拍子木と張り扇でパチパチ叩いて、その音で通行人の気を引き寄せ、よしず張りの小屋の中へ客を招いた。映画「男はつらいよ」では、フーテンの寅さんによる「叩き売り」。あれに似ている。見台と膝隠しと座布団わざわざ野天で演じたのは、「座敷へ上げてもらえなかったからだ」という説がある。芸人自体...

  • 167.岡目八目、離見の見~自分ドラマを楽しむ~

    桂三度さんを取材した記事にこんな一節がありました。ボクって、哀しいことがあったとしても『俺の人生ドラマチックやなぁ』って思うようにしているんですね。で、数年前に自分の人生を振り返った時にあんまり面白くないなぁって思ってたんですけど、落語家になって『あ、自伝の内容みえた!』って(笑)。「桂三度、落語家転身の真相を明かす」より右が三度さん。左がぼく。「ジャリズム」という漫才コンビで活躍し、ピン芸人に転...

  • 164.暴力に屈しない~生きててよかった~

    「まあ、とりあえず、親に顔でも見せに帰ったり」内弟子の年季が明けた日のことだった。師匠の言うように、ぼくはまず実家に戻ることにした。3000円もあればタクシーで帰れる距離だった。それぐらいは小遣いやラジオのギャラなどで少し貯えがあったので、その日だけはちょっと贅沢することにした。親とはもう一年以上、連絡を取っていない。師匠の家に住み込みしてから休暇は年に二日ほど。その休みも実家には帰らず、中退した大学...

  • 160.正論って、正しいんやろか?~萬歳の起源より~

    ♪争う人は正しさを説く、正しさゆえの争いを説く。その正しさは気分がいいか、正しさの勝利が気分いいんじゃないのか。ファッションブランドのコマーシャルにも使われていたので聞き覚えのある方も多いんじゃないでしょうか?中島みゆきの『Nobdy is Right』という曲です。宮崎あおい、アースミュージック&エコロジーCMこの曲がテレビから流れてきたとき、まだ落語家になって間もない昔を想いだしました。若かりし頃のぼく。24...

  • 159.東京進出を拒んだ二代目春蝶~大阪落語の発祥から形成まで~

    最後に、花團治・東京3月公演のお知らせがございます。「枝雀くんも、ざこばくんも、三枝くんもみんな来てくれた。けどな、一人だけ、頼みを聞いてくれへんかった奴がいてる。それが君とこの師匠や!」君とこの師匠とは、つまり、ぼくの師匠である二代目桂春蝶(1993年1月4日没、享年51)のこと。なんともうちの師匠らしいエピソードです。内弟子の頃に師匠一家と並んで撮って頂いたのはこれ一枚きり。ぼくにとって、大変貴重な写...

  • 155.春團治師匠のサプライズ~いたずら小僧の真骨頂~

                                                 桂花團治公式サイトはここをクリック!地下鉄の車内でばったりお会いすることが何度かあった。ぼくが椅子に掛けて、下を向いて本を読んでいると、「あのう……ひょっとして蝶六師匠と違いますか?」お客さんかと思い、ふと顔を上げると、そこには大きなマスク姿の春團治師匠。「あ、どうもおはようございます」と慌てるぼく。そんな時の...

  • 154.正月なので獅子舞について考えてみた~チンドン屋の流儀~

     「ちんどん通信社」は実に居心地がいい。お正月の仕事始めといえば、ここ数年「チンドン通信社」と現場が一緒である。今年もやっぱり現れた。それも「獅子舞」として。ぼくにとって、新春の寿ぎはあの篠笛の音色と共にある。上の一枚目が「ホテルニューオオタニ大阪」、二枚目が尼崎「ショッピングセンターつかしん」にて。元旦は「ホテルニューオータニ大阪」で落語、二日は「つかしん」で狂言でした。三枚目は、二枚目と同じく...

  • 151上方落語の復活~戦後70年~

    初代花團治は、終戦の3年前、二代目花團治は、終戦の年に命を落とした。ゆえに、二人とも「楽語荘」メンバーでありながら、終戦後初・落語会への出演が叶わなかった。このたび、終戦後復活落語70周年の企画が持ち上がった。不肖、この三代目がその記念すべき「11月21日」の前座を務めることになった。戦前の寄席事情から「楽語荘」誕生、終戦後の落語復活までの軌跡をここに記しておこうと思う。まだテレビ・ラジオのなかった時代...

  • 149.弟子の決断・師匠の覚悟(新聞コラム版)

    当時、奥様は35歳。小学1年生の男の子と幼稚園に通い出したばかりの女の子。そんな平穏な家庭にどこの骨とも分からぬ20歳の男がいきなり転がり込み、奇妙な共同生活が始まった。ヘマばかりを繰り返す男。それでも奥様は嫌な顔ひとつ見せず、行儀や礼儀作法の一から教え始めた。この「男」とは、つまりぼくのこと。師匠と一つ屋根の暮らしは緊張の連続だったが、傍にずっといられるという喜びでいっぱいだった。師匠(先代桂春蝶)...

  • 147.大須大道町人祭~投げ銭の嬉しさ~

    街が大道芸の舞台になる。今年で38回目を迎えた「大須大道町人祭」。15か所以上の特設ステージを含む会場では、朝から晩までパフォーマンスが繰り広げられました。林幸治郎率いる「ちんどん通信社」は「大道町人祭」草創期からの参加。この祭りをずっと支えてきました。乙女文楽の吉田光華師匠。たった一人で操る文楽人形ですが、光華師の手にかかると何とも表情豊かです。琵琶の音色と川村旭芳さんの語りに皆がうっとり。何とも不...

  • 144.バッハと落語~関西室内楽教会の皆さんとともに~

    「落語とは業の肯定である」とおっしゃったのは、東京の故・立川談志師匠でした。「人間っていうものは、酒にしろ女にしろダメだって頭で分かっていてもついやっちまうもん。それを描いたものが落語なんだ」という主張です。先日、ぼくはクラシックの演奏会に語り部として参加させて頂きました。関西室内楽協会の皆さんとのコラボ。天満教会にて。さて、所変われば品変わるものです。その昔、トルコから発展したコーヒーは17世紀頃...

  • 123.落語のすすめ~きたまえ亭コラム全12編~

    さて、前項、町おこしとしての芸能からの続きである。この一年間、毎月二十日前後になると、毎週土曜日に開催される福井駅前寄席『きたまえ亭』の番組に加え、そのチラシへのコラム原稿を担当者に送ることになっていた。マニア向けではなく、全く落語に見向きもしなかった方が少しでも落語に興味を持ってくれるようにと心掛けたつもりである。限られた枠のなかで文章を練るという作業は、ぼくにとってとても有意義なものであった。...

  • 116.「ホモと落語」考

    優れた俳優には女性性格が絶対的に必要である。高校生だったぼくは、その頃からすでに生業として芸人を目指していた。「芸」に関するあらゆる本を手当たり次第に乱読した。それでたどり着いたのが『私は河原乞食・考』という一冊だった。以来、小沢先生が紹介した冒頭のこの一言がぼくのなかにずっと居座り続けた。私は河原乞食・考 (岩波現代文庫)(2005/09/16)小沢 昭一商品詳細を見る「女性的精神の可塑性は、他の感情表象に適応...

  • 113.会社に入ったら三年間は「はい」と答えなさい

    「お前、今日からわしの弟子や」「は、はい。ありがとうございます」。入門初日はこんな会話から始まった。Photo by Masaaki Aiharaフォトブログ 写真家 相原正明先生の見た桂蝶六最初の半年間は師匠の家に通いだった。朝9時に師匠宅に伺い、一日師匠の家で過ごして帰るという日々が続いた。炊事、掃除、犬の世話、買い物・・・・・・師匠の側にいるということが何よりの修行だった。破門にされるんじゃないだろうか。ぼくはいつもそ...

  • 106.桂春駒兄貴を偲んで~ツンデレの人~

    ・・・・・・今、上方落語協会情報誌『んなあほな』の原稿に取りかかっている。今回、ぼくの担当記事は『桂春駒追悼特集』である。何とかゴールデンウィークの発行に間に合わせねばならない。本当はここでブログなど書いている場合ではないのだが、ちょっと”ひと休み”しながらこれを書いている。上方落語協会情報誌『んなあほな』へのお問い合わせはこちら桂春駒師・訃報記事はこちらところで、先週の日曜日は久しぶりの『田辺寄席』。開...

  • 102.異国の地に修行する日本人アーティスト

    世界の伝統芸能に魅せられた、日本人アーティストたち。彼らはなぜ海を越え、「この芸能で生きる」ことを決めたのか?踊りや音楽など、芸術・芸能を習得するには大変な努力を必要とする。ましてそれが生まれ育った国以外の由来をもつ伝統芸能であった場合、その地の言語はもちろんのこと、歴史や文化を一から学び・身につける必要があり、多くの苦労を伴う。そのようなハンデを背負いながらも、伝統芸能に魅せられて海を渡り、異国...

  • 101.授業という名の井戸端会議~「教える」から「教わる」へ~

    「たたき売りちゅうのん、見んようになったなあ」「昔な、天王寺公園で蛇使いをよう見たでえ」「覗きからくりなあ、あれ、金を払わんと勝手に覗いたら、 おっちゃんに棒でしばかれるねん」「おばちゃんがなあ、スカートめくって中見せよんねん。 マッチの灯りでなあ、マッチ一本いくらっちゅうやっちゃ」「それ、泣き売(なきばい)、ちいまんのん?・・・・・・うん、路上で万年筆売ってたで」「その催眠商法ちゅうのんなあ、わて中に...

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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