105.稽古人に育てられる日々~『愚か塾』発表会後記~
ダイアリー > 繁昌亭落語家入門講座 - 2014年02月18日 (火)
「教える」ということは、
自分のことを棚の上に上げる
ということなのかも知れない。
自身が強く注意を受けたことほど、
よりむきになって、
ダメ出しをしている自分に気がつく。
稽古場に設けられたの高座の後ろには
亡き師匠の特大写真を飾ってある。
ぼくが塾生の稽古をつけるとき、
当然、その写真を拝みながらということになる。
塾生にお稽古をつけるとき、
それはいつも師匠の思い出とともにある。

我が師、故・二代目桂春蝶が見つめる稽古場。
「(登場人物の)二人は仲が悪いんでっか?」
「子どもや阿呆を愛らしく描くには、周りにいる人物の描き方でっせ」
「怒ったらあかん、呆れるねん、困るねん」
「後味、悪いなあ」
「肚で支えな、落語を歌われへんで」
「流暢やけど、台詞や所作が流れてまっせ」
「そこは押したら、お客が引きまっせ」
ぼくが始終申し上げるこんな言葉も
全てお兄さん方に、ぼくが言われ続けてきたことだ。
ともあれ、ぼくにとっての『愚か塾』は、
そのまま
自身への「刷り込み」と「反省」の場でもある。
今日は、発表会を終えて初の稽古日だった。
塾生たちがポツポツと集まり出すと、
まだ興奮冷めやらぬ表情で
身内から寄せられた感想を紹介し始めた。
「回を重ねるごとに良くなってますって言われました」
「4時間が全然”苦”じゃなかったって言われました」
みんな嬉しそうだ。ぼくも嬉しい。
何より、観客から頂いた感想で一番嬉しかったのは、
「皆さん、無理に笑いを取りに走らないですね」
それでも発表会では皆が皆、ちゃんと笑いを取っていた。
笑いを取ること自体が目的ではないが、
それでも、やはり、とっても嬉しい。

満員御礼に感謝。4時間の間、途中で帰られたのは、用事があった3名ほどだけ。
長時間、どうもお疲れ様でした。
登場人物の心情に共感して笑いが生まれる。
無理に作ったような笑いは、たとえ笑っていても、
笑わされている感じがちょっとしんどい。
ファイティングが表に出過ぎると、
聴いている者が大層辛くなる。
このことでよく兄弟子に叱られたなあ……
ところで、今回の発表会でも寄せられた感想の多くは、
個人に対するよりも、全体に対しての言葉だった。
去年の暮れだったか、総会の挨拶で
『上方落語協会』の幹部が冒頭にこう述べられた。
「東京では”落語会”のことを”芝居と呼ぶそうですな。
ご承知の通り、落語会は皆でひとつの興行です」
この言葉通りの会になったことが、これまた一段と嬉しい。
演者みんなでひとつの番組。
演者とお客の共同作業。

「…先ほどのガマの油の口上ですが、あれがすでに禅問答ですな。
鐘が鳴るやら、撞木が鳴るやらっていう台詞…」法話から落語に入っていく名古屋の御住職。

この日の打ち上げは、観世流能楽師・水田雄晤先生が特別参加してくださった。
乾杯の前に、皆で「謡い」を唱和した。
……さて、自分に言い聞かせるように、今日もダメ出し。
発表会を終えた直後なので、全員おさらいのネタだ。
皆、適当に肩の力も抜け、台詞もちゃんと肚に入っている。
この時期が最も稽古らしい稽古の時期である。
前に言わなかったことも、今だからこそ言う。

稽古の前に、隣のリビングでしばし談笑する塾生たち。
次回の発表会は、夏頃を予定している。
「あのう、師匠、次の演目なんですが……」
「演りたいネタってあります?」
「あのう、とりあえず師匠の持ちネタで…」
やっぱり、そうでなくちゃ本当の稽古にならないですよね。
でも、口写しはまさに「合わせ鏡」。
ぼくの悪いところがそのままそこに反映されてしまう。
持ちネタの少ないぼくには、ちょっと耳の痛いお言葉。
ブログを書いている暇があったら、
まず持ちネタを増やさないと……。
…結局、塾生の皆さんに尻を叩かれるぼくでした。
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自分のことを棚の上に上げる
ということなのかも知れない。
自身が強く注意を受けたことほど、
よりむきになって、
ダメ出しをしている自分に気がつく。
稽古場に設けられたの高座の後ろには
亡き師匠の特大写真を飾ってある。
ぼくが塾生の稽古をつけるとき、
当然、その写真を拝みながらということになる。
塾生にお稽古をつけるとき、
それはいつも師匠の思い出とともにある。

我が師、故・二代目桂春蝶が見つめる稽古場。
「(登場人物の)二人は仲が悪いんでっか?」
「子どもや阿呆を愛らしく描くには、周りにいる人物の描き方でっせ」
「怒ったらあかん、呆れるねん、困るねん」
「後味、悪いなあ」
「肚で支えな、落語を歌われへんで」
「流暢やけど、台詞や所作が流れてまっせ」
「そこは押したら、お客が引きまっせ」
ぼくが始終申し上げるこんな言葉も
全てお兄さん方に、ぼくが言われ続けてきたことだ。
ともあれ、ぼくにとっての『愚か塾』は、
そのまま
自身への「刷り込み」と「反省」の場でもある。
今日は、発表会を終えて初の稽古日だった。
塾生たちがポツポツと集まり出すと、
まだ興奮冷めやらぬ表情で
身内から寄せられた感想を紹介し始めた。
「回を重ねるごとに良くなってますって言われました」
「4時間が全然”苦”じゃなかったって言われました」
みんな嬉しそうだ。ぼくも嬉しい。
何より、観客から頂いた感想で一番嬉しかったのは、
「皆さん、無理に笑いを取りに走らないですね」
それでも発表会では皆が皆、ちゃんと笑いを取っていた。
笑いを取ること自体が目的ではないが、
それでも、やはり、とっても嬉しい。

満員御礼に感謝。4時間の間、途中で帰られたのは、用事があった3名ほどだけ。
長時間、どうもお疲れ様でした。
登場人物の心情に共感して笑いが生まれる。
無理に作ったような笑いは、たとえ笑っていても、
笑わされている感じがちょっとしんどい。
ファイティングが表に出過ぎると、
聴いている者が大層辛くなる。
このことでよく兄弟子に叱られたなあ……
ところで、今回の発表会でも寄せられた感想の多くは、
個人に対するよりも、全体に対しての言葉だった。
去年の暮れだったか、総会の挨拶で
『上方落語協会』の幹部が冒頭にこう述べられた。
「東京では”落語会”のことを”芝居と呼ぶそうですな。
ご承知の通り、落語会は皆でひとつの興行です」
この言葉通りの会になったことが、これまた一段と嬉しい。
演者みんなでひとつの番組。
演者とお客の共同作業。

「…先ほどのガマの油の口上ですが、あれがすでに禅問答ですな。
鐘が鳴るやら、撞木が鳴るやらっていう台詞…」法話から落語に入っていく名古屋の御住職。

この日の打ち上げは、観世流能楽師・水田雄晤先生が特別参加してくださった。
乾杯の前に、皆で「謡い」を唱和した。
……さて、自分に言い聞かせるように、今日もダメ出し。
発表会を終えた直後なので、全員おさらいのネタだ。
皆、適当に肩の力も抜け、台詞もちゃんと肚に入っている。
この時期が最も稽古らしい稽古の時期である。
前に言わなかったことも、今だからこそ言う。

稽古の前に、隣のリビングでしばし談笑する塾生たち。
次回の発表会は、夏頃を予定している。
「あのう、師匠、次の演目なんですが……」
「演りたいネタってあります?」
「あのう、とりあえず師匠の持ちネタで…」
やっぱり、そうでなくちゃ本当の稽古にならないですよね。
でも、口写しはまさに「合わせ鏡」。
ぼくの悪いところがそのままそこに反映されてしまう。
持ちネタの少ないぼくには、ちょっと耳の痛いお言葉。
ブログを書いている暇があったら、
まず持ちネタを増やさないと……。
…結局、塾生の皆さんに尻を叩かれるぼくでした。
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