106.桂春駒兄貴を偲んで~ツンデレの人~
イズム - 2014年03月18日 (火)
・・・・・・今、上方落語協会情報誌『んなあほな』の原稿に
取りかかっている。
今回、ぼくの担当記事は『桂春駒追悼特集』である。
何とかゴールデンウィークの発行に間に合わせねばならない。
本当はここでブログなど書いている場合ではないのだが、
ちょっと”ひと休み”しながらこれを書いている。

上方落語協会情報誌『んなあほな』へのお問い合わせはこちら
桂春駒師・訃報記事はこちら
ところで、先週の日曜日は久しぶりの『田辺寄席』。
開演までのしばらく、
舞台袖で文太師匠からお話を伺った。
「駒ちゃんなあ、あいつは芝居やってたさかいなあ、
人物の描写なんか、細かいとこまでよう考えてたでえ」
仁智師匠、雀三郎師匠、春駒師匠、文太師匠は、昭和46年入門の同期組である。
ついでに言うと、
きん枝師匠、春駒師匠、パントマイムの北京一師匠、劇団『往来』の代表は、
高校の同級生である。何とも濃いクラスメートだ。
「駒ちゃんの車なあ。確か(ミヤコ)蝶々先生に貰ったんやつ。
あのワゴンには、毛布やら洗面用具やらも積み込んであってな、
あれはおそらく車に住んでたんやと思うわ」
「地方の仕事でな、朝6時には起きんならんし、
駒ちゃんと前の晩に現地入りしようちゅうことなってな、
汚い旅館やったけどな、それでもまあ、晩酌ちゅうことなって、
えらい話が弾んでもうて、気がついたら朝の6時や。
頭はボーッとしてるし、酒はまだ残ってるし、
あれやったら当日入りにしといたら良かったなあ、ちゅうて。
そんなことばっかりしてたなあ」
「知ったかぶりするおっさんて、どこにでもおるやろ?
落語のことで、わしらに知識ばっかりひけらかして、
それがまた、合ってたらええねんけど、
何の本で読んだんか知らんけど、ええ加減やねん。
わしなんか、まあ、この人はこういう人やからしゃあないと、
適当にお相手をすんねんけど、駒ちゃんはあかんなあ。
黙ってられへんねん。かかっていきよんねんなあ」

高座に向かう文太師匠
この辺りの”正義感”については、
自身がインタビューに応えている。(下記アドレス)
繁昌亭で会いましょう「桂春駒が語る」
以下は「春駒師を偲んでお別れ会」のあと、
ぼくがFBに綴った文章である。
【兄貴へ、ありがとうございました】
ぼくが高座にいるとき、兄貴は舞台袖にいてくれた。
ぼくが下りてきたとき、兄貴はぼくに手招きをして、
できるだけ人目につかぬところで助言をくれた。
「・・・わしは春蝶兄貴にそれを教えてもうた。
お前、兄貴の弟子やろ。お前はそれを盗らなあかんで」
翌日、手直しをして高座に上がった。お客の反応が変わった。
春駒兄貴に礼を言うと、「なっ」と軽く微笑んでくれた。
お別れ会で一人のお茶子さんがぼくにこんなことを話してくれた。
「先日、蝶六師匠が座布団の色の選び方を褒めてくれたでしょ。
私、あの時、落ち込んでて・・・だから、とても嬉しかったんです。
それに何だか、春駒師匠に言われてる気がして・・・」
・・・・・・一見、強面の春駒師匠だが、皆が一様に、
「ほんまに優しい人やった」と言う理由がとてもよく分かった。

繁昌亭の前で微笑む桂春駒兄貴
ところで、先日はある落語会の打ち上げに参加した。
先日亡くなった春駒兄貴が深く関わっていた寄席ということもあり、
話題は自然と兄貴の話で持ちきりになった。
女性スタッフが春駒兄貴を偲びつつこう語った。
「春駒さんって、一言で言うたら”ツンデレ”やねえ」
「ツンデレ?」
「だって、最初はどこか冷たく感じるんやけど、
後で、ホンマはめっちゃ優しいのがグンとくるねん」
ツンデレかあ・・・・・・そう言えば、ぼくにも経験がある。
ぼくにとって春駒兄貴はとても怖い存在だった。
どこか近寄りがたいオーラを発していたが、
いつの頃からか、ぼくにもよく助言を下さるようになって、
ホンマはごっつい優しい兄貴だなあと思うようになった。
「よう見てたよ。スタッフのことも・・・・・・もぎりの仕方とか、
お茶子のこととか、すっごい注意されるけど、後で褒められるのよ」
「どんなふうに?」
「”ああ、そいでええねん”ちゅうて、ぶっきらぼうに」
「一言だけ?」
「そう、一言だけ」
「ほいで、フフって鼻で笑うんやろ」
「そうそう!」(一同、同感)
それにしても、彼女らは春駒兄貴のことを
ずいぶん好きだったんだなあ。
「よっ!女たらし!人たらし!!」
この言葉は、芸人にとって勲章である。

冒頭にも申したように、
今、上方落語情報誌『んなあほな』の執筆中である。
春駒師に関して、何かエピソードをお持ちの方あれば、
是非、お寄せ頂きたい。
桂蝶六のホームページはこちらから
取りかかっている。
今回、ぼくの担当記事は『桂春駒追悼特集』である。
何とかゴールデンウィークの発行に間に合わせねばならない。
本当はここでブログなど書いている場合ではないのだが、
ちょっと”ひと休み”しながらこれを書いている。

上方落語協会情報誌『んなあほな』へのお問い合わせはこちら
桂春駒師・訃報記事はこちら
ところで、先週の日曜日は久しぶりの『田辺寄席』。
開演までのしばらく、
舞台袖で文太師匠からお話を伺った。
「駒ちゃんなあ、あいつは芝居やってたさかいなあ、
人物の描写なんか、細かいとこまでよう考えてたでえ」
仁智師匠、雀三郎師匠、春駒師匠、文太師匠は、昭和46年入門の同期組である。
ついでに言うと、
きん枝師匠、春駒師匠、パントマイムの北京一師匠、劇団『往来』の代表は、
高校の同級生である。何とも濃いクラスメートだ。
「駒ちゃんの車なあ。確か(ミヤコ)蝶々先生に貰ったんやつ。
あのワゴンには、毛布やら洗面用具やらも積み込んであってな、
あれはおそらく車に住んでたんやと思うわ」
「地方の仕事でな、朝6時には起きんならんし、
駒ちゃんと前の晩に現地入りしようちゅうことなってな、
汚い旅館やったけどな、それでもまあ、晩酌ちゅうことなって、
えらい話が弾んでもうて、気がついたら朝の6時や。
頭はボーッとしてるし、酒はまだ残ってるし、
あれやったら当日入りにしといたら良かったなあ、ちゅうて。
そんなことばっかりしてたなあ」
「知ったかぶりするおっさんて、どこにでもおるやろ?
落語のことで、わしらに知識ばっかりひけらかして、
それがまた、合ってたらええねんけど、
何の本で読んだんか知らんけど、ええ加減やねん。
わしなんか、まあ、この人はこういう人やからしゃあないと、
適当にお相手をすんねんけど、駒ちゃんはあかんなあ。
黙ってられへんねん。かかっていきよんねんなあ」

高座に向かう文太師匠
この辺りの”正義感”については、
自身がインタビューに応えている。(下記アドレス)
繁昌亭で会いましょう「桂春駒が語る」
以下は「春駒師を偲んでお別れ会」のあと、
ぼくがFBに綴った文章である。
【兄貴へ、ありがとうございました】
ぼくが高座にいるとき、兄貴は舞台袖にいてくれた。
ぼくが下りてきたとき、兄貴はぼくに手招きをして、
できるだけ人目につかぬところで助言をくれた。
「・・・わしは春蝶兄貴にそれを教えてもうた。
お前、兄貴の弟子やろ。お前はそれを盗らなあかんで」
翌日、手直しをして高座に上がった。お客の反応が変わった。
春駒兄貴に礼を言うと、「なっ」と軽く微笑んでくれた。
お別れ会で一人のお茶子さんがぼくにこんなことを話してくれた。
「先日、蝶六師匠が座布団の色の選び方を褒めてくれたでしょ。
私、あの時、落ち込んでて・・・だから、とても嬉しかったんです。
それに何だか、春駒師匠に言われてる気がして・・・」
・・・・・・一見、強面の春駒師匠だが、皆が一様に、
「ほんまに優しい人やった」と言う理由がとてもよく分かった。

繁昌亭の前で微笑む桂春駒兄貴
ところで、先日はある落語会の打ち上げに参加した。
先日亡くなった春駒兄貴が深く関わっていた寄席ということもあり、
話題は自然と兄貴の話で持ちきりになった。
女性スタッフが春駒兄貴を偲びつつこう語った。
「春駒さんって、一言で言うたら”ツンデレ”やねえ」
「ツンデレ?」
「だって、最初はどこか冷たく感じるんやけど、
後で、ホンマはめっちゃ優しいのがグンとくるねん」
ツンデレかあ・・・・・・そう言えば、ぼくにも経験がある。
ぼくにとって春駒兄貴はとても怖い存在だった。
どこか近寄りがたいオーラを発していたが、
いつの頃からか、ぼくにもよく助言を下さるようになって、
ホンマはごっつい優しい兄貴だなあと思うようになった。
「よう見てたよ。スタッフのことも・・・・・・もぎりの仕方とか、
お茶子のこととか、すっごい注意されるけど、後で褒められるのよ」
「どんなふうに?」
「”ああ、そいでええねん”ちゅうて、ぶっきらぼうに」
「一言だけ?」
「そう、一言だけ」
「ほいで、フフって鼻で笑うんやろ」
「そうそう!」(一同、同感)
それにしても、彼女らは春駒兄貴のことを
ずいぶん好きだったんだなあ。
「よっ!女たらし!人たらし!!」
この言葉は、芸人にとって勲章である。

冒頭にも申したように、
今、上方落語情報誌『んなあほな』の執筆中である。
春駒師に関して、何かエピソードをお持ちの方あれば、
是非、お寄せ頂きたい。
桂蝶六のホームページはこちらから
- 関連記事
-
- 232.祝うて三度でご出棺~別れの言葉はサヨナラじゃなくて~ (2020/05/08)
- 231.黒子に魅せられて~家とブロマイドとぼく~ (2020/04/04)
- 123.落語のすすめ~きたまえ亭コラム全12編~ (2014/12/30)
- 106.桂春駒兄貴を偲んで~ツンデレの人~ (2014/03/18)