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110.避難する権利を認めてほしい~ある一家の場合~

山田町震災後の町
以前、住宅が密集していた地域。無残にも家の基礎だけが残った。山田町にて。

2011年7月24日。
あの震災からすでに4カ月以上が過ぎていた。
ぼくはその光景を目の当たりにして
「何で?・・・」と呟いたまま、
その後の言葉が全く続かなかった。

同行したメンバー等もみんな同じことだった。
家の基礎だけが残されたその広い更地が
ずっと遠く向うの方まで続いていた。
鉄筋の枠だけの建物はまるでオブジェのようだった。

山田町慰問団
山田町を訪れた芸能慰問団。
ちんどん通信社の林幸治郎や岡奈々、演歌流しの田浦高志、大衆演劇の役者らが参加した。
前列、右から二人目がぼく。


コラム:ぼくの見た山田町


……あれから3年。恥ずかしながら、
いつしか遠い過去、薄らいだ記憶の彼方に
葬り去ろうとしている自分に気づいた。

震災はまだ終わってはいない。

つい先日のことである。
大阪府交野市である講演会が開かれた。
落語塾のメンバーが関わっているということもあり、ぼくは足を運んでみた。

ぼくはこれほどまでに
「伝えたい」という思いをもって、
人前に立ったことがあっただろうか。


講演者は福島県郡山からの避難者であった。
森松明希子さん。
彼女の自宅は10階建ての8階部分。
にも関わらず、その部屋は水深15センチほどの被害を被った。
各戸に備えられた給水タンクが傾いたのだ。

彼女は、夫と3歳の男の子、生後5カ月の女の子との四人家族。
一家はそれからしばらく避難所で暮らし始めた。
テレビから伝えられる避難指示、屋内退去の命令。
でも、一家の住む郡山はそのこととはほとんど無縁だった。

その円は数キロ圏内から10キロ、20キロ……日々広がっていった。
そんな危機感のなかで
「ここは60キロも離れているから大丈夫」。
そう思い込むようにした。

でも、長男が通う幼稚園の園長はこう言った。
「これからは必ず長袖・長ズボンで来てください」。
……放射能対策であった。


外で遊べない子どもたち。
週末は高速道路を使ってふつうの公園に子どもを連れだした。
やがて、5月の連休がやってきた。
夫は彼女にこう言った。
「関西に10日ほど母子だけでも行ってみてはどうか」。
彼女の郷里は兵庫県伊丹市である。
でも、彼女は夫に反対した。
「それよりも家財道具を揃えたり生活を整えることの方が」。
結局、夫の熱心な説得に押される形で、
母子3人は関西にやってきた。

そこで初めて知った福島の現状。
関西と福島では、
報道の内容に大きな違いがあった。


関西のニュース番組では、解説者がチェルノブイリと比較して
「福島はとても人が住めるところではない」と力説していた。
福島では皆無といっていいほどの報道のされ方であった。
ああそういえば、福島を去ったいった友人が言っていた。

「外から福島を見ればよく分かるよ」。

……ああ、このことだったのか。
関西での報道をきっかけに母子は福島を出た。

今、連日ニュース番組を賑わせているのが、
韓国の「セウォル号」沈没事件。
自ら危険を察し逃げた人、アナウンスを信じそこに留まった人。
彼女は、韓国のこの事件にも触れ、思わず涙ぐんだ。

「本当のことを知らされなかった悲劇」
「とどまれ」と言われたから、そこにいた。
信じたために命を落とした。



一家の居住区は強制避難区域でない。
「避難する」こと自体、勝手に避難したという扱いで、
何の保証もされずにほったらかしのままなのである。

この一家の問題と、セウォル号の事件は
全く符合している。

信用や信頼感の失われた社会。
「誰の言葉を信じればいいのか?」



私の言動が、風評被害をまき散らすという方がおられるかも
知れません。故郷を「人の住めない土地」だと言って欲しく
ない、とおっしゃる方もいるのかも知れません。実際私は、
二年半の間ずっと、声を上げることによって傷つく人がいる
かも知れないと思って沈黙してきました。何かおかしい、変
だと思っている人が声を上げづらくなっている、という現実
を見てきました。しかし、声を上げないでいると、ただ単に
なかったことにされるだけで、誰も救いの手を差し伸べては
くれないのです。それだけならまだしも、住んでいる人がい
るのをよいことに「復興」「がんばろう東北」の名の下に「
福島は安全・安心」キャンペーンがはられ、避難した人を異
端者扱いする風潮
もあります。これでは、ますます声を上げ
づらく、言論の自由も奪われていきます。そして真実が闇に
葬り去られていく。
母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで


……避難するもとどまるも自由だ。
「避難する権利を認めて欲しい」


……森松明希子さんは、涙をこらえながらこう語った。

母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで母子避難、心の軌跡―家族で訴訟を決意するまで
(2013/12/26)
森松 明希子

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……今回知った強制避難区域に指定されていないことでの苦難。

震災はまだ終わってはいない。

……避難するもとどまるも自由だ。
「避難する権利を認めて欲しい」




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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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