117.チンドン・あめちゃん・寄席囃子
蝶六改メ、三代目桂花團治襲名 - 2014年09月05日 (金)
チンドンを生んだのは飴ちゃんである。
昔、大阪千日前のテキ屋さんのところに『飴勝』という若い衆。
この方は飴を売る口上が実に上手い。
その頃、大阪では寄席のポスターを禁止されていた。
「それじゃあ」ということで、頼みの綱となったのがこの『飴勝』さんであった。
『飴勝』さんは、飴売り口上の節で寄席を宣伝して廻った。
すると、これがかなりの評判となり、
やがてこの方は「代理宣伝業」を生業とするようになった。
つまり、これが「チンドン屋」さんのルーツである。
このことはものがたり芸能と社会に詳しい。
さて、実はこのたび、私事だが、ぼくの独演会に
チンドン屋さんがゲストで出演してくれることになった。
ここは誰もが認める日本一のチンドン屋さんである。

え?チンドンが寄席の舞台に?と思われる方もあろう。
しかし、そもそも芸の多くは大道芸から始まっている。
落語も野天から始まった。
江戸中期、米沢彦八なる人物が、
谷町九丁目・生国魂神社の境内において
よしず張りの小屋で落語を演じたと文献にもある。
座布団の前の小机=見台は、その名残でもある。
これを小拍子と張り扇でパチパチ叩き、道行く人の気を惹き寄せた。

毎年九月になると開催される『彦八まつり』
年に一度の、落語家による落語ファンへの感謝デーだ。
高座はもちろん、境内の屋台も落語家が担当している。
『彦八まつり実行委員会へのリンク ↓↓↓
http://www.kamigatarakugo.jp/hikohachi_img/14/24%20hikohachi%20flyer.pdf

能狂言も、元はといえば屋外で演じられていた。
能舞台の背景にある鏡板の老松はその名残。
さて先日、ぼくは独演会の打ち合わせをするため、
谷町六丁目にあるチンドン通信社を訪れた。

こちらの営業を取り仕切っている猪俣はじめさんには
大阪芸術大学の落研時代からずいぶんお世話になっている。
(ぼくは一年で学校を卒業させて頂いたが)

大阪芸術大学落研出身の三名。
(左からぼく、笑福亭生喬、猪俣はじめ氏)
ぼくは、打ち合わせの際、こう切り出した。
「トリ(最後の演目)の前のモタレなので、
あまりコッテリやられても困るし、
サラッとやって頂いて、なおかつ感心も得心もさせて・・・・・・」
すると、猪俣さんのこう応えられた。
「ええ、うちは相手を立てるのが仕事ですから」。
ぼくは先輩に対し、
何という愚問を投げかけたのだろう。
そう言えば、昔、代表の林幸治郎氏が、
著書のなかでこんなことをおっしゃっていた。
「チンドンの音楽は
歓迎する人たちばかり相手にしていられない。
聞きたくない人まで視野に入れ、
尊重せないかん宿命がある。
しかも、そんな彼等の存在を肯定的にとらえる事で、
逆に自分たちの居場所を大いに確保していくという
ややこしい関係になっているんです」。
つまり、常に自分たちの立ち位置をはかりながら
練り歩いていくのがチンドン屋。
チンドン屋は究極のモタレ芸でもある。
「芸人は行く先々の水に合わねば」の
王道を歩んでいる。
『コラム:チンドンと落語』へのリンク ↓↓↓
http://choroku569.blog.fc2.com/blog-entry-30.html
ところで今回、『ちんどん通信社』は『囃子座』という名に変え、
チンドンの代名詞ともいうべきのメイクも無しにすっぴんである。

『ちんどん通信社』の古参3名で結成された『囃子座』。
左から、小林信之介、林幸治郎、ジャージ川口。
野天から小屋に移り、落語は「仕方咄」という形に発展した。
これは身振り手真似をまじえた咄。つまり、今の落語である。
落語の「物語性」も小屋なくしては完成しなかった。
チンドンもまた、小屋に入ることで、
新たなカスタマイズを繰り返していくことになるだろう。
チンドンがいずれ
寄席の定番になるのは
間違いない。
歴史が物語るように、
チンドンは「飴ちゃん」から生まれた
大阪発祥の文化である。
同時に、大阪のおばちゃん文化は
「飴ちゃん」なしには語れない。
そして、近い将来、千日前あたりで、
『彦八まつり』ならぬ『飴勝まつり』が開かれたなら、
ぼくは真っ先に駆けつけよう。
その前に、まず
NHK大阪は、朝の連続ドラマ小説
『あまちゃん』ならぬ、
『あめちゃん』を制作すべきである。
桂蝶六の公式サイトはここをクリック
昔、大阪千日前のテキ屋さんのところに『飴勝』という若い衆。
この方は飴を売る口上が実に上手い。
その頃、大阪では寄席のポスターを禁止されていた。
「それじゃあ」ということで、頼みの綱となったのがこの『飴勝』さんであった。
『飴勝』さんは、飴売り口上の節で寄席を宣伝して廻った。
すると、これがかなりの評判となり、
やがてこの方は「代理宣伝業」を生業とするようになった。
つまり、これが「チンドン屋」さんのルーツである。
このことはものがたり芸能と社会に詳しい。
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さて、実はこのたび、私事だが、ぼくの独演会に
チンドン屋さんがゲストで出演してくれることになった。
ここは誰もが認める日本一のチンドン屋さんである。

え?チンドンが寄席の舞台に?と思われる方もあろう。
しかし、そもそも芸の多くは大道芸から始まっている。
落語も野天から始まった。
江戸中期、米沢彦八なる人物が、
谷町九丁目・生国魂神社の境内において
よしず張りの小屋で落語を演じたと文献にもある。
座布団の前の小机=見台は、その名残でもある。
これを小拍子と張り扇でパチパチ叩き、道行く人の気を惹き寄せた。

毎年九月になると開催される『彦八まつり』
年に一度の、落語家による落語ファンへの感謝デーだ。
高座はもちろん、境内の屋台も落語家が担当している。
『彦八まつり実行委員会へのリンク ↓↓↓
http://www.kamigatarakugo.jp/hikohachi_img/14/24%20hikohachi%20flyer.pdf

能狂言も、元はといえば屋外で演じられていた。
能舞台の背景にある鏡板の老松はその名残。
さて先日、ぼくは独演会の打ち合わせをするため、
谷町六丁目にあるチンドン通信社を訪れた。

こちらの営業を取り仕切っている猪俣はじめさんには
大阪芸術大学の落研時代からずいぶんお世話になっている。
(ぼくは一年で学校を卒業させて頂いたが)

大阪芸術大学落研出身の三名。
(左からぼく、笑福亭生喬、猪俣はじめ氏)
ぼくは、打ち合わせの際、こう切り出した。
「トリ(最後の演目)の前のモタレなので、
あまりコッテリやられても困るし、
サラッとやって頂いて、なおかつ感心も得心もさせて・・・・・・」
すると、猪俣さんのこう応えられた。
「ええ、うちは相手を立てるのが仕事ですから」。
ぼくは先輩に対し、
何という愚問を投げかけたのだろう。
そう言えば、昔、代表の林幸治郎氏が、
著書のなかでこんなことをおっしゃっていた。
「チンドンの音楽は
歓迎する人たちばかり相手にしていられない。
聞きたくない人まで視野に入れ、
尊重せないかん宿命がある。
しかも、そんな彼等の存在を肯定的にとらえる事で、
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つまり、常に自分たちの立ち位置をはかりながら
練り歩いていくのがチンドン屋。
チンドン屋は究極のモタレ芸でもある。
「芸人は行く先々の水に合わねば」の
王道を歩んでいる。
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ところで今回、『ちんどん通信社』は『囃子座』という名に変え、
チンドンの代名詞ともいうべきのメイクも無しにすっぴんである。

『ちんどん通信社』の古参3名で結成された『囃子座』。
左から、小林信之介、林幸治郎、ジャージ川口。
野天から小屋に移り、落語は「仕方咄」という形に発展した。
これは身振り手真似をまじえた咄。つまり、今の落語である。
落語の「物語性」も小屋なくしては完成しなかった。
チンドンもまた、小屋に入ることで、
新たなカスタマイズを繰り返していくことになるだろう。
チンドンがいずれ
寄席の定番になるのは
間違いない。
歴史が物語るように、
チンドンは「飴ちゃん」から生まれた
大阪発祥の文化である。
同時に、大阪のおばちゃん文化は
「飴ちゃん」なしには語れない。
そして、近い将来、千日前あたりで、
『彦八まつり』ならぬ『飴勝まつり』が開かれたなら、
ぼくは真っ先に駆けつけよう。
その前に、まず
NHK大阪は、朝の連続ドラマ小説
『あまちゃん』ならぬ、
『あめちゃん』を制作すべきである。
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