130.襲名挨拶まわり
蝶六改メ、三代目桂花團治襲名 - 2015年04月11日 (土)
襲名に際し各師匠方を順にご挨拶にまわるのがこの世界の習わし。
漆の盆には、扇子、手ぬぐい、挨拶状の三点セット。
黒紋付きの羽織、袴に身を包み、
各師匠方、新聞社を順にご挨拶してまわります。

今回、付き人を務めてくれたのが、小春團治兄の弟子、治門くん。
お盆もまた、小春團治兄からの借りもんです。
このたびは春團治師匠の代行として、
一門筆頭の福團治師匠に同行していただきました。

まず、朝一番は春團治師匠宅に集合。


「ほんまはわしが行かんならんとこやが、
この通り、身体が思うように動かんさかい、福團治、頼んだで。
皆にくれぐれもよろしゅう言うといてや」と春團治師匠。
ハッと、頭を垂れる福團治師匠。
春團治師匠は、ぼくにとって、
師匠(故・先代春蝶)の師匠、つまり大師匠にあたる。
福團治師匠は、師匠の兄弟子。
この両師匠のやりとりに
ぼくの緊張はどんどん高まるばかりだ。
ぼくより先に襲名したある後輩がぼくにこう言った。
「兄さん、襲名するって、頭下げてまわることでっせ」
確かにそうだ。
けれど、それ以上に、
周囲の先輩方に頭を下げてもらうことでもある。
現に、福團治師匠がそうだし、
うちの師匠のすぐ下の弟弟子にあたる春之輔師匠なんか、
襲名が決まるまでの間、どんだけ頭を下げたことやら。
なんだか、とても申し訳ない。

文枝会長の事務所にお邪魔しました。そこには、きん枝師匠の姿も。


この日、体調がすぐれないながらもざこば師匠。
「じゅうぶんなおもてなしができずスマン」と恐縮がりながらも、ずいぶんねぎらってくださいました。


ぼくがよく演じさせてもらっている「豊竹屋」は、こちらで稽古をつけていただきました。

「狭いとこでごめんな」と八方師匠。NGKの出番終わりにお邪魔しました。
今回の制作を担当してくれている藤井百々女史が、
挨拶まわりにも同行。こんなコメントを寄せてくれた。
独特の作法、
師匠方や新聞各社から掛けられる期待のお言葉、
春團治師匠の代理として
後見人を務められた福團治師匠の男気溢れる姿、
そして、日を追って顔つきが変わっていく蝶六さん。
「襲名」とは「名跡をもらう」ことではなくて、
「名跡に恥じない姿になっていく」ための仕組みであり
儀式であるのだとあらためて思いました。

手前が藤井百々さん。パンフレットや挨拶状の編集・校正やデザイナーとのやり取り、
関係者同士の打ち合わせの日程調整や、ぼくのスケジュール管理まで、制作の多くを現在委託している。

芸能史家の前田憲司先生は、文枝会長はじめ、文都、文之助、菊丸・・・・・・
と襲名の監修を一手に引き受けている。
上方では唯一の「襲名請負人」でもある。そんな先生の語るエピソードに談笑する場面。
ところで、ぼくにはかつて「成人式」で苦い思い出がある。
二十歳のぼくは師匠の家に住み込みだったので、
いつものように着古して毛玉だらけのセーターにエプロンをかけて、
黙々と家の用事をこなしていた。
師匠の奥さんが、テレビのニュースを見ながらぼくに言った。
「あら、蝶六さん、今日ひょっとして成人式とちゃうのん?」
「ええ、まあ、そうですけど」
「家の用事なんかええから、早よ行っといで」
ぼくは一番こましな服を着て成人式の会場に駆け付けた。
テカテカに光ったヨレヨレのスーツだった。
会場にいる同世代の者が光って見えた。
とてもその恰好でそのなかに入っていく勇気はなかった。
キラキラ輝く同級生を柱の陰から眺めていた。
豊中市民会館だった。
「どうせまだ内弟子で半人前にも満たない身。
成人式なんて、まだ出るべきやないんや」
自分にそう言い聞かせて、会場を後にした。
師匠の家に戻ると、奥さんがいた。
「あれ、蝶六さん、えらい早いんやねえ」
「ええ、ぼくはまだ子どもですから」
わけの分からん返事。
けど、その時、それがぼくにとって精一杯の強がりだった。
新聞社まわりをした時、記者の一人がぼくにおっしゃった。
「確か師匠がお亡くなりになったのが51歳でしたよね」
「ええ、そうです」
「蝶六さんが…」
「今、52歳です。年齢だけは師匠を越えました」
師匠の生きたぶんだけ生きて、今回の襲名。
襲名が内定したとき、思い出したのがかつてのあの成人式。
それでまず思ったのが、
「黒紋付を新調しなくっちゃ」
その黒紋付も挨拶まわりでなかばヨレヨレになりつつあるが、
当日はこれを着て口上に並びます。
その日がぼくの成人式です。
そしてトリの高座は、この日のためにこしらえた色紋付。
ちょっと遊び心で「替え紋」にしてみました。
春團治一門の紋は、「花菱」。

名前から師匠からいただいた「蝶」の一字はなくなりますが、
今回、「花菱」にそっと「蝶」を忍ばせてみました。
ちょっとした遊び=替え紋です。
林家染雀くんが「こんなんありますよ」と教えてくれました。

襲名当日まであと半月。
どうかこれまでに変わらぬお引き立てのほど、
よろしくお願い申し上げます。

蝶六公式サイト「蝶の花道」はこちらから
相原正明のフォトグラフはこちらから
↑↑↑ 今回の挨拶まわりに同行してくださった相原正明先生の写真ブログ。
ほかにも、たくさんぼくの写真を撮ってくださってます。


左から前田憲司先生(芸能史研究家)、山田りこさん(初代花團治ひ孫)、ぼく、福團治師匠、桂治門くん、今井三紗子さん(福團治師匠マネージャー)、藤井百々さん(制作スタッフ)、金久寛章さん(狂言師)、花田雅史さん(ちんどん通信社)
漆の盆には、扇子、手ぬぐい、挨拶状の三点セット。
黒紋付きの羽織、袴に身を包み、
各師匠方、新聞社を順にご挨拶してまわります。

今回、付き人を務めてくれたのが、小春團治兄の弟子、治門くん。
お盆もまた、小春團治兄からの借りもんです。
このたびは春團治師匠の代行として、
一門筆頭の福團治師匠に同行していただきました。

まず、朝一番は春團治師匠宅に集合。


「ほんまはわしが行かんならんとこやが、
この通り、身体が思うように動かんさかい、福團治、頼んだで。
皆にくれぐれもよろしゅう言うといてや」と春團治師匠。
ハッと、頭を垂れる福團治師匠。
春團治師匠は、ぼくにとって、
師匠(故・先代春蝶)の師匠、つまり大師匠にあたる。
福團治師匠は、師匠の兄弟子。
この両師匠のやりとりに
ぼくの緊張はどんどん高まるばかりだ。
ぼくより先に襲名したある後輩がぼくにこう言った。
「兄さん、襲名するって、頭下げてまわることでっせ」
確かにそうだ。
けれど、それ以上に、
周囲の先輩方に頭を下げてもらうことでもある。
現に、福團治師匠がそうだし、
うちの師匠のすぐ下の弟弟子にあたる春之輔師匠なんか、
襲名が決まるまでの間、どんだけ頭を下げたことやら。
なんだか、とても申し訳ない。

文枝会長の事務所にお邪魔しました。そこには、きん枝師匠の姿も。


この日、体調がすぐれないながらもざこば師匠。
「じゅうぶんなおもてなしができずスマン」と恐縮がりながらも、ずいぶんねぎらってくださいました。


ぼくがよく演じさせてもらっている「豊竹屋」は、こちらで稽古をつけていただきました。

「狭いとこでごめんな」と八方師匠。NGKの出番終わりにお邪魔しました。
今回の制作を担当してくれている藤井百々女史が、
挨拶まわりにも同行。こんなコメントを寄せてくれた。
独特の作法、
師匠方や新聞各社から掛けられる期待のお言葉、
春團治師匠の代理として
後見人を務められた福團治師匠の男気溢れる姿、
そして、日を追って顔つきが変わっていく蝶六さん。
「襲名」とは「名跡をもらう」ことではなくて、
「名跡に恥じない姿になっていく」ための仕組みであり
儀式であるのだとあらためて思いました。

手前が藤井百々さん。パンフレットや挨拶状の編集・校正やデザイナーとのやり取り、
関係者同士の打ち合わせの日程調整や、ぼくのスケジュール管理まで、制作の多くを現在委託している。

芸能史家の前田憲司先生は、文枝会長はじめ、文都、文之助、菊丸・・・・・・
と襲名の監修を一手に引き受けている。
上方では唯一の「襲名請負人」でもある。そんな先生の語るエピソードに談笑する場面。
ところで、ぼくにはかつて「成人式」で苦い思い出がある。
二十歳のぼくは師匠の家に住み込みだったので、
いつものように着古して毛玉だらけのセーターにエプロンをかけて、
黙々と家の用事をこなしていた。
師匠の奥さんが、テレビのニュースを見ながらぼくに言った。
「あら、蝶六さん、今日ひょっとして成人式とちゃうのん?」
「ええ、まあ、そうですけど」
「家の用事なんかええから、早よ行っといで」
ぼくは一番こましな服を着て成人式の会場に駆け付けた。
テカテカに光ったヨレヨレのスーツだった。
会場にいる同世代の者が光って見えた。
とてもその恰好でそのなかに入っていく勇気はなかった。
キラキラ輝く同級生を柱の陰から眺めていた。
豊中市民会館だった。
「どうせまだ内弟子で半人前にも満たない身。
成人式なんて、まだ出るべきやないんや」
自分にそう言い聞かせて、会場を後にした。
師匠の家に戻ると、奥さんがいた。
「あれ、蝶六さん、えらい早いんやねえ」
「ええ、ぼくはまだ子どもですから」
わけの分からん返事。
けど、その時、それがぼくにとって精一杯の強がりだった。
新聞社まわりをした時、記者の一人がぼくにおっしゃった。
「確か師匠がお亡くなりになったのが51歳でしたよね」
「ええ、そうです」
「蝶六さんが…」
「今、52歳です。年齢だけは師匠を越えました」
師匠の生きたぶんだけ生きて、今回の襲名。
襲名が内定したとき、思い出したのがかつてのあの成人式。
それでまず思ったのが、
「黒紋付を新調しなくっちゃ」
その黒紋付も挨拶まわりでなかばヨレヨレになりつつあるが、
当日はこれを着て口上に並びます。
その日がぼくの成人式です。
そしてトリの高座は、この日のためにこしらえた色紋付。
ちょっと遊び心で「替え紋」にしてみました。
春團治一門の紋は、「花菱」。

名前から師匠からいただいた「蝶」の一字はなくなりますが、
今回、「花菱」にそっと「蝶」を忍ばせてみました。
ちょっとした遊び=替え紋です。
林家染雀くんが「こんなんありますよ」と教えてくれました。

襲名当日まであと半月。
どうかこれまでに変わらぬお引き立てのほど、
よろしくお願い申し上げます。

蝶六公式サイト「蝶の花道」はこちらから
相原正明のフォトグラフはこちらから
↑↑↑ 今回の挨拶まわりに同行してくださった相原正明先生の写真ブログ。
ほかにも、たくさんぼくの写真を撮ってくださってます。


左から前田憲司先生(芸能史研究家)、山田りこさん(初代花團治ひ孫)、ぼく、福團治師匠、桂治門くん、今井三紗子さん(福團治師匠マネージャー)、藤井百々さん(制作スタッフ)、金久寛章さん(狂言師)、花田雅史さん(ちんどん通信社)
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