132.襲名秘話~船乗り込み1~
蝶六改メ、三代目桂花團治襲名 - 2015年05月02日 (土)
その日はたまたま戎橋松竹のことに話が及んだ。
ぼくは時折、先代春團治夫人のもとを訪ねては昔のことを伺っている。

(左から、二代目春團治夫人、ぼく、桂治門くん(襲名の三日前、撮影:藤井百々)
戦後、大阪が焼野原になって寄席小屋も無くなった。
芸人の活躍する場が限られていた。
そこで、もともとあった映画館を改装して寄席小屋にすることが決まった。
今から68年前のことである。
その成功を祈願して催されたのが、この「船乗り込み」だった。
「あれは(花月亭)九里丸さんが考えはったんや」
「……船を路上で、ですか?」
「船というたかて、電車ごっこみたいにすんねん」
「電車ごっこ?」
「あんたら知らんか?子どもらが段ボールをこう両脇に抱えて……」
「お母はん、そのへんのところ、もうちょっと詳しゅう教えてもらえませんか?」
襲名まであと半年足らず。
にも関わらず、
ぼくの頭のなかは「電車ごっこ」でいっぱいになった。
襲名興行の監修をお願いしている芸能史研究家・前田憲司先生に相談した。
「先生、当時の写真が残ってまへんやろか?」
ほどなく先生から一枚の写真が送られてきた。
前田先生に言えば、大抵のものは出てくる。
それが下の写真。

68年前の船乗り込み
「戎橋松竹」オープンを記念して行われた「船乗り込み」。
外で人が肩に担ぐ形で船を持ち上げている。
まさに「電車ごっこ」だ。
次に、襲名事務局を担当してくれているちんどん通信社を訪ねた。

林氏もまた、全日本チンドンコンクールで10回以上の優勝歴、
NHKドラマ青空にちんどんのモデルにもなっている。
この成り行きに、何か因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
歌舞伎で、一座または俳優が興行する劇場へ到着して交わす行事を「船乗り込み」と言い、江戸時代、江戸や京都の俳優が、大阪で興行をする時は、飾りたてた船に乗って、道頓堀から劇場へ派手な「船乗り込み」が行われた。一度はこの風習も途切れたが、現在も襲名披露公演や七月歌舞伎の前などに行われている。
昭和22年9月11日。戦後大阪初の寄席として「戎橋松竹」が開場した。こけら落とし公演は出演者一同がこの伝統を真似て「船乗り込み」で劇場入りした。とはいっても、はりぼての船を電車ゴッコのようにして、お囃子を演奏しながら路上を練り歩くというもの。漫談家の花月亭九里丸(この時は故あって丹波家九里丸を名乗る)が発案した寄席芸人らしい趣向に、観衆からは喝采がわき起こり、練り歩いた五代目松鶴、二代目林家染丸、四代目桂米團治ら落語家たちは感極まり、目に涙を浮かべていたという。
今回、三代目桂花團治襲名にあたり、これにならって4月20日に池田市石橋商店街で「船乗り込み」を行った。船は放送芸術学院専門学校のみなさんの協力を得て制作。参考にした船の写真は、今回の船乗り込みでお囃子を担当した、ちんどん屋を営まれる東西屋からの提供。68年前に陸上船乗り込みを発案した花月亭九里丸の実父は、東西屋九里丸を名乗ったちんどん屋の先駆けであり、何か不思議な縁を感じさせる。(襲名パンフレットより:前田憲司)
「林さん、電話で言うてた船乗り込みの話なんやけど……」
「うん、うちにこういう資料があるんや」
そう言って、代表の林幸治郎氏が差し出したのが下の写真。


林氏がある方から寄贈された。詳細は不明である。
ぼくが講師を勤める「放送芸術学院専門学校」にもお願いに上がった。
「何とか学校で製作してもらえまへんやろか?」
反応は早かった。教務課から連絡があった。
「山添先生が”是非やらしてくれ!”って言うてくれてはります」
山添先生は、文楽劇場で大道具を担当されている。
ちなみに「杉本文楽」の舞台監督を務められたのも山添先生だ。
「これをぜひ授業に取り入れましょう」
山添先生が監修して、学生たちが製作に取り掛かった。
ただ、製作に要する時間はあまりなかった。
授業とはいえ、学生らは夜を徹しての作業となった。
監修する山添先生もまた忙しい最中にあった。
折しも、二代目吉田玉男襲名を目前にしていた。
「玉男さんの初日が開けたら、ぼくもちょっと落ち着きますから」

その頃、ぼくは船乗り込み会場となる「石橋商店街」からもせっつかれていた。
「いろいろ解決せないかん問題もあるから、まず現物を見せてほしい」
当然のことである。
ぼくは内心焦りながらも、少し誇らしい気持ちでいた。
「かたや玉男さん、かたや花團治かあ……」
文楽の一大イベント「吉田玉男襲名」にあやかれそうな気がした。
その傍らで、襲名披露も含め「落語ウィーク」の制作を担当しているアゼリアホールの畑正広さん、
ぼくのプロデュースやマネージメント業務を担当してくれている藤井百々さん、
その他大勢の方々が、ぼくの思いや大風呂敷に振り回されていた。

藤井百々さんと、桂治門くん(撮影:相原正明)
「すんまへん」「ごめんなさい」がぼくの口癖になった。
課題はまだまだ山積みだった。
・・・・・・続きは次号で。

小春團治兄と梅團治兄が前の手綱を引いてくれた。(撮影:相原正明)

船の先導する「ちんどん通信社」(東西屋)の林幸治郎氏。(撮影:相原正明)

船の上で演奏するジャージ川口氏(太鼓)と、小林信之介氏(太鼓)

「船乗り込み」に使われた船は、現在、大和郡山城ホールに展示されている。
左から、上田市長、ぼく、「芸能文化を伝承する会」代表の三川美恵子さん(撮影:藤井百々)
ただいま工事中ですが
桂花團治公式サイト
いつも追いかけてもらっています。
相原正明つれづれフォトブログ
ぼくは時折、先代春團治夫人のもとを訪ねては昔のことを伺っている。

(左から、二代目春團治夫人、ぼく、桂治門くん(襲名の三日前、撮影:藤井百々)
戦後、大阪が焼野原になって寄席小屋も無くなった。
芸人の活躍する場が限られていた。
そこで、もともとあった映画館を改装して寄席小屋にすることが決まった。
今から68年前のことである。
その成功を祈願して催されたのが、この「船乗り込み」だった。
「あれは(花月亭)九里丸さんが考えはったんや」
「……船を路上で、ですか?」
「船というたかて、電車ごっこみたいにすんねん」
「電車ごっこ?」
「あんたら知らんか?子どもらが段ボールをこう両脇に抱えて……」
「お母はん、そのへんのところ、もうちょっと詳しゅう教えてもらえませんか?」
襲名まであと半年足らず。
にも関わらず、
ぼくの頭のなかは「電車ごっこ」でいっぱいになった。
襲名興行の監修をお願いしている芸能史研究家・前田憲司先生に相談した。
「先生、当時の写真が残ってまへんやろか?」
ほどなく先生から一枚の写真が送られてきた。
前田先生に言えば、大抵のものは出てくる。
それが下の写真。

68年前の船乗り込み
「戎橋松竹」オープンを記念して行われた「船乗り込み」。
外で人が肩に担ぐ形で船を持ち上げている。
まさに「電車ごっこ」だ。
次に、襲名事務局を担当してくれているちんどん通信社を訪ねた。

林氏もまた、全日本チンドンコンクールで10回以上の優勝歴、
NHKドラマ青空にちんどんのモデルにもなっている。
この成り行きに、何か因縁めいたものを感じずにはいられなかった。
歌舞伎で、一座または俳優が興行する劇場へ到着して交わす行事を「船乗り込み」と言い、江戸時代、江戸や京都の俳優が、大阪で興行をする時は、飾りたてた船に乗って、道頓堀から劇場へ派手な「船乗り込み」が行われた。一度はこの風習も途切れたが、現在も襲名披露公演や七月歌舞伎の前などに行われている。
昭和22年9月11日。戦後大阪初の寄席として「戎橋松竹」が開場した。こけら落とし公演は出演者一同がこの伝統を真似て「船乗り込み」で劇場入りした。とはいっても、はりぼての船を電車ゴッコのようにして、お囃子を演奏しながら路上を練り歩くというもの。漫談家の花月亭九里丸(この時は故あって丹波家九里丸を名乗る)が発案した寄席芸人らしい趣向に、観衆からは喝采がわき起こり、練り歩いた五代目松鶴、二代目林家染丸、四代目桂米團治ら落語家たちは感極まり、目に涙を浮かべていたという。
今回、三代目桂花團治襲名にあたり、これにならって4月20日に池田市石橋商店街で「船乗り込み」を行った。船は放送芸術学院専門学校のみなさんの協力を得て制作。参考にした船の写真は、今回の船乗り込みでお囃子を担当した、ちんどん屋を営まれる東西屋からの提供。68年前に陸上船乗り込みを発案した花月亭九里丸の実父は、東西屋九里丸を名乗ったちんどん屋の先駆けであり、何か不思議な縁を感じさせる。(襲名パンフレットより:前田憲司)
「林さん、電話で言うてた船乗り込みの話なんやけど……」
「うん、うちにこういう資料があるんや」
そう言って、代表の林幸治郎氏が差し出したのが下の写真。


林氏がある方から寄贈された。詳細は不明である。
ぼくが講師を勤める「放送芸術学院専門学校」にもお願いに上がった。
「何とか学校で製作してもらえまへんやろか?」
反応は早かった。教務課から連絡があった。
「山添先生が”是非やらしてくれ!”って言うてくれてはります」
山添先生は、文楽劇場で大道具を担当されている。
ちなみに「杉本文楽」の舞台監督を務められたのも山添先生だ。
「これをぜひ授業に取り入れましょう」
山添先生が監修して、学生たちが製作に取り掛かった。
ただ、製作に要する時間はあまりなかった。
授業とはいえ、学生らは夜を徹しての作業となった。
監修する山添先生もまた忙しい最中にあった。
折しも、二代目吉田玉男襲名を目前にしていた。
「玉男さんの初日が開けたら、ぼくもちょっと落ち着きますから」

その頃、ぼくは船乗り込み会場となる「石橋商店街」からもせっつかれていた。
「いろいろ解決せないかん問題もあるから、まず現物を見せてほしい」
当然のことである。
ぼくは内心焦りながらも、少し誇らしい気持ちでいた。
「かたや玉男さん、かたや花團治かあ……」
文楽の一大イベント「吉田玉男襲名」にあやかれそうな気がした。
その傍らで、襲名披露も含め「落語ウィーク」の制作を担当しているアゼリアホールの畑正広さん、
ぼくのプロデュースやマネージメント業務を担当してくれている藤井百々さん、
その他大勢の方々が、ぼくの思いや大風呂敷に振り回されていた。

藤井百々さんと、桂治門くん(撮影:相原正明)
「すんまへん」「ごめんなさい」がぼくの口癖になった。
課題はまだまだ山積みだった。
・・・・・・続きは次号で。

小春團治兄と梅團治兄が前の手綱を引いてくれた。(撮影:相原正明)

船の先導する「ちんどん通信社」(東西屋)の林幸治郎氏。(撮影:相原正明)

船の上で演奏するジャージ川口氏(太鼓)と、小林信之介氏(太鼓)

「船乗り込み」に使われた船は、現在、大和郡山城ホールに展示されている。
左から、上田市長、ぼく、「芸能文化を伝承する会」代表の三川美恵子さん(撮影:藤井百々)
ただいま工事中ですが
桂花團治公式サイト
いつも追いかけてもらっています。
相原正明つれづれフォトブログ
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