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134.襲名秘話~船乗り込み3~

花團治襲名披露、暖簾から花團治



(前号からの続き)



「くるしまたけひこ、ですかぁ?」
「そう、久留島武彦!」


「くるしまたけひこ」という名前は初耳だった。


大和郡山の上田市長は話を続けられた。


大和郡山は
古事記の編纂者、
語り部のルーツ「稗田阿礼」の出身地であること。
「阿礼祭」を始められたのは
「久留島武彦」先生であること。



ぼくは市長が持参した「こをろこをろ」に酔いしれながら、
「くるしまたけひこ」という文字を
ぐるんぐるんになりながらも手帳に残した。


「こおろこおろ」は地元の中谷酒造が造った酒で、
名前は「古事記」の一節に由来している。

日本の国ができる前イザナギ、イザナミの二人が
長い矛で海をかきまわすと
「こをろこをろ」としたたり落ちた塩が積み重なり、
ひとつの島ができました。(古事記より)


こをろこをろ

自宅に戻ったぼくはネットを探り始めた。
列車のなかで爆睡したせいか、
意外にそのときはギンギンに目が冴えていた。


「久留島武彦」

大分県玖珠町の出身。
日本全国を口演童話(童話の読み聞かせ)をして回った。
デンマークにあるアンデルセンの墓が荒れ放題だったのに心を痛め、
行く先々でアンデルセンの復権を訴えたことから、
デンマークの人々が「日本のアンデルセン」と呼ぶようになった。


頼まれればどんな所へも「口演童話」に出かけた。
たった14~15人に話すために伝馬船に乗って瀬戸内海の小島に渡ったこともあった。


久留島武彦は、「アンデルセン」に匹敵する「咄の神様」
「稗田阿礼」が最もふさわしいと提唱。

昭和5年(1930年)大和郡山・売太神社にて
「阿礼祭」が始まった。


以来、それは今も毎年8月16日に行われている。

子どもに語る久留島武彦
口演童話を語る久留島武彦先生


さて、上田市長と呑んだ翌日、
たまたまぼくは、淀屋橋界隈をうろうろしていた。

どこかで一杯やってから帰ろう。

ふと思いついたのが老松町の店だった。
一度だけ、競馬実況アナの吉田勝彦先生に連れてもらった店「矢乃」。

ぼくのなかでは、なぜか久留島武彦のことが大きく残っていた。

「確かあのマスターも大分出身だったよなあ」
「あのマスターは聞き上手だし・・・・・・」
ぼくは引き込まれるように、その店の暖簾をくぐった。

吉田先生と矢乃にて
吉田勝彦先生と「矢乃」にて。
ちなみに先生は実況回数においてギネス世界記録に認定されておられる。



「あの、マスターは確か大分出身ですよね」
「ええ、私は大分の人間です」
「あの、久留島武彦っていう人をご存じですか?」

その言葉の瞬間、マスターの顔色がサッと変わった。
何か悪いことを言ってしまったのだろうかと思った。


次に、マスターは姿勢を正してこうおっしゃった。

「久留島先生は、我が玖珠町の誇りであります!」

ぼくはその言い方が軍隊調であまりに可笑しかったので、
プッと笑いそうになった。


しかし、その時カウンターに居合わせた5~6人のお客全員もまた、
はっきりとぼくの方を向いていた。(『睨んでいた』かもしれない)


「師匠、なんでまた久留島先生の話を?」


ぼくは、前日に市長から伺ったことをそのまま話した。


「そうでしたか。師匠ね、私ら玖珠町の人間で、
久留島先生を知らん者は誰もおらんとです。
もし、知らなかったらモグリです」


さっきまで店の外に出ていた女性が隣に戻ってきた。
彼女は携帯電話をかけるため、途中から席を外していた。

坐るなり、彼女はぼくにこう言った。
「師匠ね、さっき久留島先生の音源が欲しいって言ったでしょ。おそらく来週ぐらいには手に入るから」
「え?どこに電話してはったんですか?」

「小学校のときのわたしの担任。『久留島武彦記念館』の館長してらしたから」


そのとき店内にいたお客の大半が、
たまたま大分県玖珠町の出身だった。


何という奇遇だろう。


みなが「久留島武彦」を語り始めた。




以来、稗田阿礼、久留島武彦の名は、
「咄の神様」として、ぼくの脳裏に刻み込まれた。



そのときのことをぼくはブログにも記している。

久留島武彦に関すること

かたりべの里の碑の前で

………

あれから二年経ち、襲名の話が持ち上がった。
「船乗り込み」の話になった。
行事が終わったあとの「船」の置き場所について話し合った。
いくつか候補が上がった。
ふと思いついたのが「大和郡山」だった。

あそこは何といっても「かたりべの町」。

「あの人に相談したら何とかしてくれるかもしれない」


その日は大和郡山での「狂言稽古」の日。
もちろん、ぼくもその教室に参加していた。

主宰の三川美恵子さんは落語会も主催して下さっている。


「三川さん、船を、”落語のまち”池田から、”かたりべの里”大和郡山へというのはどうやろ?」
「ちょっと待ってや」


それから三川さんはあちらこちらへ電話をかけ始めた。
わずか30分ほどして、

「まあ、あとは返事を待つだけ。何とかなるでしょ」


三川さんの働きで、

稗田阿礼ゆかりの「売太神社」での「奉納落語」。
「船」は大和郡山城ホールのロビーに展示することに。
大和郡山城ホールでも襲名披露公演を開催することに。


「船」の搬入日には、市長や宮司さんが手厚く出迎えて下さった。


売太神社、社の前で船
左から、上田市長、ぼく、宮司夫妻、三川美恵子さん
郡山城ホールに展示された船
左から、上田市長、ぼく、三川美恵子さん

言い忘れたが、最初に上田市長に出会わせてくれたのも、
三川美恵子さんだった。

三川さんとは「浄土真宗・親鸞聖人遠忌」の催しでご一緒して以来、
ずっとお世話になっている。



「落語のまち・いけだ」から
「かたりべの里・大和郡山」へ。


奈良新聞、船寄贈


もし、市長のあの一言のおかげで、
ぼくは思わぬ拾い物をしたと思っている。


「点」から「線」へ。
次の「点」へ繋いでいきたい。



襲名の大和郡山公演では、
入門直後から親しくさせてもらっているタージンも、
口上の司会として参加してくれる。
タージンは当地で「金魚すくい」の司会を長年担当している。
タージンの嫁さんは、大和郡山のご出身。
タージンと小春團治兄は、高校の後輩と先輩。


なんや楽しい会になりそうやなぁ。
そうそう、襲名の監修をしてくださっている芸能史研究家・前田憲司先生によると、
先生のご出身・四日市と大和郡山も歴史的に深いつながりがあるそうな。



金魚の泳ぐ城下町


9月11日(金)18時30分~
大和郡山城小ホール

三川美恵子社中(箏曲)
桂小梅
桂小春團治
桂福團治
中入り
口上(司会:タージン)
囃子座(滑稽音曲)
桂花團治




桂花團治公式サイト





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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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