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13.照らされて

「定吉」「旦那さん、何ぞご用で?」
「先ほどお前に言いつけておいた金魚鉢の水は替えてやったかいな」
「へえ、替えておきました」
「で、どこの水を入れてやった?」
「へい、あの、銅壺の」
「ドウコ?これ、胴壷と言うたら湯と違うか」「へえ、そうでおます」
「そうでおます?・・それで金魚はどうしてますな?」
「結構な風呂ができたなあてな顔してええ具合に横になって寝てはります」
「そら何をするのじゃ。死なしてしまってどうもならんな。
何故私の言うたように井戸の水を入れてやらんのじゃ」
「井戸の水を入れてやろうと思ってたんです。
けど、うちの井戸は濁ってドロドロでんねん」
「どうもならんな。うちの井戸は浅いから、雨が降るとすぐに濁ってしまう。
・・そう言えば薬屋の大将が言うてなはった。
井戸の水の濁ったのにはミョウバンを入れてやるとすぐに澄むという事を聞いてる。
・・そうや、おまはん、これから横町の薬屋へ行って明礬を買ってきなはれ」

上方落語には商家を舞台にした作品が多い。
奉公人である丁稚の定吉の年齢は七、八つといったところ。
この後、定吉はミョウバンを買いに出かけるが、
ミョウバンという言葉を忘れてしまい
、薬屋で「コンバンおくれ」と言ってしまう。
しかし、それで買えるわけもなく、そのまま戻ってきて「
旦那さん、そんなもん置いて無い、って言うてはりましたで」
「ない?薬屋さんに無いてなことはないが・・・それで、どう言うて買いに行ったんや?」
「コンバンおくれ、って言いました」
「今晩?ようそんなアホなことを言うたな・・・コンバンと違う。私の言うたのはミョウバンじゃ」
「ああ、一晩違いで売ってくれなかった」。

これは「明礬丁稚」という落語。
小品ながらもよくできた咄だ。

この咄を演じる際の私の心得として、
子供はできるだけ屈託なく無邪気に可愛らしく観客に映るよう心掛けている。

例えば、咄の冒頭に丁稚が鉢の中の金魚を殺してしまうと
いった件が出てくるが、
この時に旦那は軽く咎めはするものの
決して本気で丁稚を叱り飛ばすことのないようにしている。
あくまで丁稚は「仕様のない奴」だが「可愛いやつ」として接するのである。

つまり、丁稚を「可愛い奴」と観客に見てもらうには、
丁稚ばかりを可愛らしく演じようとするのではなく、
旦那を始めとする周りの環境が丁稚に対して
「可愛いやつ」という眼差しで接してあげるのである。
そうすれば自然に丁稚は可愛い存在として観客にも映るであろう。
落語の中の丁稚に対する旦那の眼差しはそのまま観客の眼差しでもある。

愛情をもって接すれば、素直な態度で返ってくる。
憎しみや怒りをもって接すれば、反発的な態度で返ってくる。
落語も同じだ。
落語は一人で演じていても、
旦那が憤りをぶつけるような態度で臨めば、
子供も自然と刃向かうような言葉遣いで返してしまうもの。や
はり、当の子供ばかりを可愛く演じてもそうは見えない。

 おおらかな度量をもった旦那に、無邪気で屈託ない憎めない子供。
このように理想的なコミュニティー=人間関係も落語の身上だ。
その各々の人格や立ち位置は周りの環境で作っていく。

私自身も今何とかこうやって「落語家」という
立ち位置でいられるのも周りのおかげである。

朝露に輝く草はとても美しいが、自身で光っているわけではない。
陽に照らされてこそだ。

「露草のつゆ、身に光るもの持たず」。

落語はそう教えてくれている。(了)
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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

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