154.正月なので獅子舞について考えてみた~チンドン屋の流儀~
「ちんどん通信社」は実に居心地がいい。
お正月の仕事始めといえば、
ここ数年「チンドン通信社」と現場が一緒である。
今年もやっぱり現れた。それも「獅子舞」として。
ぼくにとって、新春の寿ぎはあの篠笛の音色と共にある。
![DSCF7573[1]_convert_20160105173233](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160105173821e51.jpg)
![DSCF7627[1]_convert_20160105173301](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160105173824035.jpg)
![DSCF7598[1]_convert_20160105173147](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160105173822795.jpg)
上の一枚目が「ホテルニューオオタニ大阪」、二枚目が尼崎「ショッピングセンターつかしん」にて。元旦は「ホテルニューオータニ大阪」で落語、二日は「つかしん」で狂言でした。三枚目は、二枚目と同じく「つかしん」にて、金久寛章さんと狂言を演じているところ。
ブログ:金久寛章の狂言教室はこちらから
ところで、この獅子のモデルはライオンとされている。
メソポタミアや古代エジプトの前身にあたる古代アッシリアでは、
ライオンは権力や王の象徴であった。
そう言えばエジプトに見られるスフィンクスの身体がライオンである。
それがインドを経て中国に伝わり、
空想上の動物として獅子が生まれた。
日本には仏教と共に紹介されたというのが定説になっている。
先日、知人から獅子舞の身体の柄について問われたが、
見慣れているはずなのにぼくは全く思い出すことができなかった。
「唐草ではなかったか」と確認してみれば全く違っていた。
正解は渦巻きである。
これもライオンの名残だそうで、
若いライオンに一時的に現れるつむじを文様化しているらしい。
また、ライオンを元に空想から生まれたこの獅子は
邪気を食べてくれるというので、
いつもその前には親子連れの長い行列ができる。
ついでに申し上げると、文殊菩薩の乗っているのが獅子である。
獅子は文殊の使い。「三人寄れば文殊の知恵」という諺もある。
「獅子に噛んでもらうと賢くなる」というのはそういう所以からだろう。
また、獅子舞の胴体が緑色なのは文殊の乗る獅子が青毛獅子だからである。
昔は緑色のことを青色といった。
……薀蓄の羅列はこれぐらいに。

さて、この獅子舞部隊であるが、「ちんどん通信社」だけで5チームもあるらしい。
毎年チンドン屋ならぬ「獅子舞部隊」がその日の仕事を終え、
事務所に戻って来たところで毎年恒例の大宴会が始まる。
いつしかぼくもその宴に参加させてもらうのが毎年の恒例である。
いつもここはとても居心地がいい。
![DSCF7638[1]_convert_20160105172930](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/2016010517382586b.jpg)
![DSCF7641[1]_convert_20160105173915](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/201601051739416dd.jpg)
なかなか皆が帰りたがらないいつもの宴会。林幸治郎代表の「ぼちぼち寝ますわ」が御披楽喜の合図。
ところで、「ちんどん通信社」は
自他ともに認める練り歩きのプロである。
チンドンであれ獅子舞であれ、
その舞台の多くが劇場など演技するための専門空間ではなく、
人々が行き交う共有空間であるということだ。
座長の林幸治郎は著書『チンドン屋!幸治郎』のなかでこう述べる。
「路上で何かやるにあたっては、様々なテリトリーの境界とか、その隙間とかを手掛かりにしながら、周辺に対して注意深く手順を踏まえてコミュニケーションをとっていくことが大事です」。
例えばホテルのロビーや商店街など周囲に応じて音を大きくしたり落としたり……
あくまで「憚りながら」という基本姿勢。
獅子だからといって威張っているわけにはいかない。
獅子の顔に驚いて泣きそうな子がいれば、
獅子の使い手はニコニコ顔で近寄り徐々に慣らしてから頭を噛む。
依頼主はショッピングセンターであっても
そこに来るお客さん方にとってはまるで予期せぬ存在である。
植木等のように「お呼びでない、こりゃまた失礼しました」も十分在り得る。
日常という空間のなかに突如割って入ってくる
非日常的な存在ならではの流儀は常に相手側の気持ちを意識することから始まる。
……と、ここまで書いて、
「ちんどん通信社」の集りが
なぜ心地良いかという理由が今はっきり分かったような気がする。
ぼくはずいぶん彼らに気を遣わせているんだなぁ。
今回の原稿は、懇意にさせてもらっている熊本の転職支援・紹介派遣の会社「リフティングブレーン」社さんの社報誌「リフブレ通信」の連載コラムのために書き下ろしたものです。いつも考えるきっかけを与えて下さって心より感謝です。
株式会社リフティングブレーンのサイト
花團治の公式サイトはこちらから

お正月の仕事始めといえば、
ここ数年「チンドン通信社」と現場が一緒である。
今年もやっぱり現れた。それも「獅子舞」として。
ぼくにとって、新春の寿ぎはあの篠笛の音色と共にある。
![DSCF7573[1]_convert_20160105173233](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160105173821e51.jpg)
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上の一枚目が「ホテルニューオオタニ大阪」、二枚目が尼崎「ショッピングセンターつかしん」にて。元旦は「ホテルニューオータニ大阪」で落語、二日は「つかしん」で狂言でした。三枚目は、二枚目と同じく「つかしん」にて、金久寛章さんと狂言を演じているところ。
ブログ:金久寛章の狂言教室はこちらから
ところで、この獅子のモデルはライオンとされている。
メソポタミアや古代エジプトの前身にあたる古代アッシリアでは、
ライオンは権力や王の象徴であった。
そう言えばエジプトに見られるスフィンクスの身体がライオンである。
それがインドを経て中国に伝わり、
空想上の動物として獅子が生まれた。
日本には仏教と共に紹介されたというのが定説になっている。
先日、知人から獅子舞の身体の柄について問われたが、
見慣れているはずなのにぼくは全く思い出すことができなかった。
「唐草ではなかったか」と確認してみれば全く違っていた。
正解は渦巻きである。
これもライオンの名残だそうで、
若いライオンに一時的に現れるつむじを文様化しているらしい。
また、ライオンを元に空想から生まれたこの獅子は
邪気を食べてくれるというので、
いつもその前には親子連れの長い行列ができる。
ついでに申し上げると、文殊菩薩の乗っているのが獅子である。
獅子は文殊の使い。「三人寄れば文殊の知恵」という諺もある。
「獅子に噛んでもらうと賢くなる」というのはそういう所以からだろう。
また、獅子舞の胴体が緑色なのは文殊の乗る獅子が青毛獅子だからである。
昔は緑色のことを青色といった。
……薀蓄の羅列はこれぐらいに。

さて、この獅子舞部隊であるが、「ちんどん通信社」だけで5チームもあるらしい。
毎年チンドン屋ならぬ「獅子舞部隊」がその日の仕事を終え、
事務所に戻って来たところで毎年恒例の大宴会が始まる。
いつしかぼくもその宴に参加させてもらうのが毎年の恒例である。
いつもここはとても居心地がいい。
![DSCF7638[1]_convert_20160105172930](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/2016010517382586b.jpg)
![DSCF7641[1]_convert_20160105173915](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/201601051739416dd.jpg)
なかなか皆が帰りたがらないいつもの宴会。林幸治郎代表の「ぼちぼち寝ますわ」が御披楽喜の合図。
ところで、「ちんどん通信社」は
自他ともに認める練り歩きのプロである。
チンドンであれ獅子舞であれ、
その舞台の多くが劇場など演技するための専門空間ではなく、
人々が行き交う共有空間であるということだ。
座長の林幸治郎は著書『チンドン屋!幸治郎』のなかでこう述べる。
「路上で何かやるにあたっては、様々なテリトリーの境界とか、その隙間とかを手掛かりにしながら、周辺に対して注意深く手順を踏まえてコミュニケーションをとっていくことが大事です」。
例えばホテルのロビーや商店街など周囲に応じて音を大きくしたり落としたり……
あくまで「憚りながら」という基本姿勢。
獅子だからといって威張っているわけにはいかない。
獅子の顔に驚いて泣きそうな子がいれば、
獅子の使い手はニコニコ顔で近寄り徐々に慣らしてから頭を噛む。
依頼主はショッピングセンターであっても
そこに来るお客さん方にとってはまるで予期せぬ存在である。
植木等のように「お呼びでない、こりゃまた失礼しました」も十分在り得る。
日常という空間のなかに突如割って入ってくる
非日常的な存在ならではの流儀は常に相手側の気持ちを意識することから始まる。
……と、ここまで書いて、
「ちんどん通信社」の集りが
なぜ心地良いかという理由が今はっきり分かったような気がする。
ぼくはずいぶん彼らに気を遣わせているんだなぁ。
今回の原稿は、懇意にさせてもらっている熊本の転職支援・紹介派遣の会社「リフティングブレーン」社さんの社報誌「リフブレ通信」の連載コラムのために書き下ろしたものです。いつも考えるきっかけを与えて下さって心より感謝です。
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