15.落語の立ち位置
全ての表現物はプロパガンダである。
どういう立場から描くかによって同じ歴史上の出来事であっても
全く趣が変わってしまう。
例えば、能や歌舞伎の題材にもなっている「藤戸」の戦い。
今からおよそ800年前、日本では源平の戦いが繰り広げられていた。
藤戸は当時の地名で今の岡山県倉敷市の辺り。
小島が点々と並ぶ比較的浅瀬の多いところだ。
そこで源氏と平家は海を挟んでのにらみ合いを続けていた。
源氏はすぐにでも攻め入りたかったが、
平家に船を取られて身動きが取れない。
一方、平家の方は「敵は船がないのだからどうせ攻めては来ない」と
詩歌や管弦に優雅なひとときを過ごしていた。
この時、源氏の大将佐々木盛綱はある一人の漁師と出会い
名案を授けて貰った。
「この辺りは比較的浅瀬が多いところなので、
その浅瀬を行けば舟が無くとも難なく平氏の陣地にたどりつくことができます」
とその場所まで教えてくれた。
ところが、盛綱はこの恩人ともいうべき漁師を何と
その場でバッサリと斬り殺してしまったのだ。
・・・それから盛綱は見事平氏の陣地に乗り込み、
味方の勝利へと結びつけた。
これが「藤戸」の戦いの大まかなあらすじ。
ところで、盛綱は何故漁師を殺す必要があったのか?
この時の源氏の総大将は源範頼である。
盛綱はその配下にあった。
こういった戦において上手く勝利を治めたとしても
先陣を切ったものとそれ以外では褒美に雲泥の差が生じる。
漁師に方法を教わった盛綱はこの時こう考えた。
「この漁師は同じ源氏の他の者にも教えるに違いない。
そうなると自分への褒美が減ってしまうことになる
・・私には家来がいる。その家来には家族がある。
その彼らの生活を守るというのが大将としての私の使命だ。
・・そうだ。漁師を殺してしまおう」。
さて、歌舞伎ではこの場面の後、馬に跨り英雄然とした盛綱の登場となる。
「家来やその家族の生活をよくぞ守った。それでこそ大将。偉いぞ、盛綱!」
というように歌舞伎において盛綱は大ヒーローとしての描かれ方だ。
一方、能はというとその真逆になる。
最初の場面は、勝利を収めた盛綱が藤戸を治めることになって
当地を訪れた場面から始まる。
と、そこへ現れたのが一人の老婆。
彼女は持っていた蓑を赤ん坊に見立ててこう語り出した。
「私には息子が居りました。女手ひとつで大切に育て、
立派に成人してよく働き本当に親孝行な息子でした。
そんなある日、息子はあるお侍に勝利に繋がる浅瀬の場所を
教えたにも関わらず、あろうことかそのお侍に無残にも
斬り殺されてしまったのです。
この老いさらばえた私はこの先どうやって生きていけばいいのでしょう。
どうか私も同じように殺して下さい」。
しかし盛綱は「それがどうした」と反省の色すらない。
するとその時、海が荒れて一匹の龍神が現れ盛綱に襲いかかった。
龍神は実はこの漁師の化身だった。
盛綱は龍神の前に膝まづき必死で許しを乞うた。
両者を比較すると、歌舞伎でのヒーローが能では全くの悪者である。
ちなみに作品が生まれたのは、明らかに室町の能の方が先で
江戸の歌舞伎はこれを元に作られている。
このように演出が大きく変えられたのには理由がある。
江戸幕府が能の演出を嫌ったからに他ならない。
為政者にとって都合の悪い思想に基づくものは全て排除する必要があった。
それほど幕府の威光は強かったのである。
つまり、歌舞伎が強者の論理なら能は弱者のそれである。
落語は・・勿論、弱者側からのメッセージでなければならないと私は思っている。
能狂言が生まれたのは幕府誕生の前で、
落語の一番華やかな時期は閉幕時以降に迎えているというのは面白い符合だ。
「お前が死んだら真相は全て闇の中だ。すまん。会社のために死んでくれ」。
このような「少数を切り捨て多勢を守る」という社会慣習は
哀しいかな今もなお生きている。(了)
どういう立場から描くかによって同じ歴史上の出来事であっても
全く趣が変わってしまう。
例えば、能や歌舞伎の題材にもなっている「藤戸」の戦い。
今からおよそ800年前、日本では源平の戦いが繰り広げられていた。
藤戸は当時の地名で今の岡山県倉敷市の辺り。
小島が点々と並ぶ比較的浅瀬の多いところだ。
そこで源氏と平家は海を挟んでのにらみ合いを続けていた。
源氏はすぐにでも攻め入りたかったが、
平家に船を取られて身動きが取れない。
一方、平家の方は「敵は船がないのだからどうせ攻めては来ない」と
詩歌や管弦に優雅なひとときを過ごしていた。
この時、源氏の大将佐々木盛綱はある一人の漁師と出会い
名案を授けて貰った。
「この辺りは比較的浅瀬が多いところなので、
その浅瀬を行けば舟が無くとも難なく平氏の陣地にたどりつくことができます」
とその場所まで教えてくれた。
ところが、盛綱はこの恩人ともいうべき漁師を何と
その場でバッサリと斬り殺してしまったのだ。
・・・それから盛綱は見事平氏の陣地に乗り込み、
味方の勝利へと結びつけた。
これが「藤戸」の戦いの大まかなあらすじ。
ところで、盛綱は何故漁師を殺す必要があったのか?
この時の源氏の総大将は源範頼である。
盛綱はその配下にあった。
こういった戦において上手く勝利を治めたとしても
先陣を切ったものとそれ以外では褒美に雲泥の差が生じる。
漁師に方法を教わった盛綱はこの時こう考えた。
「この漁師は同じ源氏の他の者にも教えるに違いない。
そうなると自分への褒美が減ってしまうことになる
・・私には家来がいる。その家来には家族がある。
その彼らの生活を守るというのが大将としての私の使命だ。
・・そうだ。漁師を殺してしまおう」。
さて、歌舞伎ではこの場面の後、馬に跨り英雄然とした盛綱の登場となる。
「家来やその家族の生活をよくぞ守った。それでこそ大将。偉いぞ、盛綱!」
というように歌舞伎において盛綱は大ヒーローとしての描かれ方だ。
一方、能はというとその真逆になる。
最初の場面は、勝利を収めた盛綱が藤戸を治めることになって
当地を訪れた場面から始まる。
と、そこへ現れたのが一人の老婆。
彼女は持っていた蓑を赤ん坊に見立ててこう語り出した。
「私には息子が居りました。女手ひとつで大切に育て、
立派に成人してよく働き本当に親孝行な息子でした。
そんなある日、息子はあるお侍に勝利に繋がる浅瀬の場所を
教えたにも関わらず、あろうことかそのお侍に無残にも
斬り殺されてしまったのです。
この老いさらばえた私はこの先どうやって生きていけばいいのでしょう。
どうか私も同じように殺して下さい」。
しかし盛綱は「それがどうした」と反省の色すらない。
するとその時、海が荒れて一匹の龍神が現れ盛綱に襲いかかった。
龍神は実はこの漁師の化身だった。
盛綱は龍神の前に膝まづき必死で許しを乞うた。
両者を比較すると、歌舞伎でのヒーローが能では全くの悪者である。
ちなみに作品が生まれたのは、明らかに室町の能の方が先で
江戸の歌舞伎はこれを元に作られている。
このように演出が大きく変えられたのには理由がある。
江戸幕府が能の演出を嫌ったからに他ならない。
為政者にとって都合の悪い思想に基づくものは全て排除する必要があった。
それほど幕府の威光は強かったのである。
つまり、歌舞伎が強者の論理なら能は弱者のそれである。
落語は・・勿論、弱者側からのメッセージでなければならないと私は思っている。
能狂言が生まれたのは幕府誕生の前で、
落語の一番華やかな時期は閉幕時以降に迎えているというのは面白い符合だ。
「お前が死んだら真相は全て闇の中だ。すまん。会社のために死んでくれ」。
このような「少数を切り捨て多勢を守る」という社会慣習は
哀しいかな今もなお生きている。(了)
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