159.東京進出を拒んだ二代目春蝶~大阪落語の発祥から形成まで~
最後に、花團治・東京3月公演のお知らせがございます。
「枝雀くんも、ざこばくんも、三枝くんも
みんな来てくれた。けどな、一人だけ、
頼みを聞いてくれへんかった奴がいてる。
それが君とこの師匠や!」
君とこの師匠とは、つまり、ぼくの師匠である二代目桂春蝶
(1993年1月4日没、享年51)のこと。
なんともうちの師匠らしいエピソードです。

内弟子の頃に師匠一家と並んで撮って頂いたのはこれ一枚きり。
ぼくにとって、大変貴重な写真です。
手前の男の子が今の(三代目)春蝶くん。
江戸中期、初代米沢彦八は、
生国魂(いくたま)神社の境内において辻咄を演じました。
よしず張りの小屋に通りすがりの客を引き込んで演じました。
これが大阪における職業としての落語家のはじめです。
このことから
米沢彦八は、「上方落語家の祖」と呼ばれています。


毎年9月の第一土曜日曜に、生国魂神社において
落語家ファン感謝デー「彦八まつり」が催されています。
一方、江戸末期、初代桂文治は、
坐摩神社の境内に小屋を建て、はじめて仕方咄を演じました。
仕方咄とは、身振り手振りを加えた咄。
つまり、今の落語の形です。
このことから初代桂文治は、
「上方落語中興の祖」と呼ばれるようになりました。




2011年、上方落語協会会長・桂文枝師匠の呼びかけで、
坐摩神社境内に「上方落語寄席発祥の地」の顕彰碑が建てられました。
生国魂神社と坐摩神社は、
大阪を代表する聖地です。
大阪の落語の発祥と形成に、
この二つの地が大きく絡んでいるということが興味深い。
生国魂神社は、その名の通り、
生きた霊魂(生タマ)を操るのに巧みな
古代の巫女が神懸かりするための施設であった。
つまりそこは、典型的なシャーマニズム系神社であり、
そのために、時代が下ると、
芸能力を授けてくれる神社として、
浄瑠璃から歌舞伎まで
幅広い芸能者の信仰を集めるようになっていた。
(大阪アースダイバー、中沢新一、講談社、2012年)
「坐摩神社」は、地元では
「ざまさん」と呼ばれ親しまれていますが、
正式な読み方は、「イカスリ神社」です。
イカスリ=居所知、
「ここにいることを知る」という意味です。
石町にある旧坐摩神社と、上町台地地上にあった
古代河内王朝の王宮を結ぶ線を、
生駒山地の方に伸ばしていくと高安山にぶつかることになるが、
その高安山に冬至の日にあらわれた太陽は、
まっすぐ旧坐摩神社に光を届けるように配置されている。
つまり、旧坐摩神社のあった場所では、かつて、
冬至の日に最初に光を迎える儀式がおこなわれ、
その光を受けて巫女が神の子供を生むという
ファンタジーが語られていた。
(大阪アースダイバー、中沢新一、講談社、2012年)
ところで、上方落語の特徴のひとつとしてよく取り上げられるのが、
見台・膝隠しの存在です。
これは米沢彦八が、辻咄でお客を引き込む際に、
お客の気を寄せるために叩いたと言われています。
映画「男はつらいよ」で渥美清演じる
フーテンの寅さんの叩き売りのようなものです。
![DSCF8112[1]_convert_20160306170819](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160306171024aba.jpg)
![DSCF8111[1]_convert_20160306170802](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160306171022e42.jpg)
では、米沢彦八がなぜわざわざ野天にて落語を始めたのか?
それは、座敷に上げてもらえなかったからです。
ぼくが小学校の頃にはまだ、学校の先生が
「勉強がでけへんかったら、吉本へでも行かなしゃあない」
というような、今では考えられないような発言を、
当たり前のように口にしていました。
かつて大阪の芸人は
世間からずいぶん下に見られていたのです。
これもある方から伺った話ですが、
エンタツ・アチャコの座付きとしても知られる秋田實先生は、
漫才作家になる前は、戦前、学生運動にのめり込み、
当局からかなり目をつけられていたそうです。
それで身動きが取れなくなり漫才作家に転向した。
当局の方も、
「芸人の世界へ行ったなら、もうかめへん、
相手にせんでもええ、放っとけ」
てなもんで、つまり、芸界入りは
「結界の向こうに行った」ことを意味していました。
一方、江戸では鹿野武左衛門という方が、
江戸落語の祖として知られていますが、
こちらの方は、
ずいぶん早くからお座敷にて落語を始めたんやそうです。
だから見台の必要がなかった。
上方落語と江戸落語の趣の違いは、
案外こんなところに由来しているのかも知れません。
さて、東京と申しますと、
ぼくが入門して間もない頃、
うちの師匠がお客さんからの質問に応える形で、
こんなコトバを口にされました。
「東京へは行きまへん。
何でて、こんな身体でっしゃろ。
なんせ輸送疲れしますねん」
その言い方が何とも可笑しく、
そのくせ妙に説得力があって、側で聞いていて、
思わずプッと吹き出したのを覚えています。
このことについて、
「花王名人劇場」などのプロデューサーとしても知られる
澤田隆治先生からこんな話を伺いました。
「わしがお願いしたら、
枝雀くんも、ざこばくんも、三枝くんも
番組に呼んだらみんな飛んで来てくれた。
けどな、一人だけ、
頼みを聞いてくれへんかった奴がいてる。
それが君とこの師匠や!
……東京には魔物が住んでいると言いよったんや」
ひょっとして、大のタイガースファンだけに、
東京では身の危険を感じたのかも知れません。
そのはっきりとした理由は定かではありませんが、
これを聴いて、ぼくはいかにも師匠らしいなと、
何だか嬉しくなってきました。

昨年8月2日、東京・国立演芸場にて、澤田隆治先生と。
幸い、ぼくは輸送疲れも平気ですし、
魔物に会ってみたい気もしますので、
どんどん東京でも公演を打っていこうかと思っています。

昨年、初めて出演させて頂いた新宿・末廣亭にて。
常に10人以上の前座さんが楽屋番として常駐しておられます。
大阪の繁昌亭では楽屋番二人体制なのに、ビックリポンです。
そんなわけで、際に迫りました、
花團治・東京3月公演のお知らせをさせて頂きます。

👉3月19日、イシスフェスタの詳細は
こちらをクリックしてご覧くださいませ。

👉伊勢佐木寄席の詳細は
こちらをクリックしてご覧くださいませ。

👉3月24日、らくごカフェの詳細は
こちらをクリックしてご覧くださいませ。
◆東京は、
ぼくにとって新天地であります。
右も左もわかりませぬゆえ、
どうか皆様方のお力添えを
よろしくお願い申し上げます。
👉👉👉花團治オフィシャルサイトは、こちらから
「枝雀くんも、ざこばくんも、三枝くんも
みんな来てくれた。けどな、一人だけ、
頼みを聞いてくれへんかった奴がいてる。
それが君とこの師匠や!」
君とこの師匠とは、つまり、ぼくの師匠である二代目桂春蝶
(1993年1月4日没、享年51)のこと。
なんともうちの師匠らしいエピソードです。

内弟子の頃に師匠一家と並んで撮って頂いたのはこれ一枚きり。
ぼくにとって、大変貴重な写真です。
手前の男の子が今の(三代目)春蝶くん。
江戸中期、初代米沢彦八は、
生国魂(いくたま)神社の境内において辻咄を演じました。
よしず張りの小屋に通りすがりの客を引き込んで演じました。
これが大阪における職業としての落語家のはじめです。
このことから
米沢彦八は、「上方落語家の祖」と呼ばれています。


毎年9月の第一土曜日曜に、生国魂神社において
落語家ファン感謝デー「彦八まつり」が催されています。
一方、江戸末期、初代桂文治は、
坐摩神社の境内に小屋を建て、はじめて仕方咄を演じました。
仕方咄とは、身振り手振りを加えた咄。
つまり、今の落語の形です。
このことから初代桂文治は、
「上方落語中興の祖」と呼ばれるようになりました。




2011年、上方落語協会会長・桂文枝師匠の呼びかけで、
坐摩神社境内に「上方落語寄席発祥の地」の顕彰碑が建てられました。
生国魂神社と坐摩神社は、
大阪を代表する聖地です。
大阪の落語の発祥と形成に、
この二つの地が大きく絡んでいるということが興味深い。
生国魂神社は、その名の通り、
生きた霊魂(生タマ)を操るのに巧みな
古代の巫女が神懸かりするための施設であった。
つまりそこは、典型的なシャーマニズム系神社であり、
そのために、時代が下ると、
芸能力を授けてくれる神社として、
浄瑠璃から歌舞伎まで
幅広い芸能者の信仰を集めるようになっていた。
(大阪アースダイバー、中沢新一、講談社、2012年)
「坐摩神社」は、地元では
「ざまさん」と呼ばれ親しまれていますが、
正式な読み方は、「イカスリ神社」です。
イカスリ=居所知、
「ここにいることを知る」という意味です。
石町にある旧坐摩神社と、上町台地地上にあった
古代河内王朝の王宮を結ぶ線を、
生駒山地の方に伸ばしていくと高安山にぶつかることになるが、
その高安山に冬至の日にあらわれた太陽は、
まっすぐ旧坐摩神社に光を届けるように配置されている。
つまり、旧坐摩神社のあった場所では、かつて、
冬至の日に最初に光を迎える儀式がおこなわれ、
その光を受けて巫女が神の子供を生むという
ファンタジーが語られていた。
(大阪アースダイバー、中沢新一、講談社、2012年)
ところで、上方落語の特徴のひとつとしてよく取り上げられるのが、
見台・膝隠しの存在です。
これは米沢彦八が、辻咄でお客を引き込む際に、
お客の気を寄せるために叩いたと言われています。
映画「男はつらいよ」で渥美清演じる
フーテンの寅さんの叩き売りのようなものです。
![DSCF8112[1]_convert_20160306170819](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160306171024aba.jpg)
![DSCF8111[1]_convert_20160306170802](http://blog-imgs-88.fc2.com/c/h/o/choroku569/20160306171022e42.jpg)
では、米沢彦八がなぜわざわざ野天にて落語を始めたのか?
それは、座敷に上げてもらえなかったからです。
ぼくが小学校の頃にはまだ、学校の先生が
「勉強がでけへんかったら、吉本へでも行かなしゃあない」
というような、今では考えられないような発言を、
当たり前のように口にしていました。
かつて大阪の芸人は
世間からずいぶん下に見られていたのです。
これもある方から伺った話ですが、
エンタツ・アチャコの座付きとしても知られる秋田實先生は、
漫才作家になる前は、戦前、学生運動にのめり込み、
当局からかなり目をつけられていたそうです。
それで身動きが取れなくなり漫才作家に転向した。
当局の方も、
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相手にせんでもええ、放っとけ」
てなもんで、つまり、芸界入りは
「結界の向こうに行った」ことを意味していました。
一方、江戸では鹿野武左衛門という方が、
江戸落語の祖として知られていますが、
こちらの方は、
ずいぶん早くからお座敷にて落語を始めたんやそうです。
だから見台の必要がなかった。
上方落語と江戸落語の趣の違いは、
案外こんなところに由来しているのかも知れません。
さて、東京と申しますと、
ぼくが入門して間もない頃、
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このことについて、
「花王名人劇場」などのプロデューサーとしても知られる
澤田隆治先生からこんな話を伺いました。
「わしがお願いしたら、
枝雀くんも、ざこばくんも、三枝くんも
番組に呼んだらみんな飛んで来てくれた。
けどな、一人だけ、
頼みを聞いてくれへんかった奴がいてる。
それが君とこの師匠や!
……東京には魔物が住んでいると言いよったんや」
ひょっとして、大のタイガースファンだけに、
東京では身の危険を感じたのかも知れません。
そのはっきりとした理由は定かではありませんが、
これを聴いて、ぼくはいかにも師匠らしいなと、
何だか嬉しくなってきました。

昨年8月2日、東京・国立演芸場にて、澤田隆治先生と。
幸い、ぼくは輸送疲れも平気ですし、
魔物に会ってみたい気もしますので、
どんどん東京でも公演を打っていこうかと思っています。

昨年、初めて出演させて頂いた新宿・末廣亭にて。
常に10人以上の前座さんが楽屋番として常駐しておられます。
大阪の繁昌亭では楽屋番二人体制なのに、ビックリポンです。
そんなわけで、際に迫りました、
花團治・東京3月公演のお知らせをさせて頂きます。

👉3月19日、イシスフェスタの詳細は
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👉伊勢佐木寄席の詳細は
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右も左もわかりませぬゆえ、
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よろしくお願い申し上げます。
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