169.江戸落語にあって上方落語にないもの~例えば真打制度~
上方落語にあって、江戸落語にないもの。
まず「見台」と「膝隠し」。
これはかつて落語が野天で演じられたときの名残。
見台を、小拍子木と張り扇でパチパチ叩いて、
その音で通行人の気を引き寄せ、よしず張りの小屋の中へ客を招いた。
映画「男はつらいよ」では、フーテンの寅さんによる「叩き売り」。
あれに似ている。

見台と膝隠しと座布団
わざわざ野天で演じたのは、
「座敷へ上げてもらえなかったからだ」という説がある。
芸人自体、下に見られていた。蔑まれていた。
そう言えば、ぼくが小学生の頃、担任の先生が
「勉強せえへん子は、吉本へでも行け」などと
言っていたのを覚えている。
今なら大問題になりそうな発言だ。
「狂言」「能」「歌舞伎」「落語」・・・・・・
芸能は世間からのはみ出し者が演じ育ててきた。
「仲間から外れる」ということは
「その集団を外から眺める」ということ。
そうやって、社会の弱者であった先達たちは、
些細で微弱な現象に対し、
目を凝らし、耳を澄ます術を身につけていった。
「落語」のもつ諧謔性や反骨性といったものは、
そんな環境が育んだのかもしれない。


米沢彦八という人物は、生国魂神社の境内によしず張りの小屋を張り、
そこで落語を演じた。これが上方落語の発祥。
今も、9月の第一土日には、「彦八まつり」が催されている。

桂文枝と上方落語プルメリアボーイズ(2015年彦八まつり)
「彦八まつり2016」の情報はこちらをクリックくださいませ。
一方、江戸落語にあって上方落語にないもの。
それは「真打制度」。
入門して間がない頃、ぼくは師匠に聞いたことがある。
「何で大阪に真打ち制度おまへんねやろか」「要らんやろ。ええか悪いか、そん時どきのお客が決めはるがな。そん時の高座で、お前がお客を納得させられたら、そん時の真打はお前や。……たまには高座で俺をびびらさんかい!」
クレジットや肩書きを重視する東京と、
実利主義の大阪の土壌の違いなんでしょうかねえ。

撮影:相原正明(2015年8月2日・東京国立演芸場)
ところで、江戸落語と上方落語を比較したとき、
よく話題に上るのが、喜六と与太郎――阿呆と馬鹿。
両者は、上方と江戸の違いだけでなく、
実は似て非なるものである。
与太郎には欲のかけらもないが、喜六は欲望の塊である。
与太郎はただの能天気だが、喜六には小賢しい一面がある。
与太郎は日がな一日ボーっと暮らしているが、
喜六は欲望があるゆえ目的が生じて、自ら行動を起こす。
自ら行動を起こすことがない与太郎は、
物語の主役を張ることがほとんどない。
しかし、喜六はいつだって主役である。
ただ、両者に言えることは、
周囲から愛されているということ。
ことに喜六に関していえば、
小賢しくて、欲望の塊で、
憎まれ口のひとつも叩く。
行動派の半面、失敗も多い。
おっちょこちょい。人たらし。
ぼくはそんな喜六が大好きだ。
ちなみに「阿呆」とは、
大阪人にとって、立派な「褒め言葉」です。

「花團治の宴-en-の詳細はこちらをクリックくださいませ。
今回の「花團治の宴-en-」では、“喜六ばなし”はございませんが、
落語『豊竹屋』では、しっかり女房がうっかり亭主にこんな一言を発します。
「なんで、こんな人と一緒になったんやろ」
字面では伝わりませんが、なんともいえんエエ言葉やと思とります。
この亭主もそんな「阿呆」の一人です。
「花團治公式サイト」はこちらをクリックくださいませ。
まず「見台」と「膝隠し」。
これはかつて落語が野天で演じられたときの名残。
見台を、小拍子木と張り扇でパチパチ叩いて、
その音で通行人の気を引き寄せ、よしず張りの小屋の中へ客を招いた。
映画「男はつらいよ」では、フーテンの寅さんによる「叩き売り」。
あれに似ている。

見台と膝隠しと座布団
わざわざ野天で演じたのは、
「座敷へ上げてもらえなかったからだ」という説がある。
芸人自体、下に見られていた。蔑まれていた。
そう言えば、ぼくが小学生の頃、担任の先生が
「勉強せえへん子は、吉本へでも行け」などと
言っていたのを覚えている。
今なら大問題になりそうな発言だ。
「狂言」「能」「歌舞伎」「落語」・・・・・・
芸能は世間からのはみ出し者が演じ育ててきた。
「仲間から外れる」ということは
「その集団を外から眺める」ということ。
そうやって、社会の弱者であった先達たちは、
些細で微弱な現象に対し、
目を凝らし、耳を澄ます術を身につけていった。
「落語」のもつ諧謔性や反骨性といったものは、
そんな環境が育んだのかもしれない。


米沢彦八という人物は、生国魂神社の境内によしず張りの小屋を張り、
そこで落語を演じた。これが上方落語の発祥。
今も、9月の第一土日には、「彦八まつり」が催されている。

桂文枝と上方落語プルメリアボーイズ(2015年彦八まつり)
「彦八まつり2016」の情報はこちらをクリックくださいませ。
一方、江戸落語にあって上方落語にないもの。
それは「真打制度」。
入門して間がない頃、ぼくは師匠に聞いたことがある。
「何で大阪に真打ち制度おまへんねやろか」「要らんやろ。ええか悪いか、そん時どきのお客が決めはるがな。そん時の高座で、お前がお客を納得させられたら、そん時の真打はお前や。……たまには高座で俺をびびらさんかい!」
クレジットや肩書きを重視する東京と、
実利主義の大阪の土壌の違いなんでしょうかねえ。

撮影:相原正明(2015年8月2日・東京国立演芸場)
ところで、江戸落語と上方落語を比較したとき、
よく話題に上るのが、喜六と与太郎――阿呆と馬鹿。
両者は、上方と江戸の違いだけでなく、
実は似て非なるものである。
与太郎には欲のかけらもないが、喜六は欲望の塊である。
与太郎はただの能天気だが、喜六には小賢しい一面がある。
与太郎は日がな一日ボーっと暮らしているが、
喜六は欲望があるゆえ目的が生じて、自ら行動を起こす。
自ら行動を起こすことがない与太郎は、
物語の主役を張ることがほとんどない。
しかし、喜六はいつだって主役である。
ただ、両者に言えることは、
周囲から愛されているということ。
ことに喜六に関していえば、
小賢しくて、欲望の塊で、
憎まれ口のひとつも叩く。
行動派の半面、失敗も多い。
おっちょこちょい。人たらし。
ぼくはそんな喜六が大好きだ。
ちなみに「阿呆」とは、
大阪人にとって、立派な「褒め言葉」です。

「花團治の宴-en-の詳細はこちらをクリックくださいませ。
今回の「花團治の宴-en-」では、“喜六ばなし”はございませんが、
落語『豊竹屋』では、しっかり女房がうっかり亭主にこんな一言を発します。
「なんで、こんな人と一緒になったんやろ」
字面では伝わりませんが、なんともいえんエエ言葉やと思とります。
この亭主もそんな「阿呆」の一人です。
「花團治公式サイト」はこちらをクリックくださいませ。
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