170.嫌われもしない奴は、好かれもしない~二代目春蝶のコトバ~
「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。
生前、師匠(二代目桂春蝶)から掛けられた言葉である。

二代目桂春蝶(撮影:後藤清)
……つい先日、兄弟子の桂一蝶兄と、
師匠の息子である三代目桂春蝶くんの三人でお茶をしていたときのこと。
たまたまFacebookの話題になった。
「春蝶が書いた今日のコメント、なかなかオモシロいなあ」とぼくが告げると、
彼は笑みを浮かべながら
「けどね、あれで友達(Facebookの中で繋がる友人)の数が
ゴソッと減ったんですよ」と応えた。
彼は今の社会情勢についてかなり思い切ったことも書いている。
それゆえ、反発する考えの持ち主が彼から離れた。
彼の言葉をきっかけに、
冒頭に紹介した師の言葉がぼくの脳裏にフラッシュバックした。

手前から、三代目桂春蝶、桂一蝶、ぼく
二代目桂春蝶(以降、二代目)もまた歯に衣着せぬ物言いで知られ、
その対象は政治的なことにまで及んだ。
二代目は熱狂的な阪神タイガースファンとしても有名で、
自分が贔屓する球団を宣言した第一人者でもある。
当時は、政治・宗教と並んで贔屓球団を口にするのが憚られた時代、
「万人に愛されるべき芸人が何をアホなことを言うてるんや」と揶揄する向きもあった。
けれども二代目は闘った。
「言うべきことは言う。
世間が思っていてもなかなか口に出して言えないことを己が代弁する」。
それが二代目の信条でもあった。
それが人気につながったのは言うまでもない。

左から、二代目桂春蝶、横山ノック、やしきたかじん、桂ざこば
師匠はこの番組『男の井戸端会議』の司会者だった。師匠の晩年、気力も体力も衰え始めた頃、いわゆるこの番組の「肩たたき」の現場にぼくもいた。梅が枝町の蕎麦屋さんだったと記憶している。プロデューサーが師匠に「あの、師匠、番組のことで・・・・・・」と切り出すと、師匠は「分かってる。わしもぼちぼち潮時やな」と応えた。そのあと、「あの、ひとつだけお願いがあるんやけど・・・・・・わしの後釜やけどな、たかじんでどうやろ?」と言った。これが「司会者・たかじん」の誕生だった。師匠は良い弟子に恵まれなかったが、才能を見抜く力には突出したものがあった。ちなみに、この番組に当時無名だった、たかじん師を引っ張ってきたのは師匠である。

二代目春蝶一家と共に。手前右の小学生が今の三代目春蝶。その後ろに、ぼく。
二代目が亡くなって二年後、
ぼくはあるイベントプロデューサーのもとで居候を始めた。
阪神大震災がきっかけだった。
このプロデューサーのもとでなら社会貢献できると思ったからだが、
一人で寝起きすることが怖かったのもあった。
氏はぼくより一つだけ年上だったが10歳以上も離れているかのように感じられた。
それだけ存在感のある人物だった。
氏は名立たる大物アーティストに好かれ、大きな仕事を任されていた。
そんな氏にぼくはふとこんな言葉を漏らした。
「すごいですよね。あんな大物がわざわざすり寄ってくるなんて」。
すると、氏は滅多に見せない強い語気でぼくにこう言った。
「あのな、蝶六(当時のぼくの芸名)、君は変に気をまわし過ぎなんだ。こんなことを言うたら怒られるとか、あんなこと言うたら嫌われるとか……あのな、君はな、まず自分の哲学を持たなあかん!“俺はこういう考えです!”というのを持つべきや!!……君は、まだまだ自分が力量不足やから相手にしてもらえないんじゃないかって遠慮してるだろうけど、そうじゃない!ベクトルが定まったら力量なんか関係ない。力量が不足しようとも、こいつは同じベクトルの上に生きてる奴だと思ったら、上から手を差し伸べてくれる。ぼくもまだまだたいしたことないけど、はっきり自分のスタンスを示しているからこそ、付き合ってくれるし、応援もしてくれてる。自分はこう生きるんだという覚悟をやな、そろそろ君も持つべきと違うかな」。
……その夜、ぼくは一人になって考えた。
「確かに、腹の底で何を考えてるか分からん奴って付き合いしにくいよな」。
師匠が亡くなってからすでに24年の歳月が経った。
今頃になって、どうにか自身の覚悟も少し芽生え始めたように思う。
師匠が生きていたら今年でちょうど75歳。
そんな節目に忘れかけていた師匠の言葉を思い出した。
「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。
花團治54歳。
覚悟をもって嫌われようと思います。
この原稿は、熊本の「リフティングブレーン」が発行する「リフブレ通信」への寄稿をもとに加筆したものです。

蝶六ファイナル(2015年4月25日・左から桂小春團治、三代目桂春蝶、ぼく、桂一蝶)
撮影:相原正明

「二代目春蝶生誕祭」の詳細はこちらをクリックしてくださいませ。

「花團治の宴-en-」の詳細はこちらをクリックしてくださいませ。
「花團治公式サイト」へはこちらをクリックしてくださいませ。
生前、師匠(二代目桂春蝶)から掛けられた言葉である。

二代目桂春蝶(撮影:後藤清)
……つい先日、兄弟子の桂一蝶兄と、
師匠の息子である三代目桂春蝶くんの三人でお茶をしていたときのこと。
たまたまFacebookの話題になった。
「春蝶が書いた今日のコメント、なかなかオモシロいなあ」とぼくが告げると、
彼は笑みを浮かべながら
「けどね、あれで友達(Facebookの中で繋がる友人)の数が
ゴソッと減ったんですよ」と応えた。
彼は今の社会情勢についてかなり思い切ったことも書いている。
それゆえ、反発する考えの持ち主が彼から離れた。
彼の言葉をきっかけに、
冒頭に紹介した師の言葉がぼくの脳裏にフラッシュバックした。

手前から、三代目桂春蝶、桂一蝶、ぼく
二代目桂春蝶(以降、二代目)もまた歯に衣着せぬ物言いで知られ、
その対象は政治的なことにまで及んだ。
二代目は熱狂的な阪神タイガースファンとしても有名で、
自分が贔屓する球団を宣言した第一人者でもある。
当時は、政治・宗教と並んで贔屓球団を口にするのが憚られた時代、
「万人に愛されるべき芸人が何をアホなことを言うてるんや」と揶揄する向きもあった。
けれども二代目は闘った。
「言うべきことは言う。
世間が思っていてもなかなか口に出して言えないことを己が代弁する」。
それが二代目の信条でもあった。
それが人気につながったのは言うまでもない。

左から、二代目桂春蝶、横山ノック、やしきたかじん、桂ざこば
師匠はこの番組『男の井戸端会議』の司会者だった。師匠の晩年、気力も体力も衰え始めた頃、いわゆるこの番組の「肩たたき」の現場にぼくもいた。梅が枝町の蕎麦屋さんだったと記憶している。プロデューサーが師匠に「あの、師匠、番組のことで・・・・・・」と切り出すと、師匠は「分かってる。わしもぼちぼち潮時やな」と応えた。そのあと、「あの、ひとつだけお願いがあるんやけど・・・・・・わしの後釜やけどな、たかじんでどうやろ?」と言った。これが「司会者・たかじん」の誕生だった。師匠は良い弟子に恵まれなかったが、才能を見抜く力には突出したものがあった。ちなみに、この番組に当時無名だった、たかじん師を引っ張ってきたのは師匠である。

二代目春蝶一家と共に。手前右の小学生が今の三代目春蝶。その後ろに、ぼく。
二代目が亡くなって二年後、
ぼくはあるイベントプロデューサーのもとで居候を始めた。
阪神大震災がきっかけだった。
このプロデューサーのもとでなら社会貢献できると思ったからだが、
一人で寝起きすることが怖かったのもあった。
氏はぼくより一つだけ年上だったが10歳以上も離れているかのように感じられた。
それだけ存在感のある人物だった。
氏は名立たる大物アーティストに好かれ、大きな仕事を任されていた。
そんな氏にぼくはふとこんな言葉を漏らした。
「すごいですよね。あんな大物がわざわざすり寄ってくるなんて」。
すると、氏は滅多に見せない強い語気でぼくにこう言った。
「あのな、蝶六(当時のぼくの芸名)、君は変に気をまわし過ぎなんだ。こんなことを言うたら怒られるとか、あんなこと言うたら嫌われるとか……あのな、君はな、まず自分の哲学を持たなあかん!“俺はこういう考えです!”というのを持つべきや!!……君は、まだまだ自分が力量不足やから相手にしてもらえないんじゃないかって遠慮してるだろうけど、そうじゃない!ベクトルが定まったら力量なんか関係ない。力量が不足しようとも、こいつは同じベクトルの上に生きてる奴だと思ったら、上から手を差し伸べてくれる。ぼくもまだまだたいしたことないけど、はっきり自分のスタンスを示しているからこそ、付き合ってくれるし、応援もしてくれてる。自分はこう生きるんだという覚悟をやな、そろそろ君も持つべきと違うかな」。
……その夜、ぼくは一人になって考えた。
「確かに、腹の底で何を考えてるか分からん奴って付き合いしにくいよな」。
師匠が亡くなってからすでに24年の歳月が経った。
今頃になって、どうにか自身の覚悟も少し芽生え始めたように思う。
師匠が生きていたら今年でちょうど75歳。
そんな節目に忘れかけていた師匠の言葉を思い出した。
「嫌われもせん奴、好かれもせえへん」。
花團治54歳。
覚悟をもって嫌われようと思います。
この原稿は、熊本の「リフティングブレーン」が発行する「リフブレ通信」への寄稿をもとに加筆したものです。

蝶六ファイナル(2015年4月25日・左から桂小春團治、三代目桂春蝶、ぼく、桂一蝶)
撮影:相原正明

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