171.落語に見る「聴き上手」~喜六の場合~
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こんなエピソードがあります。
勝新太郎さんを中心に、落語家やタレントが集まって座談や歌を楽しむといった番組でした。
その終わり近くになって、勝さんがこんなことをおっしゃったそうです。
「きょう、ぼくは都々逸などいくつかやらせてもらったけど、ここにいるみんなは、たいていその文句を知っているものばかりだっただろう。けれども、初めて聞くような顔をして、聴き入ってくれ、拍手もしてくれた。ありがとう。でも、遊びっていうのは、そういうことだよね。」
会話のなかで、相手が自分の知っている話を展開し始めたとき、
つい「それ、知っている」と口を挟んでしまいたくなるものです。
ややもすれば、その話題をかっさらって自分が胴を取ってしまう。
もし、寄席の楽屋で先輩の話に対してそんなことをしようものなら、
「偉なりはりましたな」と、嫌味のひとつも言われるところです。
「わたしたちの世界では、人のことば尻を取って、自分がしゃしゃり出る事は一番嫌われる」柳家小三治

国立演芸場「花團治襲名披露公演」の楽屋にて、2015年8月2日
撮影:相原正明
ところで、上方落語に登場する「喜六」という人物。
いわゆる「阿呆」の代名詞のような男ですが、
江戸落語の馬鹿「与太郎」と違い、
欲望の塊で、小賢しくもある。
でも、周囲の誰からも愛され、憎めない存在。
なぜなら、彼は無類の聴き上手で、
常に相手を優位に立たせるからです。
喜六「なんで、そのツルっちゅうのは日本の名鳥だんねん」
隠居「さあ、そういうことを聴きなはれ。……身体一面が雪よりも白く、頭には丹頂というのを頂き、尾には黒い艶々とした毛がふさふさと生えたある。そのうえ、(略)」
喜六「なるほど、さすが人が物知りちゅうだけあって、あんた、えらいこと知ってなはるな。けどでっせ、今、あんた鶴は姿、形が誠に美しいって言いなはったけど、あの鳥、必要以上に首が長いでんな」
隠居「いかにも長いな」(落語『つる』より)
「なるほど」「さよか」……喜六は相槌がイイ。
どんどん相手を乗せて、喋らせるところが喜六の真骨頂です。
「喜六」についての研究紀要を書かせていただきました。ご興味を持たれた方はここをクリック!

撮影:相原正明
その逆の例が『ちりとてちん』の竹やん。
知らないくせに知ったかぶりをする。
相手の言うことにいちいちケチをつける。
なんでも自分が一番でないと気がすまない。
……まぁ、落語ですから、こういう輩に対しても、目くじら立てず、
「しゃあないやっちゃなぁ」という受容の眼差しをもって迎えますが、
最後はしっかりエゲツナイ目に遭わされてオチを迎えます。
江戸落語では「酢豆腐」。ここをクリックしてウィキペディアをご参照ください。
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撮影:相原正明
落語はフツーの人々のフツーの暮らしを描いていますから、
日々の暮らしのヒントになることも多かろうと思います。
現在、ぼくは自宅の稽古場で
「愚か塾」という落語教室を主宰しています。
ずいぶん以前ですが、
なかにはこの竹やんのような方もおられました。
こちらが咄のダメ出しをしていると、それを遮るように、
「あぁ、それはこういうことですな」とか、
「あぁ、それ、言われると思ってました」とか、
「前にも同じこと、言うてはりましたな」とか、
……そう切り出されると、こちらもそれ以上、何も言えず、
「へぇ、結構でございました」と
ニッコリ返して御終いということが多々ありました。
そこへいくと、今の塾生の方々は、
みんな聴き上手、喋らせ上手です。
「あ、なるほど」
「目からウロコです」
「落語というのは奥深いもんですね」
「ここに来て、人生が変わりました」
「落語を始めてから、部下がよく懐くんです」
「今の話、明日の朝礼で使わせてもらっていいですか?」
あまり調子に乗せられ過ぎて、こちらがうっかり
『ちりとてちん』の竹やんになってしまいそうです。

発表会で落語を披露する塾生

発表会では大喜利もあります。

打ち上げのための発表会か?

愚か塾の塾生たちと
「愚か塾」は定員を超えましたので、現在はキャンセル待ちとさせていただいておりますが、
興味を持たれた方は、まずはここをクリックしてお問い合わせください。
ところで、ある師匠は、
多くのご贔屓さんにずいぶん可愛がられていることで知られています。
芸はもちろんのことですが、何故にこれほど周囲に愛されるのか?
酔いに任せたぼくは、ストレートにそのことをうかがってみました。
で、返ってきたのは、こんなコトバでした。
「わしはな、相手が”喋りたい人”か、”聴きたい人”かを見極める自信があんねん。相手が喋りたい人ならば、わしは聴き役に徹するし、聴きたい人ならば、相手が興味を持ちそうな話を披露する。言うとくけどな、わしは、これまで君のような見え透いた”べんちゃら”なんて、いっぺんもしたことがない」
実際にそういう現場を、ぼくも何度か見てきましたが、
なるほど、師匠のそれは聴き上手の見本のようでもありました。
師匠は道化の役にも徹していました。
そこには、しっかりと「喜六」の姿があったのです。

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こんなエピソードがあります。
勝新太郎さんを中心に、落語家やタレントが集まって座談や歌を楽しむといった番組でした。
その終わり近くになって、勝さんがこんなことをおっしゃったそうです。
「きょう、ぼくは都々逸などいくつかやらせてもらったけど、ここにいるみんなは、たいていその文句を知っているものばかりだっただろう。けれども、初めて聞くような顔をして、聴き入ってくれ、拍手もしてくれた。ありがとう。でも、遊びっていうのは、そういうことだよね。」
会話のなかで、相手が自分の知っている話を展開し始めたとき、
つい「それ、知っている」と口を挟んでしまいたくなるものです。
ややもすれば、その話題をかっさらって自分が胴を取ってしまう。
もし、寄席の楽屋で先輩の話に対してそんなことをしようものなら、
「偉なりはりましたな」と、嫌味のひとつも言われるところです。
「わたしたちの世界では、人のことば尻を取って、自分がしゃしゃり出る事は一番嫌われる」柳家小三治

国立演芸場「花團治襲名披露公演」の楽屋にて、2015年8月2日
撮影:相原正明
ところで、上方落語に登場する「喜六」という人物。
いわゆる「阿呆」の代名詞のような男ですが、
江戸落語の馬鹿「与太郎」と違い、
欲望の塊で、小賢しくもある。
でも、周囲の誰からも愛され、憎めない存在。
なぜなら、彼は無類の聴き上手で、
常に相手を優位に立たせるからです。
喜六「なんで、そのツルっちゅうのは日本の名鳥だんねん」
隠居「さあ、そういうことを聴きなはれ。……身体一面が雪よりも白く、頭には丹頂というのを頂き、尾には黒い艶々とした毛がふさふさと生えたある。そのうえ、(略)」
喜六「なるほど、さすが人が物知りちゅうだけあって、あんた、えらいこと知ってなはるな。けどでっせ、今、あんた鶴は姿、形が誠に美しいって言いなはったけど、あの鳥、必要以上に首が長いでんな」
隠居「いかにも長いな」(落語『つる』より)
「なるほど」「さよか」……喜六は相槌がイイ。
どんどん相手を乗せて、喋らせるところが喜六の真骨頂です。
「喜六」についての研究紀要を書かせていただきました。ご興味を持たれた方はここをクリック!

撮影:相原正明
その逆の例が『ちりとてちん』の竹やん。
知らないくせに知ったかぶりをする。
相手の言うことにいちいちケチをつける。
なんでも自分が一番でないと気がすまない。
……まぁ、落語ですから、こういう輩に対しても、目くじら立てず、
「しゃあないやっちゃなぁ」という受容の眼差しをもって迎えますが、
最後はしっかりエゲツナイ目に遭わされてオチを迎えます。
江戸落語では「酢豆腐」。ここをクリックしてウィキペディアをご参照ください。
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落語はフツーの人々のフツーの暮らしを描いていますから、
日々の暮らしのヒントになることも多かろうと思います。
現在、ぼくは自宅の稽古場で
「愚か塾」という落語教室を主宰しています。
ずいぶん以前ですが、
なかにはこの竹やんのような方もおられました。
こちらが咄のダメ出しをしていると、それを遮るように、
「あぁ、それはこういうことですな」とか、
「あぁ、それ、言われると思ってました」とか、
「前にも同じこと、言うてはりましたな」とか、
……そう切り出されると、こちらもそれ以上、何も言えず、
「へぇ、結構でございました」と
ニッコリ返して御終いということが多々ありました。
そこへいくと、今の塾生の方々は、
みんな聴き上手、喋らせ上手です。
「あ、なるほど」
「目からウロコです」
「落語というのは奥深いもんですね」
「ここに来て、人生が変わりました」
「落語を始めてから、部下がよく懐くんです」
「今の話、明日の朝礼で使わせてもらっていいですか?」
あまり調子に乗せられ過ぎて、こちらがうっかり
『ちりとてちん』の竹やんになってしまいそうです。

発表会で落語を披露する塾生

発表会では大喜利もあります。

打ち上げのための発表会か?

愚か塾の塾生たちと
「愚か塾」は定員を超えましたので、現在はキャンセル待ちとさせていただいておりますが、
興味を持たれた方は、まずはここをクリックしてお問い合わせください。
ところで、ある師匠は、
多くのご贔屓さんにずいぶん可愛がられていることで知られています。
芸はもちろんのことですが、何故にこれほど周囲に愛されるのか?
酔いに任せたぼくは、ストレートにそのことをうかがってみました。
で、返ってきたのは、こんなコトバでした。
「わしはな、相手が”喋りたい人”か、”聴きたい人”かを見極める自信があんねん。相手が喋りたい人ならば、わしは聴き役に徹するし、聴きたい人ならば、相手が興味を持ちそうな話を披露する。言うとくけどな、わしは、これまで君のような見え透いた”べんちゃら”なんて、いっぺんもしたことがない」
実際にそういう現場を、ぼくも何度か見てきましたが、
なるほど、師匠のそれは聴き上手の見本のようでもありました。
師匠は道化の役にも徹していました。
そこには、しっかりと「喜六」の姿があったのです。

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