174.伝承と継承~繁昌亭と夏目漱石~
『花團治公式サイト』はこちらをクリック!
土居さんもお練りに参加したかったやろな。
せめてあとひと月だけでも長く生きてはったらな。
商店街の方も言うてはったけど、
このお練りを一番心待ちにしてはったんは、
天神橋筋商店街連合会の元会長・土居年樹さん(8月23日没)やった。
9月15日、大阪の落語家にとって60年の悲願だった
天満天神繁昌亭10周年を記念しての落語家による商店街お練り。
この商店街は南北に2.6キロ。日本一長い商店街として知られる。
この計画のメドが立って、土居さん、フ~っと安心しはったんやろか。

左から、桂春雨、桂枝女太、ぼく、桂坊枝、桂文枝。

人力車の後ろには、鳴り物部隊が続いた。

土居さんの遺影に深々と頭を下げる文枝会長
今から12年ほど前だったろうか、
上方落語協会の会長選挙を前に、
六代桂文枝師匠(当時・三枝)は、
「落語の定席を実現する」と公言した。
当初は、反対意見というよりも、
否定的な意見も多かった。
「ホンマにやれるんかな」
「赤字が出たら、いったい誰が背負うねん」
「そんなにお客が入るわけない」などなど。
大阪の芸界特有の事務所との絡みもあった。
でも、世間ではちょうど
団塊世代の大量退職が話題になっていた。
映画やドラマなど落語ブームもあった。
いろんな多くが追い風となった。
あの時、文枝師匠の発案や行動、土居さんを初めとする商店会の協力がなかったら
いまの上方落語界の繁栄はなかったかもしれない。
「繁昌亭の建設」は上方落語界にとって、
まさに明暗を分ける重大な選択だった。

JR天満駅前にて。文枝会長の横に大阪市北区区長や天満駅駅長の姿も。
・・・・・・ところで先日、渋谷・伝承ホールにて
『イシス編集学校』のイベントがあった。
ぼくもゲストの一人として呼ばれ、
その壇上に立たせていただいた。
その楽屋の前で、校長の松岡正剛さんから
「大阪の方の落語はどうですか?」と聞かれた。
「ええ、今また盛り上がってきてますよ」と応えた。
ちょうど東京での独演会前なので、
そのゲストである文枝師匠のことに話が及んだ。
「え、花團治さんが文枝師匠の創作落語を演じることもあるの?」
「ええ、先日、稽古をつけていただきまして。
ぼくだけじゃなくて、自作の落語を惜しげもなく、
どんどん後輩の咄家にも提供されてます」
「ああ、それはいいことですね」
この日のイベントのテーマは「継承と伝承」であった。
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松岡正剛校長とのツーショット
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ロビーにてスタッフの皆さんと
ぼくは、このイベントの最中、
別に打ち合わせがあったので、少し中抜けをした。
戻ってくると、ちょうどこれから
松岡校長の一人語りが始まるところだった。
校長は、校話のなかで『続・明暗』について触れられた。
『明暗』とは、夏目漱石が最後に書いた未完の作品である。
大正5年5月26日から朝日新聞に連載されたが、
作者病没のため、同年12月14日の188回までで打ち切られている。
そのあとを「こうなったであろう」と、
『明暗』を読み込んで、読み込んで、漱石を理解し尽して
そして受け継いだのが、水村美苗『続・明暗』だ。
1990年「芸術選奨新人賞」を受賞している。
「いずれ、ぼくはいなくなるだろう。
諸君にはどうか
”百人の水村美苗”になってもらいたい」
それは、集まったイシス編集学校の生徒・関係者に向けて
校長からのメッセージ=遺言だった。
「(校長の書かれた)『千夜千冊』でもいい。これまでの指南や、
ぼくの書いた著書でもいい。読み込んでほしい」とおっしゃった。
落語家であれば、
さしずめ『米朝落語ノート』や
五代目笑福亭松鶴師匠が編纂した『上方はなし』、
そして先達が遺した多くの落語…といったところか。

編集学校の稽古がいかに役立ったかを喋らせていただいた。生徒の多くが、
ここでの経験を機に思考力が身につき、モノの見方が変わり、人生が大きく好転したと語る。
ぼくもまたここで学び、毎回「目からウロコ」の連続だった。(進行役のイシス編集学校・吉村竪樹さんと)
……先達が培ってきたものを受け継ぐということの本質を、
校長のその言葉が見事に言い当てていた。
『イシス編集学校』HPはこちらをクリック!
松岡正剛『千夜千冊』はこちらをクリック!
ぼくの師匠の春蝶も、文枝師匠も、みんな水村美苗なのだ。
松鶴、米朝、春團治、五代目文枝といった四天王然り、
四天王もまた、その前の師匠方から引き継いでいる。
ぼくらもいずれ、水村美苗にならねばならない。


落語界はこれからさきもずっと『明暗』なんでしょうね。
永遠に未完です。
この過程を楽しむのが、きっと「落語道」なんだと思う。
このあと、どうつないでいくか?つけ足していくか?
それは天神橋筋商店街も同じ気持ちなんだと思います。
もちろん、襲名披露から一年経ったぼくにとっても。
きっときっと水村美苗に!!

公益社団法人『上方落語協会』会員で天満宮参拝

繁昌亭では祝いの酒が見物人に振舞われた。
このわずか一週間の間に、繁昌亭10周年記念のお練りがあり、
イシス編集学校のイベントがあり、
それで何だか導かれるように、『明暗』と『続・明暗』を手にした。
「今は、独演会のことに集中してください!
優先順位が間違ってますよ!!」という
マネージャーの声が耳に痛く響きます。
文枝師匠をゲストに迎えての
『花團治の宴-en-』に是非ご来場ください。

『花團治の宴-en-』の詳細はこちらをクリック!
土居さんもお練りに参加したかったやろな。
せめてあとひと月だけでも長く生きてはったらな。
商店街の方も言うてはったけど、
このお練りを一番心待ちにしてはったんは、
天神橋筋商店街連合会の元会長・土居年樹さん(8月23日没)やった。
9月15日、大阪の落語家にとって60年の悲願だった
天満天神繁昌亭10周年を記念しての落語家による商店街お練り。
この商店街は南北に2.6キロ。日本一長い商店街として知られる。
この計画のメドが立って、土居さん、フ~っと安心しはったんやろか。

左から、桂春雨、桂枝女太、ぼく、桂坊枝、桂文枝。

人力車の後ろには、鳴り物部隊が続いた。

土居さんの遺影に深々と頭を下げる文枝会長
今から12年ほど前だったろうか、
上方落語協会の会長選挙を前に、
六代桂文枝師匠(当時・三枝)は、
「落語の定席を実現する」と公言した。
当初は、反対意見というよりも、
否定的な意見も多かった。
「ホンマにやれるんかな」
「赤字が出たら、いったい誰が背負うねん」
「そんなにお客が入るわけない」などなど。
大阪の芸界特有の事務所との絡みもあった。
でも、世間ではちょうど
団塊世代の大量退職が話題になっていた。
映画やドラマなど落語ブームもあった。
いろんな多くが追い風となった。
あの時、文枝師匠の発案や行動、土居さんを初めとする商店会の協力がなかったら
いまの上方落語界の繁栄はなかったかもしれない。
「繁昌亭の建設」は上方落語界にとって、
まさに明暗を分ける重大な選択だった。

JR天満駅前にて。文枝会長の横に大阪市北区区長や天満駅駅長の姿も。
・・・・・・ところで先日、渋谷・伝承ホールにて
『イシス編集学校』のイベントがあった。
ぼくもゲストの一人として呼ばれ、
その壇上に立たせていただいた。
その楽屋の前で、校長の松岡正剛さんから
「大阪の方の落語はどうですか?」と聞かれた。
「ええ、今また盛り上がってきてますよ」と応えた。
ちょうど東京での独演会前なので、
そのゲストである文枝師匠のことに話が及んだ。
「え、花團治さんが文枝師匠の創作落語を演じることもあるの?」
「ええ、先日、稽古をつけていただきまして。
ぼくだけじゃなくて、自作の落語を惜しげもなく、
どんどん後輩の咄家にも提供されてます」
「ああ、それはいいことですね」
この日のイベントのテーマは「継承と伝承」であった。
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松岡正剛校長とのツーショット
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ロビーにてスタッフの皆さんと
ぼくは、このイベントの最中、
別に打ち合わせがあったので、少し中抜けをした。
戻ってくると、ちょうどこれから
松岡校長の一人語りが始まるところだった。
校長は、校話のなかで『続・明暗』について触れられた。
『明暗』とは、夏目漱石が最後に書いた未完の作品である。
大正5年5月26日から朝日新聞に連載されたが、
作者病没のため、同年12月14日の188回までで打ち切られている。
そのあとを「こうなったであろう」と、
『明暗』を読み込んで、読み込んで、漱石を理解し尽して
そして受け継いだのが、水村美苗『続・明暗』だ。
1990年「芸術選奨新人賞」を受賞している。
「いずれ、ぼくはいなくなるだろう。
諸君にはどうか
”百人の水村美苗”になってもらいたい」
それは、集まったイシス編集学校の生徒・関係者に向けて
校長からのメッセージ=遺言だった。
「(校長の書かれた)『千夜千冊』でもいい。これまでの指南や、
ぼくの書いた著書でもいい。読み込んでほしい」とおっしゃった。
落語家であれば、
さしずめ『米朝落語ノート』や
五代目笑福亭松鶴師匠が編纂した『上方はなし』、
そして先達が遺した多くの落語…といったところか。

編集学校の稽古がいかに役立ったかを喋らせていただいた。生徒の多くが、
ここでの経験を機に思考力が身につき、モノの見方が変わり、人生が大きく好転したと語る。
ぼくもまたここで学び、毎回「目からウロコ」の連続だった。(進行役のイシス編集学校・吉村竪樹さんと)
……先達が培ってきたものを受け継ぐということの本質を、
校長のその言葉が見事に言い当てていた。
『イシス編集学校』HPはこちらをクリック!
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ぼくの師匠の春蝶も、文枝師匠も、みんな水村美苗なのだ。
松鶴、米朝、春團治、五代目文枝といった四天王然り、
四天王もまた、その前の師匠方から引き継いでいる。
ぼくらもいずれ、水村美苗にならねばならない。


落語界はこれからさきもずっと『明暗』なんでしょうね。
永遠に未完です。
この過程を楽しむのが、きっと「落語道」なんだと思う。
このあと、どうつないでいくか?つけ足していくか?
それは天神橋筋商店街も同じ気持ちなんだと思います。
もちろん、襲名披露から一年経ったぼくにとっても。
きっときっと水村美苗に!!

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繁昌亭では祝いの酒が見物人に振舞われた。
このわずか一週間の間に、繁昌亭10周年記念のお練りがあり、
イシス編集学校のイベントがあり、
それで何だか導かれるように、『明暗』と『続・明暗』を手にした。
「今は、独演会のことに集中してください!
優先順位が間違ってますよ!!」という
マネージャーの声が耳に痛く響きます。
文枝師匠をゲストに迎えての
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