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17.心身と発声

大阪のとある高校に呼ばれて落語ワークショップを行うことになった。
担当の教師からはとにかく「声を出す」ということを
やらせて欲しいという要望があり、
それで私はとりあえず「寿限無」や「東の旅の発端」
といったテキストを元に講座を進めていった。

台詞がある程度入った段階で全員に相撲の四股踏みの格好に
なってもらい再度反復してもらう。
この四股踏みは早稲田小劇場の鈴木メソッドに倣ったもので、
これにより腹の底から声を出すといった体感が得られる。

生徒らも気持ちが良いのか最初は渋々だった者も
段々積極的になってきた。
そうしてある程度感触が掴めたところで休憩を挟んだ。

とその時、一人の生徒が半ば緊張した面持ちで私の許にやってきた。
「あのう、僕、実は演劇部員なんですが、声が小さくて困ってるんです」
「そうかなあ・・・じゃあ、今度は一人でやってみて」

先までは全員で声だしをしていたので改めて彼の様子を見ることにした。
なるほど少し無理のある発声であった。
それで私は次にこんな要求を出してみた。
「今度は大きな声を出すという気持ちを捨ててやってごらん」
学生は不審げな面持ちでこちらを見つめた。
「ええと・・・つまり、大きな声を出すというのではなく、
言葉を届けるといった感じで」。

私は彼を体育館の端に行かせて、私はその反対の隅っこに陣取った。
「じゃあ、僕に言葉下さい」。
何度か行ううち彼の発声が随分変わってきた。

これは私がかつて劇団の客演で全国を回っていた頃、演出家に指導してもらった方法である。
マイク設備に乏しい会場では私もやはり声で悩まされていた。
その時、演出家は「大きな声を出しなさい」とは一言も言わなかった。
代わりに稽古の際いつも客席の一番後ろに陣取り、
そこから「僕に言葉を届けてよ」といったことを私に投げ掛けたのである。

大きな声を出すことが言葉を届けるということにはならない。
むしろ大きな声を出そうという心理が身体の硬直に繋がり、
その事がかえって無理な発声を生み言葉を届ける妨げる元となる。

声のベクトルには三つあって、それは
「皆さんに言う」
「あなたに言う」
「自分に言う」の三つだが、

講演や講座で話す時は明らかに「あなたに言う」を基本にした方がいい。
誰が言ったか忘れたが、「“皆さんに言う”は結局誰にも言っていない」
とはけだし名言である。

演説上手な政治家はこの三つのベクトルを上手く使い分けていて、
大事な言葉は必ず群衆の誰か一人に向かって言うというような工夫をしている。

ところで、かくいう私も発声に関して
よくダメ出しを貰う一人である。
大阪の落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」ではこんな事があった。

「蝶六、ちょっと」。
一席終えて楽屋に戻った私を手招きしたのは一人の先輩である。
私はそれに応じて楽屋の隅へと移動した。

「あの、お前さんな、あそこ、声が裏返っとる。
あの声の出し方はお客さんが引くねん、分かるやろう?
・・・せっかく狂言を習うてんねんさかい」。

それだけ静かに告げるとプイッとまた舞台袖に戻っていった。
随分前の話になるが、私はこの先輩にお酒を呼ばれながらも
軽く抗議をしたことがある。
「お兄さん、何で私には言うてくれまへんねん」。
他の後輩には色々ダメ出しをするのにも関わらず、
私には何も言ってくれないという、
それは軽い嫉妬から出た言葉であった。

「お前さん、わしの言うことを聞く耳持ってるかい?」。
「勿論です」
「ほな、言うたる」。

以来、時々こうやって私を指導してくれている。

・・・やがてその先輩の出囃子が鳴り始め、
私は慌てるように舞台袖に走っていった。
力の抜けたいい高座であった。
あえて笑いを取りにいかずスッとお客を引き込む心地のいい高座であった。
腕力を振り回すがごとく客席を湧かせる師匠もいれば
こうやって淡々とお客を虜にする先輩方もいる。

高座を終えた先輩が下りると私はすぐさま
その傍らへ走り帯を受け取りたたみ始めた。
着物や羽織は楽屋見習いらが我が先にと
奪い取るようにしてたたみ始めている。

彼らにとって高座の機会は芸の善し悪しより
こうした楽屋働きや行儀の良さで決まることが多い。

私は言った。「兄さん、有り難うございます。良う、分かりました」
「そやろ?わしは(故・二代目)春蝶兄貴から教わったんや。
お前さんは弟子やねんさかい、
お前さんが(二代目春蝶の良いところを)取らなどうする?
・・・それにお前さんももう五十や。
もう若手の落語はせんでええ。・・・ほなお先に」。
その先輩はそそくさと楽屋を後にした。

それから私は自宅に戻り
故二代目春蝶の音源を取り出し聞いてみた。

極めて自然体な語り口調の中におかしみが感じられた。
笑わそうという力みは全く感じられない。
私は肩に力が入り声を引きつらせてしまう自分を恥じた。

“わめき声”や“がなり声”“引きつり声”といったものは
少なくとも人を引き寄せるような声ではない。
ただ思いを声に乗せて振り回しただけの言葉=騒音は
相手を仰け反らせるだけであり、
得てしてヒステリックな応対は人を遠ざけてしまうものだ。
芸においては笑わせる前に引かせてどうするという話になる。

ともあれリラックスした身体でないと
心地のいい発声は生まれないだろうし、
リラックスした身体にこそお客も安心してできるというものである。
心の在り方が発声をも左右するものだし、
人格と発声の関係も深い。

力まず発することがしっかり届く声を生む。
そのためにも肩で喋らず声を腹で支えるということが大事だ。
「俺はこれだけ大きな声が出せる」と
威張ったところで何にもならない。

何度も申し上げるが、“大きな声=言葉が届く”にはならないのである。
大きな声で言葉を届けるのではなく、
言葉をしっかり届けるという思いがあってこその発声である。
心身が乱れは声に表れる。(了)
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コメント
3: by りー on 2012/08/27 at 20:40:17

蝶六さま、こんばんは。

このお話を読んで、ピアノ演奏をするときにも
共通すると思いました。
ピアノ演奏を誰か一人のために心を込めて弾いてみると
伝わるような気がしますし、
ピアノを弾くときは、言葉を伝えることと同じように、
一つ一つの音を響かせることを意識します。
この記事のお話はいろいろな場面で生かせますね。

4:Re: タイトルなし by 桂蝶六 on 2012/08/28 at 09:34:23

りーさま

私は楽器は全く不得手なんですが
聴くのは好きです。
いい演奏家というのは
きっと、その楽器が自分の身体の一部になっているんでしょうね。

同じ譜面なのに
演奏する人によってずいぶん違って聞こえるというのは
譜面にはない何か、ということなんでしょうか?

追伸
りーさまのおかげで
私の中ではちょっとしたクラシックブームの再燃です。
これからもブログを楽しみにしています。

りーさまのご意見、とても興味深いです。
りーさまの演奏を聴きに伺いたいです。

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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