188.繊細な鬼瓦~六代目松鶴師匠の思い出~
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あんさんとこのお弟子さん、
お借りしましたで。
六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。
豪快なことで知られる松鶴師匠だが、
誰よりも繊細な方だった。
若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。

六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)より
NHK大阪放送局がまだ馬場町にあった頃のこと。
落語番組の収録のため、ぼくは師匠の鞄持ちでお伴した。
師匠の着替えを手伝うのも弟子の役目。
「ぼちぼちかな」。
そう思ったぼくは、舞台袖から師匠の楽屋へと急いだ。
そのとき、ぼくの目に飛び込んできたのは、
早々と一人で着替えを始める上方落語会のドン、
松鶴師匠の姿だった。
松鶴師匠の出番はうちの師匠の次。
だから、本来ならもう少しゆっくりでも構わないのだが、
ぼくは迷わず松鶴師匠の楽屋に飛び込んだ。
「あんさんは自分の師匠の着替えがあるやろ。
せやから、わしは(放っておいて)ええさかい、
早よ師匠のとこへ行きなはれ」と松鶴師匠。
しかし、そういうわけにはいかない。
松鶴師匠は、春蝶にとっても大先輩であり、
春蝶自身が敬愛する師匠の一人。
「いえ、大丈夫ですから」と言いつつ、
ぼくは松鶴師匠の着替えを手伝った。
でも、内心は穏やかでなかった。
叱られることはもう間違いない。
松鶴師匠の着替えを済ませると、
ぼくは慌てて我が師匠の楽屋へと向かった。
案の定だった。
師匠はぼくの顔を見るなり
「どこへ行っとんじゃ。
肝心なときにおらんとアホンダラ!」
ぼくはただ平身低頭に謝るしかなかった。
もちろんぼくにも言い分はあった。
でもこういうときの言い訳はご法度である。

二代目桂春蝶(平成5年1月4日没) 撮影:後藤清
やがてサゲを言い終えた師匠が高座を下りてきた。
師匠についてまわるとき、
ぼくはいつも緊張しっぱなしだったが、
このときばかりはいつにも増して硬直していた。
ビクビクしながら師匠の着替えを手伝った。
でもそのとき、意外や意外。
師匠のぼくを見る眼差しが
なぜか妙に優しいことに気づいた。
高座に上がる直前とは明らかに違っている。
その理由を教えてくれたのは、
たまたまその場に居合わせた桂春若師匠だった。
春若師匠は、「舟行き」という出囃子がジャンジャンと響くなか、
松鶴師匠が高座に上がる直前、うちの師匠とすれ違いざま、
そっと耳打ちした、その一言を聞いていた。
「さっき、あんさんとこのお弟子さん、
お借りしましたで」

二代目春蝶の家族と共に(右後ろがぼく。その前に現・春蝶)
そう言えば、ラジオのなかでこんなやり取りがあった。
それは「六代目松鶴追悼特集」だった。
「松鶴師匠からイロイロ教えていただいたでしょうが、
なにか心に残っている言葉はありますか?」
この質問に対して、うちの師匠はこう応えている。
「そうでんな。
己のことしか考えられんような奴は、
咄家やめたらええねん、
ちゅう一言ですかな」
当時20歳のぼくが見た、この世界の大人たちは、
みんな繊細な人ばかりだった。
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六代目笑福亭松鶴師匠はうちの師匠(二代目桂春蝶)にそう耳打ちした。
豪快なことで知られる松鶴師匠だが、
誰よりも繊細な方だった。
若手一人一人にまで細かく目を配っておられた。

六代目笑福亭松鶴師匠(昭和61年9月5日没) 写真:笑福亭松鶴(三田純市著・駸々堂)より
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落語番組の収録のため、ぼくは師匠の鞄持ちでお伴した。
師匠の着替えを手伝うのも弟子の役目。
「ぼちぼちかな」。
そう思ったぼくは、舞台袖から師匠の楽屋へと急いだ。
そのとき、ぼくの目に飛び込んできたのは、
早々と一人で着替えを始める上方落語会のドン、
松鶴師匠の姿だった。
松鶴師匠の出番はうちの師匠の次。
だから、本来ならもう少しゆっくりでも構わないのだが、
ぼくは迷わず松鶴師匠の楽屋に飛び込んだ。
「あんさんは自分の師匠の着替えがあるやろ。
せやから、わしは(放っておいて)ええさかい、
早よ師匠のとこへ行きなはれ」と松鶴師匠。
しかし、そういうわけにはいかない。
松鶴師匠は、春蝶にとっても大先輩であり、
春蝶自身が敬愛する師匠の一人。
「いえ、大丈夫ですから」と言いつつ、
ぼくは松鶴師匠の着替えを手伝った。
でも、内心は穏やかでなかった。
叱られることはもう間違いない。
松鶴師匠の着替えを済ませると、
ぼくは慌てて我が師匠の楽屋へと向かった。
案の定だった。
師匠はぼくの顔を見るなり
「どこへ行っとんじゃ。
肝心なときにおらんとアホンダラ!」
ぼくはただ平身低頭に謝るしかなかった。
もちろんぼくにも言い分はあった。
でもこういうときの言い訳はご法度である。

二代目桂春蝶(平成5年1月4日没) 撮影:後藤清
やがてサゲを言い終えた師匠が高座を下りてきた。
師匠についてまわるとき、
ぼくはいつも緊張しっぱなしだったが、
このときばかりはいつにも増して硬直していた。
ビクビクしながら師匠の着替えを手伝った。
でもそのとき、意外や意外。
師匠のぼくを見る眼差しが
なぜか妙に優しいことに気づいた。
高座に上がる直前とは明らかに違っている。
その理由を教えてくれたのは、
たまたまその場に居合わせた桂春若師匠だった。
春若師匠は、「舟行き」という出囃子がジャンジャンと響くなか、
松鶴師匠が高座に上がる直前、うちの師匠とすれ違いざま、
そっと耳打ちした、その一言を聞いていた。
「さっき、あんさんとこのお弟子さん、
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そう言えば、ラジオのなかでこんなやり取りがあった。
それは「六代目松鶴追悼特集」だった。
「松鶴師匠からイロイロ教えていただいたでしょうが、
なにか心に残っている言葉はありますか?」
この質問に対して、うちの師匠はこう応えている。
「そうでんな。
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