190.喜六になりたい~ロールモデルとしての落語~
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撮影:相原正明
落語に出会った頃のぼくは決して良き観客ではなかった。
当時、通っていた高校近くのお寺で定期的に落語会が開かれていた。
その最前列に席を取り、中入りになると
ありったけの知識をこれ見よがしに周囲の客に
無理やり聞かせて悦に入るのがぼくの楽しみだった。

高校3年生の頃。左から二人目がぼく。
「〇〇の落語は△△師匠の型そのままやな」
「こういう笑いの取り方は邪道やな」
「あいつはきっと伸びるに違いないで」。
……エラそうに、
いっぱしの評論家気取りだった。
そのときは周囲の迷惑を顧みるなどさらさら考えてもいなかった。
しかし、たまたま他の客のそういった言動に対し、
ふとぼくが「あいつ、嫌な奴やな」と漏らした際、
同席していた落語仲間が「お前も全く同じやで」と
すかさずぼくに突っ込んだ。
そこで初めてぼくは己の愚行に気がついたのである。
観客としてではなく、演者としてのぼくも「嫌な奴」だった。
落語研究会に入部し、校内で数多く落語を披露する機会を得たが、
そこでぼくは「拍手をくれた方のみ御礼申し上げます」というような
本職の物言いを真似たりした。
そんなぼくに先輩からこんなお叱りが飛んだ。
「そんなひねくれたこと言うて、君のニン(人柄)に合うてないし、
何か嫌な感じやで」
落語を演じるようになって、
クラスの人気者どころか
煙たがられる存在になっていくのを感じた。

高校の卒業式
師匠の元に弟子入りして落語を本職とするようになって数十年。
嫌な観客・嫌な演者が何たるかを身にしみて実感しつくしたぼくにとって、
自宅の稽古場で主宰する落語塾は落語を教えるだけでなく、
過去の反省・失敗を伝えるための場でもあった。

しかし、スタート時は何をどう伝えていいかもまるで手探り状態。
自信の欠片もなかった。
そんななかでも、続けていくに連れて
耳にするようになった「落語によって人生が好転した」という
塾生の報告はぼくに大きな自信を与えてくれた。
自分に自信が持てず人前に出ることが苦手だったかつての塾生は
「ちゃんと人の目を見て話せるようになり、
社内での新入社員研修を任されるようになった」と手紙を寄せてくれた。
また、ある男性は
「ギクシャクしていた部下とのコミュニケーションが改善されました」と
嬉しそうにぼくにそう語ってくれた。
これまでの「上から目線」ではなく、
相手を受容する心持ちで話すように心がけたのだという。
「あるときは甚兵衛さんのごとく、
あるときは喜六のごとくですね」
と彼は言った。
喜六とは上方落語に登場する愚か者の代表格。
おっちょこちょいで慌て者、いつも失敗ばかり繰り返すが
彼の周囲は笑いが絶えず、誰からも愛される人物。
相手を優位に立てる天才でもある。
甚兵衛さんはその喜六をたしなめながらも
優しく見守る町内のご隠居だ。
落語を稽古するということは
すなわち登場人物をロールモデルに置くこと。
これは愚か塾の大きな目的に掲げてはいたが、
その方針に確信を与えてくれたのはまさしく塾生たちだった。
高校時代、事あるごとに注意をしてくれた先輩や顧問の先生の教えが
今ここに活きている。

主宰する『愚か塾』の塾生たちと。
落語の愛好家には本職やアマチュアに関わらず二通りある。
ひとつは
斜交いな嫌味な眼差しばかりが身についた者。
もうひとつは、
どんな愚か者も受容の眼差しで接しようとする者。
ぼく自身は明らかに前者からのスタートであり、
まだまだ後者には至っていない。
落語を聴くのに理屈はいらないが、
せめて落語は自身を豊かにするものであってほしい。
今回は落語を演じる者として反省の弁を述べてみた。
この拙文は、熊本の(株)リフティングブレーン社さんの発行する社誌『リフブレ通信』の原稿に加筆したものです。
※ただいま「愚か塾」では、定員を超えたため、新規募集は行っておりません。

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撮影:相原正明
落語に出会った頃のぼくは決して良き観客ではなかった。
当時、通っていた高校近くのお寺で定期的に落語会が開かれていた。
その最前列に席を取り、中入りになると
ありったけの知識をこれ見よがしに周囲の客に
無理やり聞かせて悦に入るのがぼくの楽しみだった。

高校3年生の頃。左から二人目がぼく。
「〇〇の落語は△△師匠の型そのままやな」
「こういう笑いの取り方は邪道やな」
「あいつはきっと伸びるに違いないで」。
……エラそうに、
いっぱしの評論家気取りだった。
そのときは周囲の迷惑を顧みるなどさらさら考えてもいなかった。
しかし、たまたま他の客のそういった言動に対し、
ふとぼくが「あいつ、嫌な奴やな」と漏らした際、
同席していた落語仲間が「お前も全く同じやで」と
すかさずぼくに突っ込んだ。
そこで初めてぼくは己の愚行に気がついたのである。
観客としてではなく、演者としてのぼくも「嫌な奴」だった。
落語研究会に入部し、校内で数多く落語を披露する機会を得たが、
そこでぼくは「拍手をくれた方のみ御礼申し上げます」というような
本職の物言いを真似たりした。
そんなぼくに先輩からこんなお叱りが飛んだ。
「そんなひねくれたこと言うて、君のニン(人柄)に合うてないし、
何か嫌な感じやで」
落語を演じるようになって、
クラスの人気者どころか
煙たがられる存在になっていくのを感じた。

高校の卒業式
師匠の元に弟子入りして落語を本職とするようになって数十年。
嫌な観客・嫌な演者が何たるかを身にしみて実感しつくしたぼくにとって、
自宅の稽古場で主宰する落語塾は落語を教えるだけでなく、
過去の反省・失敗を伝えるための場でもあった。

しかし、スタート時は何をどう伝えていいかもまるで手探り状態。
自信の欠片もなかった。
そんななかでも、続けていくに連れて
耳にするようになった「落語によって人生が好転した」という
塾生の報告はぼくに大きな自信を与えてくれた。
自分に自信が持てず人前に出ることが苦手だったかつての塾生は
「ちゃんと人の目を見て話せるようになり、
社内での新入社員研修を任されるようになった」と手紙を寄せてくれた。
また、ある男性は
「ギクシャクしていた部下とのコミュニケーションが改善されました」と
嬉しそうにぼくにそう語ってくれた。
これまでの「上から目線」ではなく、
相手を受容する心持ちで話すように心がけたのだという。
「あるときは甚兵衛さんのごとく、
あるときは喜六のごとくですね」
と彼は言った。
喜六とは上方落語に登場する愚か者の代表格。
おっちょこちょいで慌て者、いつも失敗ばかり繰り返すが
彼の周囲は笑いが絶えず、誰からも愛される人物。
相手を優位に立てる天才でもある。
甚兵衛さんはその喜六をたしなめながらも
優しく見守る町内のご隠居だ。
落語を稽古するということは
すなわち登場人物をロールモデルに置くこと。
これは愚か塾の大きな目的に掲げてはいたが、
その方針に確信を与えてくれたのはまさしく塾生たちだった。
高校時代、事あるごとに注意をしてくれた先輩や顧問の先生の教えが
今ここに活きている。

主宰する『愚か塾』の塾生たちと。
落語の愛好家には本職やアマチュアに関わらず二通りある。
ひとつは
斜交いな嫌味な眼差しばかりが身についた者。
もうひとつは、
どんな愚か者も受容の眼差しで接しようとする者。
ぼく自身は明らかに前者からのスタートであり、
まだまだ後者には至っていない。
落語を聴くのに理屈はいらないが、
せめて落語は自身を豊かにするものであってほしい。
今回は落語を演じる者として反省の弁を述べてみた。
この拙文は、熊本の(株)リフティングブレーン社さんの発行する社誌『リフブレ通信』の原稿に加筆したものです。
※ただいま「愚か塾」では、定員を超えたため、新規募集は行っておりません。

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