19.四股踏みレッスン
元最年長力士の一ノ矢氏と能楽師で身体技法の研究でも有名な安田登氏。
そんな二人によるこんな対談を見つけた。
「能楽師の場合は、お相撲のようにきつくないので、
逆に若い頃はダメだったのが65くらいを過ぎると急にすごくうまくなる人がいます。
となると、その人は5歳くらいから始めたとして、60年間へたくそだって言われつづけて、
65になって急にうまくなったってことなんですよね。」
「若い頃は表面的な筋肉を使ってしまいますが、
歳をとってあまり使えなくなったからということなんでしょうか。」
「そうです。声なんかもそうなんですよ。
じつは声が出なくなるようなからだになることが、まず大事なんです。
まず、といっても自然にですけどもね。歳を重ねて、
からだがだめになるってすごく重要なんですよ。
そのときにやっぱり強い息が残っていると、いい声が出るんですよ。」
「それで舞台が始まる前まで、ものすごく追い込んで、
声を出させなくするんですか?」
「若いときはそうです。いじめじゃないかと思うぐらいですね。
当日まで稽古で追い込みます。
『先生、声出ないんですけど』と言っても『舞台にいけば出るよ』と言われる。
ところが本当に、舞台に行くと、出るのです。」
お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 (じっぴコンパクト新書 053)
私も風邪で喉をガラガラにやられた状態で高座を勤めたことがある。
出ない声も高座に上がれば何とか出るものだ。
しかしその後は背中全体がひどい筋肉痛に襲われる。
普段使っていない筋肉が働いて何とか声を出させてくれるのだろう。
一時期、私はミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」の客演として全国を回っていた。
その時、体調をひどく壊して下血と40度以上の高熱と闘いつつ舞台に立つ一人の役者がいた。
普通なら即入院というところだが主役ゆえおいそれと休むわけにはいかなかった。
苦しみに堪え微笑みさえ浮べながら氏は私にこう言ったのである。
「蝶六君、僕はね、これを超えると、役者として大きく成長できそうな気がするんだ。
これはね、僕にとって大きなチャンスだよ」
私が入門して間なしの頃には師匠によくこう言われた。
「とにかく声を前に出しなさい」
ところがそれもある時期から
「そんなに声を出してどうすんねん」というアドバイスに変わっていった。
稽古を重ねるうちにいつしか頑張らなくても声を出せるようになったと
師匠がそう判断してくれたのだろうと私は推測している。
元来落語は頑張ってやる芸ではない。
それは手を抜くという意味ではなくあくまでも自然体が大事ということだ。
無理に頑張って出された声は日常とはかけ離れた音声となり、
いかにも「芸をやってます」風情にも映り、これがお客のストレスにも繋がる。
斉藤孝の書物にこんな記述があった。
「反復練習の意味は、いちど疲労を感じた以降に続けるところにある。
疲労を感じた時点でやめてしまうと、疲労した部分の力を抜いていく工夫は必要なくなる。
疲労した状態でなおかつ反復練習を続けようとすれば、
疲労している個所を働きの最中に休ませる必要に迫られる」
芸も自然体を確立するためにはいつも使う身体のある部分を疲労させる事が必要である。
自然体のために無理をするというのも面白いが、
普段使うところがボロボロになってこそ身体の奥底から湧いてくる力が生まれるものだ。
「拾う神」は何かに見捨てられてこそ出番を得る。
最初からスマートに何でもこなしてやろうという了簡では決して大成しないということか。
私はもっともっとボロボロになってみなければいけない。(了)
そんな二人によるこんな対談を見つけた。
「能楽師の場合は、お相撲のようにきつくないので、
逆に若い頃はダメだったのが65くらいを過ぎると急にすごくうまくなる人がいます。
となると、その人は5歳くらいから始めたとして、60年間へたくそだって言われつづけて、
65になって急にうまくなったってことなんですよね。」
「若い頃は表面的な筋肉を使ってしまいますが、
歳をとってあまり使えなくなったからということなんでしょうか。」
「そうです。声なんかもそうなんですよ。
じつは声が出なくなるようなからだになることが、まず大事なんです。
まず、といっても自然にですけどもね。歳を重ねて、
からだがだめになるってすごく重要なんですよ。
そのときにやっぱり強い息が残っていると、いい声が出るんですよ。」
「それで舞台が始まる前まで、ものすごく追い込んで、
声を出させなくするんですか?」
「若いときはそうです。いじめじゃないかと思うぐらいですね。
当日まで稽古で追い込みます。
『先生、声出ないんですけど』と言っても『舞台にいけば出るよ』と言われる。
ところが本当に、舞台に行くと、出るのです。」
お相撲さんの“腰割り”トレーニングに隠されたすごい秘密 (じっぴコンパクト新書 053)
私も風邪で喉をガラガラにやられた状態で高座を勤めたことがある。
出ない声も高座に上がれば何とか出るものだ。
しかしその後は背中全体がひどい筋肉痛に襲われる。
普段使っていない筋肉が働いて何とか声を出させてくれるのだろう。
一時期、私はミュージカル劇団「ふるさときゃらばん」の客演として全国を回っていた。
その時、体調をひどく壊して下血と40度以上の高熱と闘いつつ舞台に立つ一人の役者がいた。
普通なら即入院というところだが主役ゆえおいそれと休むわけにはいかなかった。
苦しみに堪え微笑みさえ浮べながら氏は私にこう言ったのである。
「蝶六君、僕はね、これを超えると、役者として大きく成長できそうな気がするんだ。
これはね、僕にとって大きなチャンスだよ」
私が入門して間なしの頃には師匠によくこう言われた。
「とにかく声を前に出しなさい」
ところがそれもある時期から
「そんなに声を出してどうすんねん」というアドバイスに変わっていった。
稽古を重ねるうちにいつしか頑張らなくても声を出せるようになったと
師匠がそう判断してくれたのだろうと私は推測している。
元来落語は頑張ってやる芸ではない。
それは手を抜くという意味ではなくあくまでも自然体が大事ということだ。
無理に頑張って出された声は日常とはかけ離れた音声となり、
いかにも「芸をやってます」風情にも映り、これがお客のストレスにも繋がる。
斉藤孝の書物にこんな記述があった。
「反復練習の意味は、いちど疲労を感じた以降に続けるところにある。
疲労を感じた時点でやめてしまうと、疲労した部分の力を抜いていく工夫は必要なくなる。
疲労した状態でなおかつ反復練習を続けようとすれば、
疲労している個所を働きの最中に休ませる必要に迫られる」
芸も自然体を確立するためにはいつも使う身体のある部分を疲労させる事が必要である。
自然体のために無理をするというのも面白いが、
普段使うところがボロボロになってこそ身体の奥底から湧いてくる力が生まれるものだ。
「拾う神」は何かに見捨てられてこそ出番を得る。
最初からスマートに何でもこなしてやろうという了簡では決して大成しないということか。
私はもっともっとボロボロになってみなければいけない。(了)
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