197.不足は創造の源~落語と映画と土団子~
1970年代、ぼくが少年の頃、土団子が流行った。
これは泥んこ遊びのひとつで、
泥を丸めて作った玉にきめの細かい砂をまぶして固め、
それを手のひらで磨いて硬くしていく。
濡らしては固め、乾かせては濡らしの作業を繰り返すうち、
やがてそれは艶々と輝き始め、見事な金の玉へと変貌する。
こうして出来上がった玉を今度は友だち同士で競い合った。
高いところから相手の団子目指して落とすのだ。
それぞれが団子に向いた上質の土の在り処や、
それを制作する際の秘伝を持っていた。
また、丹精込めて作った団子を
友人のそれと交換して友情の証しとすることもあった。
ポンという遊びも流行した。
牛乳瓶の蓋を机の上に置き、
手のひらで叩いてひっくり返すという競技。
まさにポンッという擬音がぴったり。
相手の蓋をひっくり返せば自分のものになったし、
そうやって集めた蓋はそれぞれにとって大切な宝物になった。
これは個人的なことだが、当時、
布団に潜れば「妄想」という愉しみも待っていた。
父親にひどく叱られたときは、父親が怪獣になった。
ぼくの名は宇宙からやってきたヒーロー「モリリンモンローマン」。
(本名の”森”から自ら命名)
布団のなかで、ピシュンピシュン、ボカーン!と擬音を発し続けた。
父親はぼくが放つビーム光線で見事木っ端みじんに吹き飛ばされた。
演芸ジャーナリスト・やまだりよこさんの著に、
六代桂文枝師匠の少年期についてこんなエピソードが紹介されている。
遊園地も公園もなく、おもちゃも持たない少年は木切れなどその辺にあるものでさまざまな遊びを生み出したという。工夫して、なんでもないものを面白いものに変える。(中略)「友達が来たら、友達に帰って欲しくなくて、いろんなことを考えて、いろんな遊びを考え出した。なんとか引き止めるためにいろいろ考えたり笑わせたりもした。今思うと、これが、僕の笑いや創作の原点だったのかもしれない」(『桂三枝論』やまだりよこ著・ヨシモトブックス・2012年より)
高価な玩具を買ってもらえなくったって、
遊びの材料はそこらあたりにたくさん転がっていた。
工夫すればいくらでも生まれた。
「不足」は創造の源である。

桂文枝とウクレレボーイズ。
落語家のお祭り『彦八まつり』に向けて、鈴木智貴氏(右から二人目)を講師に迎えバンドの練習。
落語はご承知の通り、演者の言葉や所作をヒントに、
お客が頭のなかに映像を描いていくという芸能。
具体的な映像の代わりに、「想像」が無限の愉しさを生み出す。
先日、京都の壬生にある『おもちゃ映画ミュージアム』を訪ねた。
明治から大正にかけて、お金持ちの家庭では、
ブリキ製の手回し映写機を楽しんでいたのだという。
その映像は劇場で公開済みのもので、
要らなくなったフィルムは、デパートなどで
短く切り売りされていた。
昭和の初期は、無声映画からトーキーに切り替わる時代。
映画会社にとって、昔のフィルムは無用のものだった。
そんなフィルムを「おもちゃ映画」と呼んでいる。
『おもちゃ映画ミュージアム』にはそんなお宝が900本。
映写機も200点。しかも個人で運営されている。


四条大宮から徒歩8分。
京都・壬生馬場町の町家を改装した『おもちゃ映画ミュージアム』
確かに、モノクロの無声映画は、
現代の超リアルな映像と音によって作られる
圧倒的な臨場感には欠けるかも知れない。
しかし、そこには思わず引き込まれる想像の愉しみがある。
それは、言葉と所作だけで楽しむ落語とどこか似ている。
もちろん活弁士を伴った無声映画も楽しい。
それぞれの活弁士が無声の映像にどう色付けしていくか。
これも愉しみのひとつであろう。
同様に、役者の表情と動作から言葉を読み取る作業も、
これまた、すこぶる愉しい。
映像が不足する落語と、
言葉が不足する無声映画。
両者は相反しているようで、
実はよく似たところがある。
「想像」や「創造」は、
人間に与えられた最高の娯楽、だとぼくは思う。
そんな遊戯を愉しむひとときになればと、
今回、以下のような催しを企ててみた。

※二回目以降も、講談師、歴史小説家、狂言師・・・・・・をゲストに迎えて映画談義を愉しむ予定です。

左から林幸治郎(ちんどん通信社代表)、青木美香子(歌手)、
太田文代・太田米男(おもちゃ映画ミュージアム)、ぼく
◆林幸治郎氏についての過去ブログはここをクリック
◆公演の詳細はここをクリックして
『おもちゃ映画ミュージアム』サイトをご覧ください。

◆「花團治公式サイト」はここをクリック
これは泥んこ遊びのひとつで、
泥を丸めて作った玉にきめの細かい砂をまぶして固め、
それを手のひらで磨いて硬くしていく。
濡らしては固め、乾かせては濡らしの作業を繰り返すうち、
やがてそれは艶々と輝き始め、見事な金の玉へと変貌する。
こうして出来上がった玉を今度は友だち同士で競い合った。
高いところから相手の団子目指して落とすのだ。
それぞれが団子に向いた上質の土の在り処や、
それを制作する際の秘伝を持っていた。
また、丹精込めて作った団子を
友人のそれと交換して友情の証しとすることもあった。
ポンという遊びも流行した。
牛乳瓶の蓋を机の上に置き、
手のひらで叩いてひっくり返すという競技。
まさにポンッという擬音がぴったり。
相手の蓋をひっくり返せば自分のものになったし、
そうやって集めた蓋はそれぞれにとって大切な宝物になった。
これは個人的なことだが、当時、
布団に潜れば「妄想」という愉しみも待っていた。
父親にひどく叱られたときは、父親が怪獣になった。
ぼくの名は宇宙からやってきたヒーロー「モリリンモンローマン」。
(本名の”森”から自ら命名)
布団のなかで、ピシュンピシュン、ボカーン!と擬音を発し続けた。
父親はぼくが放つビーム光線で見事木っ端みじんに吹き飛ばされた。
演芸ジャーナリスト・やまだりよこさんの著に、
六代桂文枝師匠の少年期についてこんなエピソードが紹介されている。
遊園地も公園もなく、おもちゃも持たない少年は木切れなどその辺にあるものでさまざまな遊びを生み出したという。工夫して、なんでもないものを面白いものに変える。(中略)「友達が来たら、友達に帰って欲しくなくて、いろんなことを考えて、いろんな遊びを考え出した。なんとか引き止めるためにいろいろ考えたり笑わせたりもした。今思うと、これが、僕の笑いや創作の原点だったのかもしれない」(『桂三枝論』やまだりよこ著・ヨシモトブックス・2012年より)
高価な玩具を買ってもらえなくったって、
遊びの材料はそこらあたりにたくさん転がっていた。
工夫すればいくらでも生まれた。
「不足」は創造の源である。

桂文枝とウクレレボーイズ。
落語家のお祭り『彦八まつり』に向けて、鈴木智貴氏(右から二人目)を講師に迎えバンドの練習。
落語はご承知の通り、演者の言葉や所作をヒントに、
お客が頭のなかに映像を描いていくという芸能。
具体的な映像の代わりに、「想像」が無限の愉しさを生み出す。
先日、京都の壬生にある『おもちゃ映画ミュージアム』を訪ねた。
明治から大正にかけて、お金持ちの家庭では、
ブリキ製の手回し映写機を楽しんでいたのだという。
その映像は劇場で公開済みのもので、
要らなくなったフィルムは、デパートなどで
短く切り売りされていた。
昭和の初期は、無声映画からトーキーに切り替わる時代。
映画会社にとって、昔のフィルムは無用のものだった。
そんなフィルムを「おもちゃ映画」と呼んでいる。
『おもちゃ映画ミュージアム』にはそんなお宝が900本。
映写機も200点。しかも個人で運営されている。


四条大宮から徒歩8分。
京都・壬生馬場町の町家を改装した『おもちゃ映画ミュージアム』
確かに、モノクロの無声映画は、
現代の超リアルな映像と音によって作られる
圧倒的な臨場感には欠けるかも知れない。
しかし、そこには思わず引き込まれる想像の愉しみがある。
それは、言葉と所作だけで楽しむ落語とどこか似ている。
もちろん活弁士を伴った無声映画も楽しい。
それぞれの活弁士が無声の映像にどう色付けしていくか。
これも愉しみのひとつであろう。
同様に、役者の表情と動作から言葉を読み取る作業も、
これまた、すこぶる愉しい。
映像が不足する落語と、
言葉が不足する無声映画。
両者は相反しているようで、
実はよく似たところがある。
「想像」や「創造」は、
人間に与えられた最高の娯楽、だとぼくは思う。
そんな遊戯を愉しむひとときになればと、
今回、以下のような催しを企ててみた。

※二回目以降も、講談師、歴史小説家、狂言師・・・・・・をゲストに迎えて映画談義を愉しむ予定です。

左から林幸治郎(ちんどん通信社代表)、青木美香子(歌手)、
太田文代・太田米男(おもちゃ映画ミュージアム)、ぼく
◆林幸治郎氏についての過去ブログはここをクリック
◆公演の詳細はここをクリックして
『おもちゃ映画ミュージアム』サイトをご覧ください。

◆「花團治公式サイト」はここをクリック
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