198.せぬひまがおもしろい~はたしてぼくは待ちぼうけのとき、どんな顔をして立っているのだろうか?~
これも職業病だろうか?他人の佇まいというものがつい気になってしまう。
電車のなかで前の座席に座るおじさん、コンビニのレジで順番を待つ学生、
オープンカフェでくつろぐOL、客席で落語に聴き入るご婦人……。
シャーロックホームズさながら
その人の職業や趣味、普段の生活などを想像してしまうのである。
駅の改札近くで待ち合わせをしている男性はひょっとして恋人との待ち合わせだろうか。
それにしても颯爽と立つその姿は同性のぼくが見ても惚れ惚れする。
次の瞬間、恋人が現れて爽やかな笑顔が拝めるかもしれない。
そう思うと、しばらくその場から離れたくない。

桂花團治(福井県・敦賀落語会にて) 撮影:相原正明
先日、落語家によるお祭り「彦八まつり」のステージにて
日舞教室の発表が行われた。
稽古人は落語家や下座三味線のお姉さん方。
ぼくもその一人として参加したのだが、
今回が初参加のぼくは手順が飛びはすまいか、
ちょっと自信がなかったので横に熟練者を据えてもらうことにした。
おかげで手順を間違うことなく無事を得たのだが、
それを見ていた知人から手厳しい批評を受けることになった。
「横の人が上手いので、
花團治さんとの違いがよく分かりましたよ」
聞けば、ぼくも確かに手順通りに踊っていたには違いないが、
ポーズが決まってなくて所作が流れていたり、
立ち姿ひとつ取っても横の人とは雲泥の差であったという。
ところどころに緊張のゆるみを感じたらしい。
無論、そのポーズの間の動きひとつも手順の内に違いないのだが。

『彦八まつり』特設ステージにて日舞の披露(2017年9月2日)
かつて初めてミュージカル劇団の芝居に客演として舞台に立たせてもらったとき、
まず困ったのは標準語の台詞よりも台詞のない時だった。
つまり、そこにどのように立っていればいいのかという問題。
手を腰に当てた方がいいのか、あるいはブランと下げたままがいいのか。
舞台の上では一挙手一投足全てが意味を持つ。
一人何役もする落語家にとって、
言葉を発さず演技に参加するということが
これほどムツカシイものかということをこの時思い知らされた。
以前、桂米團治師匠とホテルのバーでワインを飲んでいたとき、
傍らにいたぼくのマネージャーがうっとりした眼差しでこう言った。
「これほどグラスを
綺麗に自然に持つ人は初めて見ました」
確かにぼくがトイレに立ってテーブルに戻る際、
遠目に見ても米團治師匠のその様子はとても絵になっていた。
落語の登場人物は属性や役職などをその言葉遣いもさることながら態で表す。
手を正座した膝のどこに置くか、腰骨を立てるか、前屈みに座るのか……
例えば、手の平を腰の付け根あたりで横に置くようにして肘を張り、
腰骨をしっかり立てると構えたようにすれば武士が表現できる。
米團治師匠の場合、品のある御大家の若旦那がはまり役である。
また、ぼくの写真を撮り続けて下さっている写真家の相原正明さんは、
桂春之輔師匠が落語を演る際の指先の美しさに魅入られたという。
なるほどふとした仕草を捉えた写真でも、その指先は美しく揃い、
そこはかとない色気を感じさせる。
※ 『写真家・相原正明がとらえた春之輔』はここをクリック!
美しい画像でご覧いただけます。

桂春之輔師匠(敦賀落語の会にて) 撮影:相原正明

三代目桂花團治襲名記念口上(左から、桂治門、桂春蝶、桂花團治、桂春之輔) 撮影:相原正明
ところで、能を幽玄の世界にまで導いた世阿弥の教えにこんな言葉がある。
「せぬひまがおもしろい」
見所の批判に云はく、「せぬ所が面白き」など云ふことあり。これは為手の秘する所の案心なり。まづ二曲を初めとして、立ち働き・物真似の種々、ことごとくみな身になすわざなり。せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物真似、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして用心をもつ内心なり。この内心の感、外に匂ひて面白きなり。かやうなれどもこの内心ありと他に見えて悪かるべし。もし見えば、それはわざになるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す案心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり。
何もしないときのおもしろさ。
何もせず、じっとしている間にこそ現れる芸の本質について説いている。
確かに、能を鑑賞に行くと役者が立っているだけで
その存在感に圧倒されることがよくある。
いい役者はそこにいるだけで絵になる。
冒頭に紹介した駅の改札近くの男性然りである。
ぼくが手本とする師匠や先輩方はすべからくそこに居るだけで絵になる人である。
ことに、ぼくの師匠である先代春蝶はお世辞にも姿勢がいいとは言えない人だったが、
常に何とも言えない良いオーラを醸し出していた。
「何もしていないときにどう魅せるか」
これがぼくにとって目下課題のひとつである。
はたしてぼくは待ちぼうけのとき、
どんな顔をして立っているのだろうか。
百年の恋も醒めるようなことに
なっていないだろうか。
※ この原稿は熊本の(株)リフティングブレーン様の社報誌「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」をもとに加工したものです。

◆『花團治の宴-en-』の詳細はこちらをクリック!
◆『写真家・相原正明のつれづれフォトグラフ』はこちらをクリック!
◆『花團治公式サイト』はこちらをクリック!
電車のなかで前の座席に座るおじさん、コンビニのレジで順番を待つ学生、
オープンカフェでくつろぐOL、客席で落語に聴き入るご婦人……。
シャーロックホームズさながら
その人の職業や趣味、普段の生活などを想像してしまうのである。
駅の改札近くで待ち合わせをしている男性はひょっとして恋人との待ち合わせだろうか。
それにしても颯爽と立つその姿は同性のぼくが見ても惚れ惚れする。
次の瞬間、恋人が現れて爽やかな笑顔が拝めるかもしれない。
そう思うと、しばらくその場から離れたくない。

桂花團治(福井県・敦賀落語会にて) 撮影:相原正明
先日、落語家によるお祭り「彦八まつり」のステージにて
日舞教室の発表が行われた。
稽古人は落語家や下座三味線のお姉さん方。
ぼくもその一人として参加したのだが、
今回が初参加のぼくは手順が飛びはすまいか、
ちょっと自信がなかったので横に熟練者を据えてもらうことにした。
おかげで手順を間違うことなく無事を得たのだが、
それを見ていた知人から手厳しい批評を受けることになった。
「横の人が上手いので、
花團治さんとの違いがよく分かりましたよ」
聞けば、ぼくも確かに手順通りに踊っていたには違いないが、
ポーズが決まってなくて所作が流れていたり、
立ち姿ひとつ取っても横の人とは雲泥の差であったという。
ところどころに緊張のゆるみを感じたらしい。
無論、そのポーズの間の動きひとつも手順の内に違いないのだが。

『彦八まつり』特設ステージにて日舞の披露(2017年9月2日)
かつて初めてミュージカル劇団の芝居に客演として舞台に立たせてもらったとき、
まず困ったのは標準語の台詞よりも台詞のない時だった。
つまり、そこにどのように立っていればいいのかという問題。
手を腰に当てた方がいいのか、あるいはブランと下げたままがいいのか。
舞台の上では一挙手一投足全てが意味を持つ。
一人何役もする落語家にとって、
言葉を発さず演技に参加するということが
これほどムツカシイものかということをこの時思い知らされた。
以前、桂米團治師匠とホテルのバーでワインを飲んでいたとき、
傍らにいたぼくのマネージャーがうっとりした眼差しでこう言った。
「これほどグラスを
綺麗に自然に持つ人は初めて見ました」
確かにぼくがトイレに立ってテーブルに戻る際、
遠目に見ても米團治師匠のその様子はとても絵になっていた。
落語の登場人物は属性や役職などをその言葉遣いもさることながら態で表す。
手を正座した膝のどこに置くか、腰骨を立てるか、前屈みに座るのか……
例えば、手の平を腰の付け根あたりで横に置くようにして肘を張り、
腰骨をしっかり立てると構えたようにすれば武士が表現できる。
米團治師匠の場合、品のある御大家の若旦那がはまり役である。
また、ぼくの写真を撮り続けて下さっている写真家の相原正明さんは、
桂春之輔師匠が落語を演る際の指先の美しさに魅入られたという。
なるほどふとした仕草を捉えた写真でも、その指先は美しく揃い、
そこはかとない色気を感じさせる。
※ 『写真家・相原正明がとらえた春之輔』はここをクリック!
美しい画像でご覧いただけます。

桂春之輔師匠(敦賀落語の会にて) 撮影:相原正明

三代目桂花團治襲名記念口上(左から、桂治門、桂春蝶、桂花團治、桂春之輔) 撮影:相原正明
ところで、能を幽玄の世界にまで導いた世阿弥の教えにこんな言葉がある。
「せぬひまがおもしろい」
見所の批判に云はく、「せぬ所が面白き」など云ふことあり。これは為手の秘する所の案心なり。まづ二曲を初めとして、立ち働き・物真似の種々、ことごとくみな身になすわざなり。せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物真似、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして用心をもつ内心なり。この内心の感、外に匂ひて面白きなり。かやうなれどもこの内心ありと他に見えて悪かるべし。もし見えば、それはわざになるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す案心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり。
何もしないときのおもしろさ。
何もせず、じっとしている間にこそ現れる芸の本質について説いている。
確かに、能を鑑賞に行くと役者が立っているだけで
その存在感に圧倒されることがよくある。
いい役者はそこにいるだけで絵になる。
冒頭に紹介した駅の改札近くの男性然りである。
ぼくが手本とする師匠や先輩方はすべからくそこに居るだけで絵になる人である。
ことに、ぼくの師匠である先代春蝶はお世辞にも姿勢がいいとは言えない人だったが、
常に何とも言えない良いオーラを醸し出していた。
「何もしていないときにどう魅せるか」
これがぼくにとって目下課題のひとつである。
はたしてぼくは待ちぼうけのとき、
どんな顔をして立っているのだろうか。
百年の恋も醒めるようなことに
なっていないだろうか。
※ この原稿は熊本の(株)リフティングブレーン様の社報誌「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」をもとに加工したものです。

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