199.春蝶兄さんが生きてはったらなぁ~四代目桂春団治とぼくの因縁~
春之輔師匠は、ぼくにとって高校の大先輩でもあります。
落語家の系図でいえば、ぼくの師匠(先代春蝶)のすぐ下の弟弟子で、
ぼくの叔父貴にあたります。
ぼくが入門して間もない35年前、
なぜか事あるごとに春之輔師匠は
うちの師匠から呼び出されては小言をくらっていました。
「お前にしっかりしてもらわな困るんや!」

ぼくの高校時代。舞台上の右から4人目がぼく。
当時、大阪府立の豊中、箕面、桜塚の落語研究会が集まって合同の寄席を開いていました。
ぼくは桜塚高校落研の16代目部長でした。春之輔師匠は2代目部長。
ちなみに、初代部長がSF作家のかんべむさしさんです。
現在、春之輔師匠は「上方落語協会」副会長として、
協会運営や後進の指導、大阪の定席小屋『天満天神繁昌亭』に関する交渉ごとなど、
他の師匠方が嫌がる仕事を自ら引き受けて尽力されていますが、
先日こんなことを口にされました。
「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ、
わしがこんなことまでしなくてよかった」

二年前、ぼくが襲名の際にはゲストのスケジュールや出演交渉など方々に頭を下げて回って下さいました。
このときもやはり「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ」とよく口にされていたのを覚えています。
うちの師匠の代わりを務めて下さってたんですね。本当に感謝しきりです。
(撮影:相原正明)
そんな春之輔師匠も来春「四代目春團治」を襲名されます。
つい先日はこんなことを漏らされました。
「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ、
兄さんが春團治になってたのは
きっと間違いないねん」
でも、35年前のあのやり取りを想えば、
うちの師匠はいずれこうなることを予感していたのかもしれません。
ここに一枚の写真があります。
これは二年前、ぼくが春之輔師匠から指導いただいている場面です。
この写真を見るたびに35年前のことを想いだします。
その場にたまたま居合わせた硬直している後ろ姿の前座さんが、
当時のぼくの姿にぴったり当てはまります。
うちの師匠と春之輔師匠もこんな感じでした。

繁昌亭の楽屋にて (撮影:相原正明)
いつの頃からか、
春之輔師匠の後ろに亡き師匠がいるように思えてならないのです。
今回もゲストを快く引き受けて下さって感謝の気持ちでいっぱいです。

繁昌亭の楽屋にて (撮影:相原正明)

~東京独演会に際して~
ぼくの師匠の先代春蝶は、いわゆるステレオタイプで語られるようなコテコテの大阪人とは真逆の人でした。洒脱な雰囲気を持っていて、「もっと東京に出てくればよさそうなものを」と周囲から言われつつ、とうとう東京ではあまり演じることなくあの世に行ってしまいました。演芸プロデューサーの澤田隆治先生には「東京には魔物がいる」と言って東京進出を断ったようですが、真相のところはわかりません。ぼくが東京で会を催すようになってある方からこう言われました。「あなたは“いわゆる大阪特有の匂い”がしないところがいい」。その方がぼくのどこをどう指しておっしゃったかは、自分ではよく理解できぬままですが、先代春蝶の雰囲気に憧れるぼくにとって、嬉しいお言葉でもありました。しかし、大阪はコテコテばかりじゃなく、粋(すい)ではんなり(花なり)という一面もあるのです。そこで、今回は大阪落語界のなかでも特にそういう雰囲気をお持ちのお師匠はん方にゲストをお願いしました。ぼくが思う「上方」の良さを少しでもお伝えできれば幸いです。 三代目 桂花團治
◆「花團治の宴-en-」の詳細はこちらをクリック!

桂春之輔(撮影:相原正明)
◆四代目春團治の所作
『相原正明つれづれフォトグラフ』はこちらをクリック!
◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック!

◆『二代目春蝶生誕祭』の詳細はこちらをクリック!
落語家の系図でいえば、ぼくの師匠(先代春蝶)のすぐ下の弟弟子で、
ぼくの叔父貴にあたります。
ぼくが入門して間もない35年前、
なぜか事あるごとに春之輔師匠は
うちの師匠から呼び出されては小言をくらっていました。
「お前にしっかりしてもらわな困るんや!」

ぼくの高校時代。舞台上の右から4人目がぼく。
当時、大阪府立の豊中、箕面、桜塚の落語研究会が集まって合同の寄席を開いていました。
ぼくは桜塚高校落研の16代目部長でした。春之輔師匠は2代目部長。
ちなみに、初代部長がSF作家のかんべむさしさんです。
現在、春之輔師匠は「上方落語協会」副会長として、
協会運営や後進の指導、大阪の定席小屋『天満天神繁昌亭』に関する交渉ごとなど、
他の師匠方が嫌がる仕事を自ら引き受けて尽力されていますが、
先日こんなことを口にされました。
「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ、
わしがこんなことまでしなくてよかった」

二年前、ぼくが襲名の際にはゲストのスケジュールや出演交渉など方々に頭を下げて回って下さいました。
このときもやはり「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ」とよく口にされていたのを覚えています。
うちの師匠の代わりを務めて下さってたんですね。本当に感謝しきりです。
(撮影:相原正明)
そんな春之輔師匠も来春「四代目春團治」を襲名されます。
つい先日はこんなことを漏らされました。
「春蝶兄さんが生きてはったらなぁ、
兄さんが春團治になってたのは
きっと間違いないねん」
でも、35年前のあのやり取りを想えば、
うちの師匠はいずれこうなることを予感していたのかもしれません。
ここに一枚の写真があります。
これは二年前、ぼくが春之輔師匠から指導いただいている場面です。
この写真を見るたびに35年前のことを想いだします。
その場にたまたま居合わせた硬直している後ろ姿の前座さんが、
当時のぼくの姿にぴったり当てはまります。
うちの師匠と春之輔師匠もこんな感じでした。

繁昌亭の楽屋にて (撮影:相原正明)
いつの頃からか、
春之輔師匠の後ろに亡き師匠がいるように思えてならないのです。
今回もゲストを快く引き受けて下さって感謝の気持ちでいっぱいです。

繁昌亭の楽屋にて (撮影:相原正明)

~東京独演会に際して~
ぼくの師匠の先代春蝶は、いわゆるステレオタイプで語られるようなコテコテの大阪人とは真逆の人でした。洒脱な雰囲気を持っていて、「もっと東京に出てくればよさそうなものを」と周囲から言われつつ、とうとう東京ではあまり演じることなくあの世に行ってしまいました。演芸プロデューサーの澤田隆治先生には「東京には魔物がいる」と言って東京進出を断ったようですが、真相のところはわかりません。ぼくが東京で会を催すようになってある方からこう言われました。「あなたは“いわゆる大阪特有の匂い”がしないところがいい」。その方がぼくのどこをどう指しておっしゃったかは、自分ではよく理解できぬままですが、先代春蝶の雰囲気に憧れるぼくにとって、嬉しいお言葉でもありました。しかし、大阪はコテコテばかりじゃなく、粋(すい)ではんなり(花なり)という一面もあるのです。そこで、今回は大阪落語界のなかでも特にそういう雰囲気をお持ちのお師匠はん方にゲストをお願いしました。ぼくが思う「上方」の良さを少しでもお伝えできれば幸いです。 三代目 桂花團治
◆「花團治の宴-en-」の詳細はこちらをクリック!

桂春之輔(撮影:相原正明)
◆四代目春團治の所作
『相原正明つれづれフォトグラフ』はこちらをクリック!
◆「花團治公式サイト」はこちらをクリック!

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