202.客いじりのある高座風景~言霊から漫才まで~
寄席の高座でその場のお客をネタにしたり、直接話しかけたりすることは
「客弄り(いじり)」といってあまり好まれることではない。
寄席のお客は芸を楽しみに来ているのであって、
そういう対話を目的に来ているのではないというのがその主な理由。
おまけに寄席の出番はあらかじめそれぞれの持ち時間が決まっているので、
「客弄り」はタイムオーバーの原因にもなる。

筆者の高座風景(撮影:相原正明)
ずいぶん前になるが、その日の夜間高校での授業テーマは「言霊」だった。
演じる落語はぼくのなかでは「正月丁稚」と決めていた。
縁起を担ぐ商家の旦那とその奉公人のやり取りを描いた咄。
本題に入る前にまず世間話などから入るのは寄席と同じで、
この日はその頃流行っていた『トイレの神様』(2010年有村花菜)
という歌のことをマクラにした。
夜間高校に集う学生は10代から70代までと年代もバラバラなら国籍も様々。
「八百万の神といってあらゆるものに神が宿ってるというのが
日本古来の考え方なんやな」という説明に一人の学生が反応。
彼女は「神様はひとつ。神様がたくさんいるなんて、
とってもクレージー!」 と強く主張し始めた。

10代から70代までが通う夜間高校。
老若男女。国籍も思想も違う者同士が机を並べる空間は、学びの場としてはある意味、理想的だ。
ところ変われば品変わる。
「言霊」にしてもそうだ。例えば、これから飛行機に搭乗しようというときに
「落ちたら怖いなぁ」なんてことを言われれば
「そんな縁起でもないことを言うんやない。もし本当に落ちたらお前のせいやぞ」
などと返す人が多いのではなかろうか。
けれどもそんな因果関係は科学的に認められない。
こういう会話がなされること自体、
日本が「言霊」の国であることを示している。
プロ野球のイチロー選手が交わした契約書にもそれが如実に表れている。
オリックス時代に交わした契約書とマリナーズとの間に交わしたそれとでは
書類の分厚さがまるで違ったものだったという。
マリナーズの契約書では、もしものトラブルに関してなど、
想定されるあらゆる事象についての項目が微に入り細にわたり記されていたらしい。

筆者の高座風景(撮影:相原正明)
さて、そんな話題で盛り上がったのち、いよいよ「正月丁稚」を聴いてもらうつもりで
「縁起担ぎ」や「祝祷芸」について触れ始めたときだった。
一人の年配女性が門付け芸の思い出を語り出した。
「うちは小さい時分は三河におったさかい、萬歳ちゅうのがよう来てたで。
……そやねん。今の漫才と違うねん」。
その昔「まんざい」は「萬歳」であって「漫才」ではなかった。
「漫才」という字を当てたのはエンタツ・アチャコが全盛の時代、
後に吉本興行の社長となった橋本鐵彦氏が命名したというのが定説になっている。
「萬歳」はお目出度い文言を並べながら囃し立てる音曲の芸だった。
今の「しゃべくり漫才」はその「音曲漫才」の音曲の合間のしゃべくり部分が独立したものだ。
当時、エンタツ・アチャコのしゃべくり漫才に初めて接した客のなかには
「いつまでも喋ってばかりやなくて
真面目に萬歳をやったらどうや」
と野次を飛ばすものもいたらしい。
……とそんな話題になったとき、
今度はそれまで眠そうにしていた一人の10代がしっかり起き出した。
どうやら「漫才」という言葉に反応したらしい。
「漫才作家の秋田實先生は
小さい子どもからお年寄りまで
家族で楽しめる漫才を創ったわけや。
それがお茶の間に繋がって……」
それからは年配の方々を中心に思い出の漫才ばなしが繰り広げられ、
「正月丁稚」を演じるには少々時間が足りなくなった。
「ちょうどここに、いとしこいし先生の漫才ビデオがあるから、
今日はこれを観て授業を終わろうと思います」。
この日、落語は結局演らず終いとなってしまったが、
お客が能動的にハナシを拡げてくれる
夜間学級ならではの高座(講座)時間
が、ぼくは嫌いではない。
※この原稿は、熊本のリフティング・ブレーン社が発行する社報誌『月刊リフブレ通信』に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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▶花團治公式サイトはこちらをクリック!
「客弄り(いじり)」といってあまり好まれることではない。
寄席のお客は芸を楽しみに来ているのであって、
そういう対話を目的に来ているのではないというのがその主な理由。
おまけに寄席の出番はあらかじめそれぞれの持ち時間が決まっているので、
「客弄り」はタイムオーバーの原因にもなる。

筆者の高座風景(撮影:相原正明)
ずいぶん前になるが、その日の夜間高校での授業テーマは「言霊」だった。
演じる落語はぼくのなかでは「正月丁稚」と決めていた。
縁起を担ぐ商家の旦那とその奉公人のやり取りを描いた咄。
本題に入る前にまず世間話などから入るのは寄席と同じで、
この日はその頃流行っていた『トイレの神様』(2010年有村花菜)
という歌のことをマクラにした。
夜間高校に集う学生は10代から70代までと年代もバラバラなら国籍も様々。
「八百万の神といってあらゆるものに神が宿ってるというのが
日本古来の考え方なんやな」という説明に一人の学生が反応。
彼女は「神様はひとつ。神様がたくさんいるなんて、
とってもクレージー!」 と強く主張し始めた。

10代から70代までが通う夜間高校。
老若男女。国籍も思想も違う者同士が机を並べる空間は、学びの場としてはある意味、理想的だ。
ところ変われば品変わる。
「言霊」にしてもそうだ。例えば、これから飛行機に搭乗しようというときに
「落ちたら怖いなぁ」なんてことを言われれば
「そんな縁起でもないことを言うんやない。もし本当に落ちたらお前のせいやぞ」
などと返す人が多いのではなかろうか。
けれどもそんな因果関係は科学的に認められない。
こういう会話がなされること自体、
日本が「言霊」の国であることを示している。
プロ野球のイチロー選手が交わした契約書にもそれが如実に表れている。
オリックス時代に交わした契約書とマリナーズとの間に交わしたそれとでは
書類の分厚さがまるで違ったものだったという。
マリナーズの契約書では、もしものトラブルに関してなど、
想定されるあらゆる事象についての項目が微に入り細にわたり記されていたらしい。

筆者の高座風景(撮影:相原正明)
さて、そんな話題で盛り上がったのち、いよいよ「正月丁稚」を聴いてもらうつもりで
「縁起担ぎ」や「祝祷芸」について触れ始めたときだった。
一人の年配女性が門付け芸の思い出を語り出した。
「うちは小さい時分は三河におったさかい、萬歳ちゅうのがよう来てたで。
……そやねん。今の漫才と違うねん」。
その昔「まんざい」は「萬歳」であって「漫才」ではなかった。
「漫才」という字を当てたのはエンタツ・アチャコが全盛の時代、
後に吉本興行の社長となった橋本鐵彦氏が命名したというのが定説になっている。
「萬歳」はお目出度い文言を並べながら囃し立てる音曲の芸だった。
今の「しゃべくり漫才」はその「音曲漫才」の音曲の合間のしゃべくり部分が独立したものだ。
当時、エンタツ・アチャコのしゃべくり漫才に初めて接した客のなかには
「いつまでも喋ってばかりやなくて
真面目に萬歳をやったらどうや」
と野次を飛ばすものもいたらしい。
……とそんな話題になったとき、
今度はそれまで眠そうにしていた一人の10代がしっかり起き出した。
どうやら「漫才」という言葉に反応したらしい。
「漫才作家の秋田實先生は
小さい子どもからお年寄りまで
家族で楽しめる漫才を創ったわけや。
それがお茶の間に繋がって……」
それからは年配の方々を中心に思い出の漫才ばなしが繰り広げられ、
「正月丁稚」を演じるには少々時間が足りなくなった。
「ちょうどここに、いとしこいし先生の漫才ビデオがあるから、
今日はこれを観て授業を終わろうと思います」。
この日、落語は結局演らず終いとなってしまったが、
お客が能動的にハナシを拡げてくれる
夜間学級ならではの高座(講座)時間
が、ぼくは嫌いではない。
※この原稿は、熊本のリフティング・ブレーン社が発行する社報誌『月刊リフブレ通信』に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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