203.努力って嫌な言葉ですな~芸の歪みは身体の歪みから~
うちの師匠(二代目春蝶)は
「努力」という言葉が嫌いな人だった。
「そんなに頑張って喋らんでもええがな」というぼくへのダメ出しは
もはや口癖に近かった。
「もっと普通に喋らんかい」とも言われた。
師匠の追悼CDアルバムのリーフレットのなかには
師匠のこんなエッセイが紹介されている。
「出来ないのか、好きでないのか”力仕事”と名の付くものが、まったく苦手である。従って、こじつけやないが”努力”という言葉は大嫌いである。第一、2文字の中に”力”というのが2つも入っている。人間努力をすれば、何でもできる、一流になれる。まったくのウソではないか。ある素質、天分の上に努力をすれば開花されることもあろう。ファーストクラスに生まれかわることもできよう。思うに、これは先人があまり甘えないようにするための激励しったではなかろうか。それよりも、気楽に純粋に生きた方がずっと楽しい。いっけん、こちらの方がやさしそうにみえるが、こちらもなかなかむつかしいものですよ!努力しながら生きるか、気楽に人生を送るのか。ひとつ諸兄氏”リキ”まないで考えて欲しいですな」(原文ママ)
そんな師匠にぼくが肩凝りで悩んでいることを打ち明けると、
師匠は不思議そうにこう言った。
「わしな、今まで肩こりというものを
経験したことがないねん」

あれから20数年経っても今だ肩凝り持ちのぼくは、
最近、近くの整骨院に足繁く通うようになった。
先生に言われるまま、腕を伸ばしたり曲げてみたり……
痛みの原因を突き止めるのにさほど時間は掛からなかった。
何らかの理由で首の骨の間が詰まっていたのだ。
それが神経を圧迫して左肩全体の痺れに繋がっていた。
数回通ううちにその痛みもすっかり取れ、
今は身体全体を整えるための施術に入っている。
院長である山岡洋祐先生は学生時代にはラガーマンとして活躍、
その怪我の治療をきっかけに整体に興味を持つようになったのだという。

大阪鴫野にある「城東整骨院」にて、院長の山岡洋祐先生と。
「城東整骨院」の公式サイトはこちらをクリック!
施術を受けながらいろいろ会話を交わすうち、
先生から「ヒモトレ」を薦められた。
これはバランストレーナーの小関勲氏が考案したトレーニングメソッドで、
ヒモ一本で身体のバランスを整えていくというものだ。
小関巌氏が武術研究家の甲野善紀氏と共に著した『ヒモトレ革命』のなかにこんなくだりがある。
小関「一般的にトレーニングとは補ったり、強化したり、増やしたりすることが共通認識としてありますが、その前提には足りない、弱い、少ないという潜在的な枯渇感がある。この枯渇感を満たしたいがために、ちゃんと”やってる感”が必要なんでしょうね」
甲野「”やってる感”というのは、不足している、弱い、少ないという貧困さから来ていますから、自分が元々持っている自然な働きに気付くという方向にはなかなか目がいきませんよね」
小関「ヒモトレで”なにもしていない”感覚があるということは、体にかかっている負荷が全身に散り、全身が連動してちょうど良く動いている証拠。その状態が理想なんです。余計な力が出ていないからこそ、身体に負荷がかかっていないんです。実際にアスリートたちが良いパフォーマンスを発揮できた時は、いかにも”やっている”という身体的な実感はないそうです」

……ぼくにも身に覚えがある。稽古で生じる喉が枯れそうな感覚。
これがまさに”やってる感”であった。
ぼくはこの感覚を覚えては満足していた。
先述の「そんなに頑張って喋らんでもええがな」という師匠のダメ出しは全くこれに符合している。
山岡先生は「これも受け売りですが」と断りながらこうも言われた。
「努力はいいんですが、
努力感というのが良くないですね」
うちの師匠も確かに努力は重ねていた。
でも、本人のなかに努力しているという感覚はなかったのだろう。
高座も普段も変わらぬ自然体があの飄々とした語り口に繋がったし、
余計な力を入れないという習性が「肩凝り知らず」にも繋がったのだろう。
ぼくはこの整骨院で施術以上のものをいただいた。
身体が歪めば芸も歪み、身体が解放されれば力みからも解放される。
もしぼくがこの先、芸人として大きく化けることあれば
「その陰に山岡先生あり」と言えるだろう。

山岡洋祐先生のお話を伺ううち、ぼくの愛読する『教師のためのからだとことば考』とも繋がっているように思えた。
そこで山岡先生に一冊進呈したところ、後日先生から『野口体操』の本を頂いた。
今、読みかけているところだが、「力を抜けば力が出る」の項に触れ、今いたく感動している。
この原稿は熊本のリフティングブレーン社が発行する『リフブレ通信』に連載させて頂いている
コラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
『リフティングブレーン』の公式サイト

西洋や日本の無声映画、また、狂言、落語を通して、それぞれの身体性にも触れていきます。
ゲストの金久寛章氏は、舞台俳優であり、狂言師でもある。
『劇団四季』の研究所にも籍を置いていたこともあり、今回のテーマにはぴったりの講師。
もちろん、落語や狂言の上演もお楽しみいただきます。
座席は30席ほどしかないので、どうかお早目のご予約を願います。
上記イベントの詳細は、下記をクリックくださいませ。↓
第4回『花團治の咄して観よかい』
『花團治公式サイト』はこちらをクリック!
「努力」という言葉が嫌いな人だった。
「そんなに頑張って喋らんでもええがな」というぼくへのダメ出しは
もはや口癖に近かった。
「もっと普通に喋らんかい」とも言われた。
師匠の追悼CDアルバムのリーフレットのなかには
師匠のこんなエッセイが紹介されている。
「出来ないのか、好きでないのか”力仕事”と名の付くものが、まったく苦手である。従って、こじつけやないが”努力”という言葉は大嫌いである。第一、2文字の中に”力”というのが2つも入っている。人間努力をすれば、何でもできる、一流になれる。まったくのウソではないか。ある素質、天分の上に努力をすれば開花されることもあろう。ファーストクラスに生まれかわることもできよう。思うに、これは先人があまり甘えないようにするための激励しったではなかろうか。それよりも、気楽に純粋に生きた方がずっと楽しい。いっけん、こちらの方がやさしそうにみえるが、こちらもなかなかむつかしいものですよ!努力しながら生きるか、気楽に人生を送るのか。ひとつ諸兄氏”リキ”まないで考えて欲しいですな」(原文ママ)
そんな師匠にぼくが肩凝りで悩んでいることを打ち明けると、
師匠は不思議そうにこう言った。
「わしな、今まで肩こりというものを
経験したことがないねん」

あれから20数年経っても今だ肩凝り持ちのぼくは、
最近、近くの整骨院に足繁く通うようになった。
先生に言われるまま、腕を伸ばしたり曲げてみたり……
痛みの原因を突き止めるのにさほど時間は掛からなかった。
何らかの理由で首の骨の間が詰まっていたのだ。
それが神経を圧迫して左肩全体の痺れに繋がっていた。
数回通ううちにその痛みもすっかり取れ、
今は身体全体を整えるための施術に入っている。
院長である山岡洋祐先生は学生時代にはラガーマンとして活躍、
その怪我の治療をきっかけに整体に興味を持つようになったのだという。

大阪鴫野にある「城東整骨院」にて、院長の山岡洋祐先生と。
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施術を受けながらいろいろ会話を交わすうち、
先生から「ヒモトレ」を薦められた。
これはバランストレーナーの小関勲氏が考案したトレーニングメソッドで、
ヒモ一本で身体のバランスを整えていくというものだ。
小関巌氏が武術研究家の甲野善紀氏と共に著した『ヒモトレ革命』のなかにこんなくだりがある。
小関「一般的にトレーニングとは補ったり、強化したり、増やしたりすることが共通認識としてありますが、その前提には足りない、弱い、少ないという潜在的な枯渇感がある。この枯渇感を満たしたいがために、ちゃんと”やってる感”が必要なんでしょうね」
甲野「”やってる感”というのは、不足している、弱い、少ないという貧困さから来ていますから、自分が元々持っている自然な働きに気付くという方向にはなかなか目がいきませんよね」
小関「ヒモトレで”なにもしていない”感覚があるということは、体にかかっている負荷が全身に散り、全身が連動してちょうど良く動いている証拠。その状態が理想なんです。余計な力が出ていないからこそ、身体に負荷がかかっていないんです。実際にアスリートたちが良いパフォーマンスを発揮できた時は、いかにも”やっている”という身体的な実感はないそうです」

……ぼくにも身に覚えがある。稽古で生じる喉が枯れそうな感覚。
これがまさに”やってる感”であった。
ぼくはこの感覚を覚えては満足していた。
先述の「そんなに頑張って喋らんでもええがな」という師匠のダメ出しは全くこれに符合している。
山岡先生は「これも受け売りですが」と断りながらこうも言われた。
「努力はいいんですが、
努力感というのが良くないですね」
うちの師匠も確かに努力は重ねていた。
でも、本人のなかに努力しているという感覚はなかったのだろう。
高座も普段も変わらぬ自然体があの飄々とした語り口に繋がったし、
余計な力を入れないという習性が「肩凝り知らず」にも繋がったのだろう。
ぼくはこの整骨院で施術以上のものをいただいた。
身体が歪めば芸も歪み、身体が解放されれば力みからも解放される。
もしぼくがこの先、芸人として大きく化けることあれば
「その陰に山岡先生あり」と言えるだろう。

山岡洋祐先生のお話を伺ううち、ぼくの愛読する『教師のためのからだとことば考』とも繋がっているように思えた。
そこで山岡先生に一冊進呈したところ、後日先生から『野口体操』の本を頂いた。
今、読みかけているところだが、「力を抜けば力が出る」の項に触れ、今いたく感動している。
この原稿は熊本のリフティングブレーン社が発行する『リフブレ通信』に連載させて頂いている
コラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
『リフティングブレーン』の公式サイト

西洋や日本の無声映画、また、狂言、落語を通して、それぞれの身体性にも触れていきます。
ゲストの金久寛章氏は、舞台俳優であり、狂言師でもある。
『劇団四季』の研究所にも籍を置いていたこともあり、今回のテーマにはぴったりの講師。
もちろん、落語や狂言の上演もお楽しみいただきます。
座席は30席ほどしかないので、どうかお早目のご予約を願います。
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