204.象引物語~泣いたり笑ったり、怒ったり……とかく桂福車は忙しかった~

桂福車、2015年花團治襲名お練りにて(撮影:相原正明)
2018年2月1日没、享年56
桂福車に関する逸話は快挙にいとまがない。
例えば、「上方落語協会」の会長選を巡る総会の席。
それまでは理事会で決められた案を
協会員全員の賛同を得て決定するという選び方に異を唱え、
「会長は協会員全員による投票で決めるべきだ!」と声高に訴えたのは彼だった。
これにより、初の協会会長選挙で誕生したのが桂三枝(現・六代文枝)会長である。
今の「上方落語協会」が単なる親睦団体から
公益社団法人にまで発展していった背景には彼の功績も大きい。
思い立ったら自身の損得など全く意に介さず意見を言うのが彼の性分だった。
彼と立ち上げた新作落語の会でも運営を巡ってずいぶん対立したが、
落語家の先輩や作家さん方に言いにくいことなど、
全て彼が代弁してくれるので、
代表を務めていたぼくとしてはずいぶん助かった。

倒れ込む福車、殴りかかるぼく、それを止める森乃福郎(”落語一番搾り”結成時)

手前から森乃福郎、ぼく、桂福車(”落語一番搾り”結成時)
通夜の席で、ある方がぼくにこう言った。
「何か困ったことがあると彼によく相談してね。
そのたびに彼は大きな声で代弁してくれる。
いつも壁になって守ってくれました」
居酒屋に入ると、勝手に唐揚げにレモンをしぼったといっては
後輩への説教が始まった。
「あのな、こんなものは勝手に掛けたらいかんねん。ちゃんと先に断るべきやろ!」
社会派落語家と言われるだけあって政治経済についてもよく勉強していた。
最近では過労死をテーマにした『エンマの願い』が
マスコミでも多く取り上げられ話題になった。
落語会の打ち上げで、その主催者やスポンサーと
ささいなことで対立、大モメすることも多々あった。
自分が正しいと思うことには一直線だった。
「損得」も「忖度」も
「長いものに巻かれる」という言葉も
彼の辞書にはなかった。
常に何かに憤っていたというイメージが強い彼だが、
その一方でこんな表情も見せた。
30数年前、ぼくの最初の結婚披露宴のとき、
お互いに駆け出しだったにも関わらず、彼の持ってきた祝儀が
同期の落語家のなかでも破格だったので、そのお礼を言うと
「兄さんにはどれだけ世話になってますねん。こういう時しか返すとこがありませんやん!」
このときの彼の顔は、かなり照れ臭そうで、
これ以上染まり様がないくらい真っ赤だった。
とてもシャイな男なのだ。

ぼくの襲名お練りのときには、必死になってその船を動かしてくれていた。
涙もろい一面もあった。
ぼくが福車の涙を初めて見たのは、
彼が新作『象引物語』(作・ぶうち古谷)を演じていたときのことだった。
内国勧業博覧会跡地の開発が進むなか、
北の大火をきっかけに、
動物たちが、本町にあった「大阪府立動物檻」から、
大阪市立天王寺動物園へ移動させられるという場面。
頑としてそこを動こうとしない象の団平に、
一人の調教師が語りかけるというシーン。
「お前と(象の)常盤が恋仲やったことはぼくも知ってる。実はぼく、常盤に会いに東京浅草の花屋敷に行ってきたんや。あいつも寂しがってたで。お前のことを話すとこれを渡してくれって……彼女の胴掛けや」
彼は涙目どころか、
声を震わせて泣いていた。
ぼくも思わず舞台袖でもらい泣きした。
けれども、彼はずっとこれを悔いていた。
「演じる人間が泣いてしまうやなんて
兄さん、ぼくは咄家失格ですわ」
この日、彼は打ち上げでもずっとそのことを言い続けていた。
よほど悔しかったのだろう。
すぐに泣いたり、怒ったり、
真っ赤になって照れたり……
うるさい奴っちゃと思ったこともあったが、
……とかく彼は忙しい男だった。

左からぼく、福車、福郎(”落語一番搾り”結成時)
生前、ぼくが彼に「これ、ええ咄やな」というと、
「兄さんも演んなはれ」と言って薦めてくれたのが『象引物語』。
このたび、ぼくも22年ぶりに口演させていただくことになりました。
稽古するたび、彼のあの涙を思い出します。
2018年2月1日没、享年56。……合掌。

この日は、「桂福車独演会」が予定されていましたが、
急きょ、彼もレギュラーメンバーとして属していた「花菱の会」で会を催すことになりました。
▶詳しくはこちらをクリックください。
「桂福車この高座を見よ」」
※「桂花團治公式サイト」は
こちらをクリック!
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