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20.編集稽古

現在、私はウェブ学校の受講生である。
「昨日見た映画、一日のスケジュール、普段の会話など
身の周りのあらゆる情報からその編集の方法を取り出し、
それを様々な場面や局面に生かすよう“型”を身につけていく」。
校長はこれを“編集工学”と名付けている。

十名の受講者に対し一人の先生だが、ここではあえて
“先生”とは言わずに“師範代”と言い、
“教える”とは言わず“指南する”と言う。つまり、教えを“導く”のである。
ついでに言うと“解答”ではなく“回答”。
“受講者”と言わずに“学衆”。

その十名十色の“回答”とそれらに対する“指南”をお互いが眺めつつ、
また学衆同志が励まし合いながら自らが気付き学んでいく。

既存のゲームをアレンジして新しい遊びを考案したり、
“ちゃぶ台のスイカ、テーブルのメロン”というような対比の言葉で遊んでみたり、
最近では映像のカットを組み替えてストーリーを創造するというお題があった。

ところで先日、出講する大学の教授と話していて、私の受け持ったクラスのうち、
何年目が一番活気づいていたかということに話題が及んだ。
これはおそらく初年度であろうから私は素直にそう応えた。
実はこの頃の私の授業は一番右往左往していた。

しかしその反面、学生らの質問がとても活発だったのもこの年だ。
「先生は何でそんなに小さいスリッパ(雪駄)履いてるのん?」
「この間、葬式に行ったらすごく笑いそうになってんけど何でかな?」
その多くに不勉強な私はすぐには応えられず
「ゴメン。次までの宿題にさしてもうてええかな?」が私の常套句となった。
けれども、こうした素朴な疑問が
意外に深い考察や発見へと繋がっていったのも確かである。

履き物と日本文化の関連性、笑いのメカニズム等々。
授業を先導してくれたのはいつも学生たちだった。
夫婦の愛情を描いた咄を聴いてもらった際には、
「そんな亭主、私やったらすぐに別れたるわ」
「いや、私はそういう男に尽くしてしまうタイプやねん」
と喧々諤々となり教室はまるでマクドナルドの一角と化した。
女子の元気に男子が圧倒されている光景は少し可笑しくさえあった。
この初年度の初回の講義を終えてすぐ、教授は私にこうおっしゃった。
「まとまっていないからいいこともあるんですよ。まとまりきれてないから、
ああだこうだと話を進めていく。すると聞いている方もああかこうかと考える。
つまりこれが対話のような形になるんです。
ところが、まとまった話をそのまま伝えようとすると、これはただの伝達になってしまう。
それは生きた知識にはなり得ません。授業はいかに対話するかです」。
これは芸とも符合する。

・・・あれから四年。現在受け持っている学生はあの頃と比べると発言も少ない。
その代わりしきりにノートを取る光景は増えた。
それはそれでとても結構なことだが、
もし私の何かが学生の活発な意見を封じ込めているとするなら
決していい授業とは言えないだろう。

最近ある方にもこんなことを言われた。
「揺るぎない正論ほど謙虚に語らんとあきまへん」。
なるほどこれぞ正論とばかり口角泡を飛ばす人ほど
“対話”ということに関して無頓着だ。

つい昨日のことである。
私はこの原稿途中で一旦筆を置き講演会に出掛けている。
講師は元大阪府議の山本健治氏。
わずか三十名ほどの教室には前大阪市長も受講生の一人として参加しておられ、
それには氏も少し驚かれた様子だったが、
これがちょっとしたサプライズに繋がったり
随分と楽しませてもらった。

講演内容については氏が最近出された「親子崩壊」(三五館)という著書にも
一部書かれているので是非こちらをお読み頂きたいが、
その三時間近くの講演は休憩時間でさえ席を立つ者が誰一人いないほど
それは充実した内容だった。

その休憩時の氏の一言でさえ聞き洩らすまいという思いは誰もが同じであったろう。
その時、氏はこんな一言を洩らしている。
それは「質問があればどしどしぶつけて下さいよ」という
司会者の言葉に応えたものだった。

「私はね、鼻から相手を論破しようなんて思っていません。
まず相手を知り、立場を分かって相手を“認める”ことから始めなきゃ」。
そう言ってホワイトボードに記したのは「認」という一文字だった。
「これはね“言うに忍ぶ”と書くんです」。

メディアでは“怒りのヤマケン”というキャッチフレーズで知られる氏だが、
その過激に思われる発言も決して押しつけではなく説得力をもって
スッと心に届いてくるのはきっとこういう姿勢あっての事だろう。
それに“怒り”のベースにあるものは“憎悪”ではなく限りない“愛情”である。
そう言えば昔、酒場で故・六代目松鶴師について聞かれ
「世間では豪快なように思われているようですが、
それ以上に繊細で小心なところもあったように思う」と応えたところ、
そこの女将が
「そう!豪快なだけじゃただの荒くれ者よ。豪快なほど繊細でなきゃ男はダメ」
というような事をおっしゃっていた。
学校でも一見強面で厳しい先生ほど実はとても優しかったりする。

さて、この原稿の仕上げにかかっているところに
冒頭の師範代から学衆の一人に宛てた回答メールが届いた。
そこにはこんな一言が。
「気になることの方に専心するとぐるぐるに行き詰まったりしてしまう。
全く違ういろんなコトを並行して頭を走らせておくのが良いのかな、と思ったりします。
編集稽古の方も仕事や家事や趣味やいろんなものと並行しているからいいわけで。
校長がよく“ポリロール(多くの役割)がいい”と言っていますけれど、
これは精神衛生上も、効率としてもいいんだなぁ」。

学衆のどんな些細な呟きにも師範代はいつもこんな具合に返してくれる。
これは私にとっても嬉しい一言。
ポリロールするからこそひとつの事を多角的に学べ深めていくことができると
私はそう確信している。

実際に、この数日間は編集稽古に大学講義、講演会や音楽コンサート、
絵画展、演劇、落語、狂言、裁縫教室、天神祭り講習会、種々の宴会・・・

ずいぶん色んなことに関わらせてもらったがこれらは決してバラバラではなかった。
“軸”をどこに据えるか?

例えば、“教育”なのか?“表現”なのか?繋がるか否かは
“軸”の据え方次第だろうし、知識が生きるか否かも並べ方ひとつだと思う。

それぞれのポリロールをどう生かすか。
これも編集稽古のひとつだ。
それで今回は“教育=対話”を“軸”に考えてみた。(了)
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コメント
5: by りー on 2012/09/07 at 21:14:45

蝶六さま、こんばんは。

今回のお話は、とても厳しくご指導していただいた、そんな感じがします。
反省しなくてはいけないことばかりが書いてあります。

「揺るぎない正論ほど謙虚に語らんとあきまへん」。
「私はね、鼻から相手を論破しようなんて思っていません。

まず相手を知り、立場を分かって相手を“認める”ことから始めなきゃ」。
私としては、これまで相手の方を認めていたというつもりであって、
認めていなかったのだということに気づきました。
「言うに忍ぶ」、これをよく頭にいれて行動します。これまでの数々のことを反省します。

気づかせてくださり、本当にありがとうございました。

6: by 桂蝶六 on 2012/09/07 at 21:54:45

りーさま
いつもコメントをいただき、ありがとうございます。励みになります。
明日、例の講座の主催者の方に会います。
いい報告ができます。

「言うに忍ぶ」。私自身も気付かされました。
語っているうちに気持ちよくなって周りが見えなくなる。これが私の悪い癖です。

気付かされたことを胆に命じて擦り込むように・・・そのために書いているようなものです。

ではまた。
ありがとうございました。

プロフィール

蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

http://hanadanji.net/

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