213.野球嫌いなぼくが何故「虎キチ」師匠に入門を乞うたか?~アカン奴ほど愛おしい~
ちょうどこの原稿を書いている最中、
世間では連日ワールドカップの話題で持ち切りである。
しかし、ぼくはこの手の話がどうも苦手だ。
それはおそらく少年期のトラウマからきている。
ぼくは大の運動音痴で、ことに団体球技の類となると
身体中が緊張して動けなくなる。
野球では大きなフライに誰もがアウトを確信した瞬間、
ぼくがポトリと落としてしまうのがお決まりだった。
いつもそんなふうだから、いつしか級友たちは
ぼくを野球やサッカーに誘うようなことはしなくなったし、
授業の一環などでぼくと同じチームになった者はあからさまに嫌な顔をした。
そんなことがトラウマとなって、
いつしか球技そのものから距離を置くようになっていった。

※過去ブログ『生まれ故郷~負の想い出より~』はここをクリックしてお読みください。
ぼくの師匠の二代目春蝶は言わずと知れた
大のタイガースファンであった。
30年程前の大阪では阪神タイガース関連の番組ともなると
まず真っ先に名前が挙がるのはうちの師匠だった。
タイガースの勝ち負けに一喜一憂する姿を入門する前から幾度となく見ていた。
そんな師匠のもとに野球嫌いのぼくが入門を乞うた。
このことを不思議に感じる人もいるだろうが、
ぼくが猛烈に師匠に惹かれたのは師匠が「阪神ファン」だったからこそだと、
今になって分かった気でいる。

師匠の家族と共に撮った写真はこれ一枚きりである。
奥さんに促されるように収まったように記憶している。師匠の家に住み込みの時代。
師匠とお揃いのセーターを着た少年が、師匠の長男・濱田大助(現・三代目春蝶)

左:ぼく、右:三代目春蝶
昭和59年、二代目春蝶はディスコメイトレコードから
『たのんまっせ!阪神タイガース』という曲を発表している。
強かったなあ、あの時の阪神は、十一連勝!と、喜んでいたら、あと八連敗。
そこが、また阪神らしいところかねえ。
勝つ時はムチャクチャ強いけど、肝心な時にはよう裏切られるねん。思たら、
昭和48年最終戦、巨人に勝ったら優勝やいう時に9対0の完敗。
あの時は三日間寝込んでしもうた。あの悔しさ分かるか。
選手は替っても、ファンは死ぬまで阪神ファンやねん。
そこんとこ分かるんやったらホンマに頼んまっせ!。
「判官贔屓」という言葉があるがまさにこのことだ。
落語というものはどこか「判官贔屓」である。
落語は愚かや恥ずかしさの連続であり、
それを受容するところに落語の存在価値がある。

関西テレビ『男の井戸端会議』の収録
左から二代目春蝶、横山ノック、やしきたかじん、桂ざこば
(写真提供:三代目春蝶)
例えば師匠がよく演じた「昭和任侠伝」(桂音也・作)。
映画のなかの高倉健が演じる任侠道に生きる男に憧れ、
自らもそうありたいと願うがことごとく失敗を繰り返す咄。
「刑務所に入ったら箔が付く」と思い込んだ男は路上に店を構える八百屋から
バナナを一本盗もうとするがたちまちのうちに取り押さえられる。
店の大将は男を押さえながら怒るでもなくこう言う。
「…誰やと思たらお前、角の八百屋の子やないか。…家にぎょうさんバナナあるのに」。
「しゃあないやっちゃ」と呆れつつも男の行為をどこかオモシロがっている。
『替り目』という咄を現代版に焼き直した『悪酔い』では、
虚勢を張りつつも女房の尻に敷かれる亭主。
人間のダメさ加減を蔑むのではなく、むしろ愛おしく見る眼差し。
このことは師匠が阪神ファンであることと全く符合している。
ぼくは師匠の「弱者=小市民を応援する姿」に惚れたのだ。
ぼくがいくらドジを踏んでも、師匠から
あからさまに嫌な顔をされたことは一度だってない。
それどころか「何をしとんねん」とぼやきつつ、
むしろほんの少し暖かい笑みを浮かべることすらあった。
ぼくはこの受容にどれほど救われたことか。
この感性がペーソスのもとであり、師匠の咄そのものであった。

撮影:相原正明
人は誰もが強い者に憧れる。
常勝チームには多くのファンがつく。当たり前である。
しかし、その一方で弱いチームを応援し続ける人もいる。
今年のワールドカップは
ベルギー代表に惜しくも負けてしまったが堂々の16位だった。
勝者の雄叫びや勝利に歓喜する様もいいが、それよりも
敗者の弁に深みを感じたり、
敗けた者への賛辞の声の方が心に響いてくる
…と思うのは、ぼくが負け戦の常連だからだろうか。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」の連載コラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

▶「二代目春蝶生誕祭」の詳細はこちらをクリックしてご覧ください。

▶「花團治・銀瓶二人会」の詳細はこちらをクリックしてご覧ください。
▶「花團治公式サイト」はこちらをクリック!
世間では連日ワールドカップの話題で持ち切りである。
しかし、ぼくはこの手の話がどうも苦手だ。
それはおそらく少年期のトラウマからきている。
ぼくは大の運動音痴で、ことに団体球技の類となると
身体中が緊張して動けなくなる。
野球では大きなフライに誰もがアウトを確信した瞬間、
ぼくがポトリと落としてしまうのがお決まりだった。
いつもそんなふうだから、いつしか級友たちは
ぼくを野球やサッカーに誘うようなことはしなくなったし、
授業の一環などでぼくと同じチームになった者はあからさまに嫌な顔をした。
そんなことがトラウマとなって、
いつしか球技そのものから距離を置くようになっていった。

※過去ブログ『生まれ故郷~負の想い出より~』はここをクリックしてお読みください。
ぼくの師匠の二代目春蝶は言わずと知れた
大のタイガースファンであった。
30年程前の大阪では阪神タイガース関連の番組ともなると
まず真っ先に名前が挙がるのはうちの師匠だった。
タイガースの勝ち負けに一喜一憂する姿を入門する前から幾度となく見ていた。
そんな師匠のもとに野球嫌いのぼくが入門を乞うた。
このことを不思議に感じる人もいるだろうが、
ぼくが猛烈に師匠に惹かれたのは師匠が「阪神ファン」だったからこそだと、
今になって分かった気でいる。

師匠の家族と共に撮った写真はこれ一枚きりである。
奥さんに促されるように収まったように記憶している。師匠の家に住み込みの時代。
師匠とお揃いのセーターを着た少年が、師匠の長男・濱田大助(現・三代目春蝶)

左:ぼく、右:三代目春蝶
昭和59年、二代目春蝶はディスコメイトレコードから
『たのんまっせ!阪神タイガース』という曲を発表している。
強かったなあ、あの時の阪神は、十一連勝!と、喜んでいたら、あと八連敗。
そこが、また阪神らしいところかねえ。
勝つ時はムチャクチャ強いけど、肝心な時にはよう裏切られるねん。思たら、
昭和48年最終戦、巨人に勝ったら優勝やいう時に9対0の完敗。
あの時は三日間寝込んでしもうた。あの悔しさ分かるか。
選手は替っても、ファンは死ぬまで阪神ファンやねん。
そこんとこ分かるんやったらホンマに頼んまっせ!。
「判官贔屓」という言葉があるがまさにこのことだ。
落語というものはどこか「判官贔屓」である。
落語は愚かや恥ずかしさの連続であり、
それを受容するところに落語の存在価値がある。

関西テレビ『男の井戸端会議』の収録
左から二代目春蝶、横山ノック、やしきたかじん、桂ざこば
(写真提供:三代目春蝶)
例えば師匠がよく演じた「昭和任侠伝」(桂音也・作)。
映画のなかの高倉健が演じる任侠道に生きる男に憧れ、
自らもそうありたいと願うがことごとく失敗を繰り返す咄。
「刑務所に入ったら箔が付く」と思い込んだ男は路上に店を構える八百屋から
バナナを一本盗もうとするがたちまちのうちに取り押さえられる。
店の大将は男を押さえながら怒るでもなくこう言う。
「…誰やと思たらお前、角の八百屋の子やないか。…家にぎょうさんバナナあるのに」。
「しゃあないやっちゃ」と呆れつつも男の行為をどこかオモシロがっている。
『替り目』という咄を現代版に焼き直した『悪酔い』では、
虚勢を張りつつも女房の尻に敷かれる亭主。
人間のダメさ加減を蔑むのではなく、むしろ愛おしく見る眼差し。
このことは師匠が阪神ファンであることと全く符合している。
ぼくは師匠の「弱者=小市民を応援する姿」に惚れたのだ。
ぼくがいくらドジを踏んでも、師匠から
あからさまに嫌な顔をされたことは一度だってない。
それどころか「何をしとんねん」とぼやきつつ、
むしろほんの少し暖かい笑みを浮かべることすらあった。
ぼくはこの受容にどれほど救われたことか。
この感性がペーソスのもとであり、師匠の咄そのものであった。

撮影:相原正明
人は誰もが強い者に憧れる。
常勝チームには多くのファンがつく。当たり前である。
しかし、その一方で弱いチームを応援し続ける人もいる。
今年のワールドカップは
ベルギー代表に惜しくも負けてしまったが堂々の16位だった。
勝者の雄叫びや勝利に歓喜する様もいいが、それよりも
敗者の弁に深みを感じたり、
敗けた者への賛辞の声の方が心に響いてくる
…と思うのは、ぼくが負け戦の常連だからだろうか。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」の連載コラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

▶「二代目春蝶生誕祭」の詳細はこちらをクリックしてご覧ください。

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