216.やるかやられるか~師匠と弟子の奇妙な関係~
若手の頃、ぼくはよく師匠の前座を
務めさせてもらっていた。
それも師匠とぼくと一席ずつという現場が多かった。
師匠は番組のレギュラーも多く、
まるでパズルのピースを埋め込むような
スケジュールで、ギリギリに現場到着
ということも少なくなかった。
その日もぼくは、
まだ楽屋入りしていない師匠を気にしながら
高座に上がった。
予定では、いつも通り演じて下りたとしても、
師匠は出番に何とか間に合うはずだが、
どんなアクシデントに見舞われないとも限らない。
もし間に合わない場合は、高座のあと、
師匠の姿が現れるまで、
小咄や漫談でつなぐというのが、
いつもの倣いになっていた。

師匠の二代目春蝶 (撮影:後藤清)
……その日もまた、ぼくの一席が終わったとき、
師匠の姿は袖にはなかった。
ぼくは覚えているだけの小咄や漫談を披露しつつ
汗だくになって時間をつないだ。
30分は経っただろうか、
少なくともぼくにはそう思えた。
ようやく師匠の姿を袖に確認したとき、
ぼくはその場に倒れ込みそうになった。
「……というわけで、ようやく春蝶の準備が整いました!
ただいまより、桂春蝶の登場です!!」
袖に引っ込んだぼくは安堵する間もなく、
今度は別の理由でおおいに焦り出した。
なぜなら、師匠は
ぼくが今喋った小咄をしようとしていたからだ。
それを伝える術もなく、
師匠はぼくが今演った同じ話を始めた。
っていうか、ぼくが
師匠のオリジナルの小咄を勝手に先に喋ったのだ。
訝る客席。師匠もすぐにそれに気付いた。
「……という話を、
うちの弟子が最近ようやりまんねん」
怪訝な空気は爆笑に変わった。
師匠が下りてくるなり、ぼくは走り寄った。
まず謝った。
「し、師匠、すんまへんでした」
それに対して師匠は何も応えず、
別の話題に切り替えた。
「腹減ったなぁ、
うどんでも食いに行こかぁ」
焦りまくる弟子に対し、それ以上の言葉はぶつけない。
それが師匠だった。

師匠の家族と共に(後列右端がぼく)
続けて全く同じ咄を聞かされたお客は
一瞬対応に困ったかもしれない。
それを話術と機転で爆笑に変えた師匠は
見事としか言いようがなかったが、
こういう事態はよく起こりうる。
例えば、ある大手芸能社に所属するタレントが
「うちの会社、ギャラを9割も抜きまんねん」
ある催しで、この話題を漫才師が喋るのを
ぼくは3組続けて聞いたことがある。
鉄板ネタにも思えないが。

桂花團治(撮影:こいけなおこ)
ところで、ぼくの場合、
苦し紛れにやってしまった失態だったが、
過去には、師匠が、
後から出る我が弟子が用意していた演目を
あえてわざと演ってしまうという例もあった。
江戸期の終焉から明治にかけて活躍した、
近代落語の祖『三遊亭圓朝』という名人がいた。
あまり落語をご存じでない方も
「牡丹灯篭」『真景累ヶ淵』といった演目は、
耳にしたことがあるだろう。
落語で「怪談」ものといえば、まず『三遊亭圓朝』。
他にも『芝浜』『死神』といった名作を
遺している。
『圓朝』といえば扇子と手拭のみで表現する、
いわゆる「素ばなし」のイメージが強いだろう。
しかし、『圓朝』が世に売り出すようになったのは、
道具立てで演じる「芝居噺」がきっかけだった。
(『圓朝』は一時期、歌川國芳の門人として絵師を志していた。
その画才を背景道具に存分に発揮することができたと思われる)

ある席において、いつものように
『圓朝』は芝居噺を演じる予定で、
それを演じるための道具を
前もって舞台に仕込んでいた。
ところが、その前に出演した
師匠の『二代目三遊亭圓生』は、
弟子が予定していた演目を
「素ばなし」の形でわざと先に演じた。
それで仕方なく、『圓朝』はその道具を使いながら、
急きょ全く別の演目に変えて演じたという。
この時、『圓朝』はこう思った。
師匠も、誰も、演らない自分だけの咄をつくろう。
かくして、『圓朝』は数多くの傑作を
世に生み出したことになった。
それが先述の『牡丹灯篭』であり、
『真景累ヶ淵』『芝浜』『死神』であった。
『二代目圓生』のそれは、
師匠の愛か、
あるいは単なるパワハラだったのか?
ともあれ、『圓朝』は
師匠の仕打ちがきっかけとなり、
後に「近代落語の祖」と呼ばれるまでになった。
『圓朝』は『二代目圓生』に対し、
「何と理不尽な」とそのとき思ったかも知れない。
でも、人を恨むでなく、そのエネルギーを
自分のステージを上げることに費やした。
二代目春蝶は、本当は内心
どう思ったかは知らないが、
弟子の不出来を責めるでなく、
そのアクシデントを笑いに変えた。
・・・『三遊亭圓朝の明治』を読み終え、
あの時の苦い経験が蘇ってきた。

▶「二代目春蝶生誕祭」の詳細はこちらをクリック!

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務めさせてもらっていた。
それも師匠とぼくと一席ずつという現場が多かった。
師匠は番組のレギュラーも多く、
まるでパズルのピースを埋め込むような
スケジュールで、ギリギリに現場到着
ということも少なくなかった。
その日もぼくは、
まだ楽屋入りしていない師匠を気にしながら
高座に上がった。
予定では、いつも通り演じて下りたとしても、
師匠は出番に何とか間に合うはずだが、
どんなアクシデントに見舞われないとも限らない。
もし間に合わない場合は、高座のあと、
師匠の姿が現れるまで、
小咄や漫談でつなぐというのが、
いつもの倣いになっていた。

師匠の二代目春蝶 (撮影:後藤清)
……その日もまた、ぼくの一席が終わったとき、
師匠の姿は袖にはなかった。
ぼくは覚えているだけの小咄や漫談を披露しつつ
汗だくになって時間をつないだ。
30分は経っただろうか、
少なくともぼくにはそう思えた。
ようやく師匠の姿を袖に確認したとき、
ぼくはその場に倒れ込みそうになった。
「……というわけで、ようやく春蝶の準備が整いました!
ただいまより、桂春蝶の登場です!!」
袖に引っ込んだぼくは安堵する間もなく、
今度は別の理由でおおいに焦り出した。
なぜなら、師匠は
ぼくが今喋った小咄をしようとしていたからだ。
それを伝える術もなく、
師匠はぼくが今演った同じ話を始めた。
っていうか、ぼくが
師匠のオリジナルの小咄を勝手に先に喋ったのだ。
訝る客席。師匠もすぐにそれに気付いた。
「……という話を、
うちの弟子が最近ようやりまんねん」
怪訝な空気は爆笑に変わった。
師匠が下りてくるなり、ぼくは走り寄った。
まず謝った。
「し、師匠、すんまへんでした」
それに対して師匠は何も応えず、
別の話題に切り替えた。
「腹減ったなぁ、
うどんでも食いに行こかぁ」
焦りまくる弟子に対し、それ以上の言葉はぶつけない。
それが師匠だった。

師匠の家族と共に(後列右端がぼく)
続けて全く同じ咄を聞かされたお客は
一瞬対応に困ったかもしれない。
それを話術と機転で爆笑に変えた師匠は
見事としか言いようがなかったが、
こういう事態はよく起こりうる。
例えば、ある大手芸能社に所属するタレントが
「うちの会社、ギャラを9割も抜きまんねん」
ある催しで、この話題を漫才師が喋るのを
ぼくは3組続けて聞いたことがある。
鉄板ネタにも思えないが。

桂花團治(撮影:こいけなおこ)
ところで、ぼくの場合、
苦し紛れにやってしまった失態だったが、
過去には、師匠が、
後から出る我が弟子が用意していた演目を
あえてわざと演ってしまうという例もあった。
江戸期の終焉から明治にかけて活躍した、
近代落語の祖『三遊亭圓朝』という名人がいた。
あまり落語をご存じでない方も
「牡丹灯篭」『真景累ヶ淵』といった演目は、
耳にしたことがあるだろう。
落語で「怪談」ものといえば、まず『三遊亭圓朝』。
他にも『芝浜』『死神』といった名作を
遺している。
『圓朝』といえば扇子と手拭のみで表現する、
いわゆる「素ばなし」のイメージが強いだろう。
しかし、『圓朝』が世に売り出すようになったのは、
道具立てで演じる「芝居噺」がきっかけだった。
(『圓朝』は一時期、歌川國芳の門人として絵師を志していた。
その画才を背景道具に存分に発揮することができたと思われる)

ある席において、いつものように
『圓朝』は芝居噺を演じる予定で、
それを演じるための道具を
前もって舞台に仕込んでいた。
ところが、その前に出演した
師匠の『二代目三遊亭圓生』は、
弟子が予定していた演目を
「素ばなし」の形でわざと先に演じた。
それで仕方なく、『圓朝』はその道具を使いながら、
急きょ全く別の演目に変えて演じたという。
この時、『圓朝』はこう思った。
師匠も、誰も、演らない自分だけの咄をつくろう。
かくして、『圓朝』は数多くの傑作を
世に生み出したことになった。
それが先述の『牡丹灯篭』であり、
『真景累ヶ淵』『芝浜』『死神』であった。
『二代目圓生』のそれは、
師匠の愛か、
あるいは単なるパワハラだったのか?
ともあれ、『圓朝』は
師匠の仕打ちがきっかけとなり、
後に「近代落語の祖」と呼ばれるまでになった。
『圓朝』は『二代目圓生』に対し、
「何と理不尽な」とそのとき思ったかも知れない。
でも、人を恨むでなく、そのエネルギーを
自分のステージを上げることに費やした。
二代目春蝶は、本当は内心
どう思ったかは知らないが、
弟子の不出来を責めるでなく、
そのアクシデントを笑いに変えた。
・・・『三遊亭圓朝の明治』を読み終え、
あの時の苦い経験が蘇ってきた。

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