220.独りよがりなお喋り~”習う”って、羽に白いと書くんやで~
少し前の話だが、家人の治療のことである病院を紹介され、
そこで手続きに関する説明を受けることになった。
小部屋に通されるとずいぶん慣れた調子で担当の看護師が喋り始めた。
もう毎度のことなんだろうか、かなりの早口である。質問を挟む余地もない。
こちらに息を継ぐ暇も与えない。何か質問をしようものなら、
咎められるようなバリアさえ感じた。
何より彼女の語り口の独特な抑揚はひどく耳障りだった。
何とか話についていこうと努めるも全くの無駄で、
気がついた時には説明が一通り終わっていた。
「ご理解いただけましたか?」の問いかけにさすがに「はい」とは言えず、
「もう少し噛んで含むようにゆっくり言ってもらえないか」とお願いをした。
結果は同じことだった。
幸いにも看護師が喋った内容がそのままプリントされたものがあったので、
それを自宅に持ち帰って読むことにした。
看護師にとってはルーティンワークでも、ぼくにとっては人生初のこと。
もっと寄り添ってくれてもいいのではとぼくの憤りは増すばかり。
でもよくよく考えると、ぼくも人に同じようなことをしていないかと心配になってきた。

筆者・桂花團治(撮影:相原正明)
ぼくは落研(落語研究会)出身者である。高校生になって落語と出会い、
それからカセットテープの音源を元に見よう見まねで落語を演じてきた。
まず身につけたのがいわゆる落語口調。
独特の節回しに身を委ねるように来る日も来る日も同じ台詞を繰り返した。
発表会を観に来た級友たちは褒めてくれたものの、
感想は皆一様に「よくあれだけ長い台詞を覚えたなぁ」とか、
「まるで落語家みたいやなぁ」といった内容だった。
落語の内容に関することは誰一人として口にしない。
「オモシロイ!」や「また聴きたい」に及んでは皆無に近かった。
ぼくは次の日からまた同じように落語口調に身を委ねたが、
実はこの我流がかえって良くない結果に繋がっていたことを、
その時はまだ知るよしもなかった。

高校の落研時代
春蝶(先代)のもとに入門してしばらく経ったある日のこと。
師匠に稽古してもらう様子を横で聞いていた兄弟子の一人がぽつりとぼくにこう言った。
「お前、落研出身か?」。
褒められたとばかり思ったぼくはすかさず「はい、そうです!」と快活に応えた。
「やっぱり!…口調が落研やもん」。
そのときはあまり気にも留めなかったがこれはぼくを暗に批判していた。
師匠からは「“習う”ってどう書くか、知ってるか?
……そうや。“羽が白い”と書くねん」
という言葉をもらっている。
つまり、ぼくは師匠を忠実に真似ないばかりか、
学生の頃から身に沁みついた落語口調に寄りかかっていた。
それにそうした方が台詞自体は覚えやすく喋っていて気持ちも良かった。
落語を演るというより、”落語家のモノマネ”芸をしていたに過ぎなかった。
このことに気がついたのは、
ぼくが他人に落語の稽古をつけるようになってからのことだ。

二代目(先代)桂春蝶(撮影:後藤清)
今、ぼくはとある公民館で落語サークルの指導を行っている。
ここに来るまで見よう見まねで覚えてきた人も多く、これが意外に苦労する。
かつて師匠はぼくに対し同じように思ったであろう。
沁みついた口調に寄りかかって大きな声を出していれば確かに気持ちが良い。
時折カラオケなどで自分の声に酔いしれる人を見かけるがあれによく似ている。
それを聴く者が心地良いかというとそうとは限らない。
本人の気持ち良さと反比例することがほとんどである。
あの看護師の独特の口調はいったい何だったのだろう。
きっと何度も同じ言葉を繰り返すうち、
それが独特のメロディとなって本人の身に沁みついたのだろう。
メロディを伴いながら物ごとを暗記するというのは決して悪いことではないが、
相手に伝える場合は別だ。自身の楽章を作ったはいいが、
そこに相手の気が入る隙間を一切作らなかった。
あのとき感じたバリアはそこから来ていた。
言うまでもなく、落語もまた聴き手ありきの芸である。
一方通行になってはいないか。独りよがりになってはいないか。
まずは自身の落語音源のチェックからだ。

筆者が主宰する落語教室「愚か塾」の稽古風景。いつも師匠が見守ってくれています。
※「愚か塾」についてのサイトはこちらから
(現在、定員を超えているためキャンセル待ちです)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」の連載コラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
※「花團治公式サイト」はこちらをクリックくださいませ。

※「土曜元気寄席」の詳細はこちらをクリックくださいませ。

※「いけだ春團治まつり」の詳細はこちらをクリックくださいませ。

※横浜にぎわい座「祝・新元号」の詳細はこちらをくださいませ。
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そこで手続きに関する説明を受けることになった。
小部屋に通されるとずいぶん慣れた調子で担当の看護師が喋り始めた。
もう毎度のことなんだろうか、かなりの早口である。質問を挟む余地もない。
こちらに息を継ぐ暇も与えない。何か質問をしようものなら、
咎められるようなバリアさえ感じた。
何より彼女の語り口の独特な抑揚はひどく耳障りだった。
何とか話についていこうと努めるも全くの無駄で、
気がついた時には説明が一通り終わっていた。
「ご理解いただけましたか?」の問いかけにさすがに「はい」とは言えず、
「もう少し噛んで含むようにゆっくり言ってもらえないか」とお願いをした。
結果は同じことだった。
幸いにも看護師が喋った内容がそのままプリントされたものがあったので、
それを自宅に持ち帰って読むことにした。
看護師にとってはルーティンワークでも、ぼくにとっては人生初のこと。
もっと寄り添ってくれてもいいのではとぼくの憤りは増すばかり。
でもよくよく考えると、ぼくも人に同じようなことをしていないかと心配になってきた。

筆者・桂花團治(撮影:相原正明)
ぼくは落研(落語研究会)出身者である。高校生になって落語と出会い、
それからカセットテープの音源を元に見よう見まねで落語を演じてきた。
まず身につけたのがいわゆる落語口調。
独特の節回しに身を委ねるように来る日も来る日も同じ台詞を繰り返した。
発表会を観に来た級友たちは褒めてくれたものの、
感想は皆一様に「よくあれだけ長い台詞を覚えたなぁ」とか、
「まるで落語家みたいやなぁ」といった内容だった。
落語の内容に関することは誰一人として口にしない。
「オモシロイ!」や「また聴きたい」に及んでは皆無に近かった。
ぼくは次の日からまた同じように落語口調に身を委ねたが、
実はこの我流がかえって良くない結果に繋がっていたことを、
その時はまだ知るよしもなかった。

高校の落研時代
春蝶(先代)のもとに入門してしばらく経ったある日のこと。
師匠に稽古してもらう様子を横で聞いていた兄弟子の一人がぽつりとぼくにこう言った。
「お前、落研出身か?」。
褒められたとばかり思ったぼくはすかさず「はい、そうです!」と快活に応えた。
「やっぱり!…口調が落研やもん」。
そのときはあまり気にも留めなかったがこれはぼくを暗に批判していた。
師匠からは「“習う”ってどう書くか、知ってるか?
……そうや。“羽が白い”と書くねん」
という言葉をもらっている。
つまり、ぼくは師匠を忠実に真似ないばかりか、
学生の頃から身に沁みついた落語口調に寄りかかっていた。
それにそうした方が台詞自体は覚えやすく喋っていて気持ちも良かった。
落語を演るというより、”落語家のモノマネ”芸をしていたに過ぎなかった。
このことに気がついたのは、
ぼくが他人に落語の稽古をつけるようになってからのことだ。

二代目(先代)桂春蝶(撮影:後藤清)
今、ぼくはとある公民館で落語サークルの指導を行っている。
ここに来るまで見よう見まねで覚えてきた人も多く、これが意外に苦労する。
かつて師匠はぼくに対し同じように思ったであろう。
沁みついた口調に寄りかかって大きな声を出していれば確かに気持ちが良い。
時折カラオケなどで自分の声に酔いしれる人を見かけるがあれによく似ている。
それを聴く者が心地良いかというとそうとは限らない。
本人の気持ち良さと反比例することがほとんどである。
あの看護師の独特の口調はいったい何だったのだろう。
きっと何度も同じ言葉を繰り返すうち、
それが独特のメロディとなって本人の身に沁みついたのだろう。
メロディを伴いながら物ごとを暗記するというのは決して悪いことではないが、
相手に伝える場合は別だ。自身の楽章を作ったはいいが、
そこに相手の気が入る隙間を一切作らなかった。
あのとき感じたバリアはそこから来ていた。
言うまでもなく、落語もまた聴き手ありきの芸である。
一方通行になってはいないか。独りよがりになってはいないか。
まずは自身の落語音源のチェックからだ。

筆者が主宰する落語教室「愚か塾」の稽古風景。いつも師匠が見守ってくれています。
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(現在、定員を超えているためキャンセル待ちです)
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