223.壁に耳あり障子に目あり、弟子の背後に師匠あり~師匠はいつだって見守ってくれていた~
ぼくが落語家の世界へ入門した頃は
携帯電話やスマートフォンなど存在せず、
ポケットベル登場よりも以前のこと。
師匠(先代春蝶)の鞄持ちをしていると、
その立ち居振る舞いについて
師匠のマネージャーからいろいろ指導を受けた。
師匠が公衆電話の前に立つときはメモと筆記用具を携え、
十円玉をたんまり用意してさりげなく後方に控える。
あくまでさりげなくというのが基本だった。
師匠が楽屋にいるときは
呼ばれてすぐに走ることのできる場所を確保した。
師匠の目に入り過ぎても良くない。
かといって、目の届かない場所では用を為さない。
いかにも「私は仕事をしています」といった
アピールも師匠は嫌がった。
その代わり、いつもぼくの行動を見ていないようで見ていた。

二代目桂春團治三十三回忌追善興行(厚生年金会館)
前列右端が先代桂春蝶、一番後列の右から三人目がぼく。
(蔵:前田憲司)
ぼくが初めてラジオのパーソナリティーを務めたのは
入門してわずか半年後のことだった。
月曜日から金曜日までそれぞれ違う若手がスタジオに入ったが、
その半年後に番組が打ち切りになった。
ところが、その時の若手陣は皆が次のレギュラーにありついた
…たった一人を除いては。その一人がぼくだった。
とても悔しかったのを今でも覚えている。
ぼくは師匠の家に住み込みだったので、
何食わぬ顔で内弟子としての用事をこなしていた。
そんな時、ぼくが部屋で一人落ち込んでいると
師匠が階下からトントンと二階に上がってきて、
扉の向こうから声を掛けてきた。
「あのなぁ、ヒーローちゅうもんはな、
最初は必ず挫折しよんねん」
これだけ言うと、師匠はまた下に戻っていった。
師匠はぼくを
いつも見守ってくれている
胸がいっぱいになり、涙が止まらなかった。

師匠の写真を挟んで、左が三代目春蝶、右がぼく。
(撮影:相原正明)
弟子を見守っていたのは、何もぼくの師匠に限ったことではない。
例えば、桂小春團治師匠。
小春團治師匠はぼくの師匠の弟弟子で、
落語家の家系図でいえばぼくの「おじさん」ということになる。
落語家初のブロードウェイ公演を成功させたり、
Newsweek日本版の特集で「世界が尊敬する日本人100」にも選ばれたりするなど
華々しい経歴の持ち主。
上方落語界きっての知性派で創作落語の雄としても知られている。
そんな小春團治師匠のもとに治門という弟子が入ってすぐの頃のこと。
一座に加えてもらったぼくがお寺での落語会に同行して
太鼓など鳴り物の準備をしようとした矢先、
小春團治師匠がぼくにこう言った。
「蝶六(当時のぼくの芸名)、
お前は動かんでええ!
…君らがやってしまうと
いつまで経っても彼(治門)が
仕事を覚えられへんやないか」
そう言って小春團治師匠は彼の視界に入らぬよう廊下の隅にへばりつき、
まるで忍者のように姿を隠して彼の仕事をじっと見守っていた。
その不審きわまりない姿にぼくは笑いをこらえるのに必死だった。
いつもクールでダンディな師匠だから余計に可笑しかった。
「あいつはな、歳がいってからこの世界に飛び込んだから時間がないねん」
その時、限られた内弟子生活のなかで
必ず彼を一人前にしてやろうという師の強い親心を感じた。

桂小春團治(撮影:相原正明)
我が師匠の先代春蝶が亡くなって早や28年を迎えようとしているが、
兄弟子と会話をしていると今だふと口にする言葉がある。
「そんなことしてたら師匠にどやされるで」
「どこで師匠が見てるかわからへんがな」
師匠はもうこの世にはいないのだが、本当にそんな気がするのである。
でも、大きく道を踏み外すこともなく今日に至っているのは
この意識があればこそかも知れない。
師匠の目は永遠。
「見張る」でなく「見守る」
うちの師匠はいつもこうだった。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

※「神戸市室内管弦楽団」サイトはこちらをクリック!


※「花團治公式サイト・出演情報」はこちらをクリック!
※写真家・相原正明のつれづれフォトブログは
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携帯電話やスマートフォンなど存在せず、
ポケットベル登場よりも以前のこと。
師匠(先代春蝶)の鞄持ちをしていると、
その立ち居振る舞いについて
師匠のマネージャーからいろいろ指導を受けた。
師匠が公衆電話の前に立つときはメモと筆記用具を携え、
十円玉をたんまり用意してさりげなく後方に控える。
あくまでさりげなくというのが基本だった。
師匠が楽屋にいるときは
呼ばれてすぐに走ることのできる場所を確保した。
師匠の目に入り過ぎても良くない。
かといって、目の届かない場所では用を為さない。
いかにも「私は仕事をしています」といった
アピールも師匠は嫌がった。
その代わり、いつもぼくの行動を見ていないようで見ていた。

二代目桂春團治三十三回忌追善興行(厚生年金会館)
前列右端が先代桂春蝶、一番後列の右から三人目がぼく。
(蔵:前田憲司)
ぼくが初めてラジオのパーソナリティーを務めたのは
入門してわずか半年後のことだった。
月曜日から金曜日までそれぞれ違う若手がスタジオに入ったが、
その半年後に番組が打ち切りになった。
ところが、その時の若手陣は皆が次のレギュラーにありついた
…たった一人を除いては。その一人がぼくだった。
とても悔しかったのを今でも覚えている。
ぼくは師匠の家に住み込みだったので、
何食わぬ顔で内弟子としての用事をこなしていた。
そんな時、ぼくが部屋で一人落ち込んでいると
師匠が階下からトントンと二階に上がってきて、
扉の向こうから声を掛けてきた。
「あのなぁ、ヒーローちゅうもんはな、
最初は必ず挫折しよんねん」
これだけ言うと、師匠はまた下に戻っていった。
師匠はぼくを
いつも見守ってくれている
胸がいっぱいになり、涙が止まらなかった。

師匠の写真を挟んで、左が三代目春蝶、右がぼく。
(撮影:相原正明)
弟子を見守っていたのは、何もぼくの師匠に限ったことではない。
例えば、桂小春團治師匠。
小春團治師匠はぼくの師匠の弟弟子で、
落語家の家系図でいえばぼくの「おじさん」ということになる。
落語家初のブロードウェイ公演を成功させたり、
Newsweek日本版の特集で「世界が尊敬する日本人100」にも選ばれたりするなど
華々しい経歴の持ち主。
上方落語界きっての知性派で創作落語の雄としても知られている。
そんな小春團治師匠のもとに治門という弟子が入ってすぐの頃のこと。
一座に加えてもらったぼくがお寺での落語会に同行して
太鼓など鳴り物の準備をしようとした矢先、
小春團治師匠がぼくにこう言った。
「蝶六(当時のぼくの芸名)、
お前は動かんでええ!
…君らがやってしまうと
いつまで経っても彼(治門)が
仕事を覚えられへんやないか」
そう言って小春團治師匠は彼の視界に入らぬよう廊下の隅にへばりつき、
まるで忍者のように姿を隠して彼の仕事をじっと見守っていた。
その不審きわまりない姿にぼくは笑いをこらえるのに必死だった。
いつもクールでダンディな師匠だから余計に可笑しかった。
「あいつはな、歳がいってからこの世界に飛び込んだから時間がないねん」
その時、限られた内弟子生活のなかで
必ず彼を一人前にしてやろうという師の強い親心を感じた。

桂小春團治(撮影:相原正明)
我が師匠の先代春蝶が亡くなって早や28年を迎えようとしているが、
兄弟子と会話をしていると今だふと口にする言葉がある。
「そんなことしてたら師匠にどやされるで」
「どこで師匠が見てるかわからへんがな」
師匠はもうこの世にはいないのだが、本当にそんな気がするのである。
でも、大きく道を踏み外すこともなく今日に至っているのは
この意識があればこそかも知れない。
師匠の目は永遠。
「見張る」でなく「見守る」
うちの師匠はいつもこうだった。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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