235.リメンバー・ミー~思うことは活きること~
遅ればせながら、今頃になって
ディズニー映画「リメンバー・ミー」(2017)を観た。
死者の国では「死者の日」だけ
現世の家族に会いに行けるという決まりだ。
日本でいうお盆のようなものである。
ただし、それは自宅の祭壇に
先祖の遺影が飾られた者だけに限られていて、
そうでない死者は死者の国を出ることができない。
ひょんなことからミゲルという少年は
死者の国に迷い込んでしまい、
紆余曲折の末ようやく
自分の高祖父にあたるヘクターに出会うことができた。
しかし、ヘクターは死者の世界でも葬り去られる寸前。
生の世界で誰も知る者がいなくなると、
死者は二度目の死を迎えるという決まりだった。
ヘクターはある行き違いによって祭壇から遺影が抹殺されていた。
しかも、生きている者のなかで唯一彼の存在を知る
実の娘・ココ(現世ではかなりの老婆だが)の命が風前の灯。
彼女が亡くなるとヘクターは二度目の死を遂げることになる。
そこからミゲルの奮闘が始まった。

筆者(撮影:坂東剛志)
映画を観終わって、
師匠(先代桂春蝶)のことに想いを馳せずにはいられなかった。
ぼくの自宅稽古場には師匠の大きな遺影を飾っている。
それは師匠を思ってというよりも、自身のためと言ってよい。
ネタを繰っていると、嫌でも師匠と目が合う。
これがいいのだ。もう少し頑張ろうという気になることもあれば、
怒られているような心持ちになることも。
また、兄弟子とささいなことで揉めた時、
「お前とはもう二度と口を聞かん!」などと言われたところで全く応えないが、
「師匠が生きてたら、お前なんか破門やで」と言われたら本気で悩んでしまう。
亡くなった今も師匠は絶対的な存在なのだ。
師匠の遺影を飾るというのは、
成仏して欲しいという思いより、
自身を律したり、奮い立たせたりといった
意味合いの方がはるかに大きい。
稽古場には、先代春蝶の遺影のほかに、
初代と二代目の花團治の遺影も掲げてあるが、これも同様の理由からだ。


稽古場の高座から見た風景(向かって左手に二代目春蝶、右手に初代・二代目花團治の遺影)
高座の前には、コロナ対策としてスクリーンを張っています
ところで、花團治襲名の際、
ぼくは三代目春團治師匠のお宅を何度も訪ねている。
襲名の準備に向けてのお伺いや報告もあるが、
一番の目的はなんとか披露口上に並んでもらえないかというお願いだった。
その頃の春團治師匠は体調不良が続いていて
3年近く高座に上がっていなかった。
そこを押して並んでもらおうというのは何とも無謀なことだったが、
ぼくは無理を承知で頭を下げ続けた。
その時、春團治師匠がおっしゃった言葉がとても印象に残っている。
「申し訳ない。ぼくは春團治だから」
つまり、正座すらままならない状態で舞台に上がることは
師匠自身にとって許されないことだった。
「春團治」という名前の重みを誰よりも強く感じておられたのだ。
結局、口上に並んでいただくことは叶わなかったが、
「花團治襲名記念落語会」には病気を押して駆けつけてくれ、
ぼくがトリで一席終えると舞台袖から大きな花束を抱えて現れた。
それが三代目春團治師匠にとって最後の”公の場”となった。

2015年6月21日、住吉区民センター「ほろ酔い寄席」にて
これが三代目春團治が公の舞台に立った最後になった。
(三代目桂春蝶が司会を務めながらスマホで撮影した)
あのときのことを思い出すと、今も目頭が熱くなる。
ぼくは三代目師匠の足下にも及ばないが、
それでも襲名した以上、「花團治」の名前は肩にずっしりとくる。
初代と二代目の遺影が
「お前はわしらの名前を継いだんやで」
と語り掛けてくる。
意識すればするほど、
先人方の存在は大きくなるのだ。
そう考えると、
現世で知る者がいなくなれば死者の世界でも消えてしまうという
「リメンバー・ミー」での設定も合点がいく。

初代桂花團治

後列向かって左から3人目が二代目花團治
花團治代々について、芸能史研究家の前田憲司氏が詳しく書いてくださってます。↓
☞花團治代々について
先人を思うことは、自分がどう生きるべきかを考えることでもある。
ひょっとして先人が反面教師になることもあるだろうがそれでもいい。
この原稿を書いている今は、
ちょうどお盆であり終戦記念日。
師匠方は「死者の国」からどんな思いでぼくを見ているだろうか。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

☞春蝶生誕祭の詳細はこちらをクリック
☞花團治公式サイトはこちらをクリック
ディズニー映画「リメンバー・ミー」(2017)を観た。
死者の国では「死者の日」だけ
現世の家族に会いに行けるという決まりだ。
日本でいうお盆のようなものである。
ただし、それは自宅の祭壇に
先祖の遺影が飾られた者だけに限られていて、
そうでない死者は死者の国を出ることができない。
ひょんなことからミゲルという少年は
死者の国に迷い込んでしまい、
紆余曲折の末ようやく
自分の高祖父にあたるヘクターに出会うことができた。
しかし、ヘクターは死者の世界でも葬り去られる寸前。
生の世界で誰も知る者がいなくなると、
死者は二度目の死を迎えるという決まりだった。
ヘクターはある行き違いによって祭壇から遺影が抹殺されていた。
しかも、生きている者のなかで唯一彼の存在を知る
実の娘・ココ(現世ではかなりの老婆だが)の命が風前の灯。
彼女が亡くなるとヘクターは二度目の死を遂げることになる。
そこからミゲルの奮闘が始まった。

筆者(撮影:坂東剛志)
映画を観終わって、
師匠(先代桂春蝶)のことに想いを馳せずにはいられなかった。
ぼくの自宅稽古場には師匠の大きな遺影を飾っている。
それは師匠を思ってというよりも、自身のためと言ってよい。
ネタを繰っていると、嫌でも師匠と目が合う。
これがいいのだ。もう少し頑張ろうという気になることもあれば、
怒られているような心持ちになることも。
また、兄弟子とささいなことで揉めた時、
「お前とはもう二度と口を聞かん!」などと言われたところで全く応えないが、
「師匠が生きてたら、お前なんか破門やで」と言われたら本気で悩んでしまう。
亡くなった今も師匠は絶対的な存在なのだ。
師匠の遺影を飾るというのは、
成仏して欲しいという思いより、
自身を律したり、奮い立たせたりといった
意味合いの方がはるかに大きい。
稽古場には、先代春蝶の遺影のほかに、
初代と二代目の花團治の遺影も掲げてあるが、これも同様の理由からだ。


稽古場の高座から見た風景(向かって左手に二代目春蝶、右手に初代・二代目花團治の遺影)
高座の前には、コロナ対策としてスクリーンを張っています
ところで、花團治襲名の際、
ぼくは三代目春團治師匠のお宅を何度も訪ねている。
襲名の準備に向けてのお伺いや報告もあるが、
一番の目的はなんとか披露口上に並んでもらえないかというお願いだった。
その頃の春團治師匠は体調不良が続いていて
3年近く高座に上がっていなかった。
そこを押して並んでもらおうというのは何とも無謀なことだったが、
ぼくは無理を承知で頭を下げ続けた。
その時、春團治師匠がおっしゃった言葉がとても印象に残っている。
「申し訳ない。ぼくは春團治だから」
つまり、正座すらままならない状態で舞台に上がることは
師匠自身にとって許されないことだった。
「春團治」という名前の重みを誰よりも強く感じておられたのだ。
結局、口上に並んでいただくことは叶わなかったが、
「花團治襲名記念落語会」には病気を押して駆けつけてくれ、
ぼくがトリで一席終えると舞台袖から大きな花束を抱えて現れた。
それが三代目春團治師匠にとって最後の”公の場”となった。

2015年6月21日、住吉区民センター「ほろ酔い寄席」にて
これが三代目春團治が公の舞台に立った最後になった。
(三代目桂春蝶が司会を務めながらスマホで撮影した)
あのときのことを思い出すと、今も目頭が熱くなる。
ぼくは三代目師匠の足下にも及ばないが、
それでも襲名した以上、「花團治」の名前は肩にずっしりとくる。
初代と二代目の遺影が
「お前はわしらの名前を継いだんやで」
と語り掛けてくる。
意識すればするほど、
先人方の存在は大きくなるのだ。
そう考えると、
現世で知る者がいなくなれば死者の世界でも消えてしまうという
「リメンバー・ミー」での設定も合点がいく。

初代桂花團治

後列向かって左から3人目が二代目花團治
花團治代々について、芸能史研究家の前田憲司氏が詳しく書いてくださってます。↓
☞花團治代々について
先人を思うことは、自分がどう生きるべきかを考えることでもある。
ひょっとして先人が反面教師になることもあるだろうがそれでもいい。
この原稿を書いている今は、
ちょうどお盆であり終戦記念日。
師匠方は「死者の国」からどんな思いでぼくを見ているだろうか。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

☞春蝶生誕祭の詳細はこちらをクリック
☞花團治公式サイトはこちらをクリック
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