238.あめあめふれふれ父さんが…
唱歌における父親はどうも肩身が狭い。
日本の唱歌に登場する親は母親ばかり。
「あめあめふれふれ母さんが…」(あめふり)
「かあさんが夜なべをして…」(かあさんの歌)
「かあさん、お肩を叩きましょう」(肩たたき)
「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、そうよ母さんも長いのよ」(ぞうさん)……
もちろん父さんが出てくる唱歌もあるにはあるが、
『グッドバイグッドバイ、グッドバイバイ…』(グッドバイ)と
家におらずお出掛けしまう。
……とこれは、高校の先輩でもある、今は亡き笑福亭仁勇兄のネタだ。
唱歌とは学校教育で定められた歌のこと。

笑福亭仁勇兄と筆者(左)。
唱歌に母親が多く登場するということは、
それだけ母親と子どもの結びつきが強いということだろうが、
同時に「育児は母親のもの」という考えを反映しているとみるのは
うがった見方だろうか。
江戸時代の浮世絵で群衆を描いたものを調べると、
子連れの男女比はほぼ1対1になるという。
ジョージ秋山の描いた漫画「浮浪雲」には
子どもを連れて歩く男性が頻繁に登場する。
江戸時代の男性は仕事を終えると、
夕飯の支度が整うまで子どもと散歩するというのが
日常だったようだ。
幕末に来日した外国人の記録にも「江戸の町を歩くと
子どもを抱っこした父親によく出くわす」という内容が見られる。
また、江戸時代中期に林子平が著した武家における父親向けの育児書「父兄訓」には
「女性たるもの者は胎教を知らなくてはならないが、
その胎教を女子に教えるのは父兄の役割である」とある。
「家」の存続が父親の責務という事情もあったが、
江戸時代の父親は
子育てに無関心であることが
許されなかった。
日本で「専業主婦」という言葉が使われだしたのは大正時代から。
農業から工業への産業転換によってサラリーマンという生き方が生まれ、
そのサラリーマンの妻が「専業主婦」となった。
「育児は母親のもの」が当たり前のようになっていった背景にはそんな事情がある。
また、戦争ということも育児に大きな影響を与えたであろう。
男は「家族のために仕事に専念する」「お国のために働く」
というのが当時の価値観だった。
冒頭に紹介した唱歌が発表されたのは、
「あめふり」大正12年、「かあさんの歌」大正14年、
「グッドバイ」昭和12年、「ぞうさん」昭和26年のことだ。

筆者(撮影:坂東剛志)
現在58歳のぼくには2歳半の娘がいる。
可愛くてしょうがない娘のためにできるだけ家事も育児も分担するようにしている。
炊事や洗濯、簡単な料理ぐらいであれば
内弟子生活の時にずいぶん仕込んでもらったので苦にならない。
(落語家の修行がこんなときに役立つとは思わなかった)が、
このコロナ禍においてその頻度が増した。
それに育児の楽しいこと。
ことば数が増えたといっては喜び、
子どもの描く絵の画風が変わったといっては驚き、
ゆるゆるウンチが固まったといっては安堵し…、
そんな泣き笑いが今は嬉しい
(実はぼくは三度目の結婚だが、前は家事も育児も妻に任せきりだった)。

最近は保育園の送り迎えも当たり前になった。
今は父親による送り迎えも珍しくない。
2013年からはNHKでも「おかあさんといっしょ」ならぬ
「おとうさんといっしょ」という番組が不定期ながらスタートしている。
それでも江戸時代の1対1には程遠い。
オムツ交換台のある男性トイレもまだまだ少ないが、
この先きっと当たり前になる。
今は「あめあめふれふれ父さんが…」と娘と替え歌しながら歌っているが、
そのうち父さんが出てくる童謡が増えることを切に願っている。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
ヴィヴァルディと比較しながら、
日本の唱歌の世界をご案内します↓

※「ヴィバルディと日本の四季」公演の詳細はここをクリックしてください。
▶花團治公式サイトはここをクリック!
日本の唱歌に登場する親は母親ばかり。
「あめあめふれふれ母さんが…」(あめふり)
「かあさんが夜なべをして…」(かあさんの歌)
「かあさん、お肩を叩きましょう」(肩たたき)
「ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね、そうよ母さんも長いのよ」(ぞうさん)……
もちろん父さんが出てくる唱歌もあるにはあるが、
『グッドバイグッドバイ、グッドバイバイ…』(グッドバイ)と
家におらずお出掛けしまう。
……とこれは、高校の先輩でもある、今は亡き笑福亭仁勇兄のネタだ。
唱歌とは学校教育で定められた歌のこと。

笑福亭仁勇兄と筆者(左)。
唱歌に母親が多く登場するということは、
それだけ母親と子どもの結びつきが強いということだろうが、
同時に「育児は母親のもの」という考えを反映しているとみるのは
うがった見方だろうか。
江戸時代の浮世絵で群衆を描いたものを調べると、
子連れの男女比はほぼ1対1になるという。
ジョージ秋山の描いた漫画「浮浪雲」には
子どもを連れて歩く男性が頻繁に登場する。
江戸時代の男性は仕事を終えると、
夕飯の支度が整うまで子どもと散歩するというのが
日常だったようだ。
幕末に来日した外国人の記録にも「江戸の町を歩くと
子どもを抱っこした父親によく出くわす」という内容が見られる。
また、江戸時代中期に林子平が著した武家における父親向けの育児書「父兄訓」には
「女性たるもの者は胎教を知らなくてはならないが、
その胎教を女子に教えるのは父兄の役割である」とある。
「家」の存続が父親の責務という事情もあったが、
江戸時代の父親は
子育てに無関心であることが
許されなかった。
日本で「専業主婦」という言葉が使われだしたのは大正時代から。
農業から工業への産業転換によってサラリーマンという生き方が生まれ、
そのサラリーマンの妻が「専業主婦」となった。
「育児は母親のもの」が当たり前のようになっていった背景にはそんな事情がある。
また、戦争ということも育児に大きな影響を与えたであろう。
男は「家族のために仕事に専念する」「お国のために働く」
というのが当時の価値観だった。
冒頭に紹介した唱歌が発表されたのは、
「あめふり」大正12年、「かあさんの歌」大正14年、
「グッドバイ」昭和12年、「ぞうさん」昭和26年のことだ。

筆者(撮影:坂東剛志)
現在58歳のぼくには2歳半の娘がいる。
可愛くてしょうがない娘のためにできるだけ家事も育児も分担するようにしている。
炊事や洗濯、簡単な料理ぐらいであれば
内弟子生活の時にずいぶん仕込んでもらったので苦にならない。
(落語家の修行がこんなときに役立つとは思わなかった)が、
このコロナ禍においてその頻度が増した。
それに育児の楽しいこと。
ことば数が増えたといっては喜び、
子どもの描く絵の画風が変わったといっては驚き、
ゆるゆるウンチが固まったといっては安堵し…、
そんな泣き笑いが今は嬉しい
(実はぼくは三度目の結婚だが、前は家事も育児も妻に任せきりだった)。

最近は保育園の送り迎えも当たり前になった。
今は父親による送り迎えも珍しくない。
2013年からはNHKでも「おかあさんといっしょ」ならぬ
「おとうさんといっしょ」という番組が不定期ながらスタートしている。
それでも江戸時代の1対1には程遠い。
オムツ交換台のある男性トイレもまだまだ少ないが、
この先きっと当たり前になる。
今は「あめあめふれふれ父さんが…」と娘と替え歌しながら歌っているが、
そのうち父さんが出てくる童謡が増えることを切に願っている。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
ヴィヴァルディと比較しながら、
日本の唱歌の世界をご案内します↓

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