241.「かわいそう」という名のナイフ
その女性が児童養護施設で職員として働くようになったのは、
高校時代、かねてより好意を寄せていた同級生の男の子に
告白したことがきっかけだった。
彼からの返事は
「住む世界が違うから
付き合えない」 というひと言。
このときはじめて彼が児童養護施設の子だということを知った。
彼女は彼に寄り添うつもりで応えた。
「わたしはそんなこと気にしないよ」
すると彼は
「ほらな。
やっぱり住む世界が違うんだ」
わたしと彼と、どう世界が違うのだろうか?
それを確かめるために児童養護施設の職員を目指した。
……とこれは、
有川浩『明日の子供たち』という小説のなかのひとくだり。

ぼくがこの小説を手にしたのは大学での特別講義がきっかけだった。
そのとき、ぼくは落語の歴史や演じ方だけではなく、
自身のコンプレックスやそこからくる落語観なども話した。
その講義を聞いていた教授が
「今の話をぜひうちの子どもたちの前でも」という。
「うちの子どもたちの前」とは
児童養護施設を退所した人たちの集いの場だった。
児童養護施設には親からの虐待や
不適切な養育を受けた子どもたちが暮らしているが、
高校を卒業すると同時に退所する決まりだ。
その後の生活については、
もちろん職員たちが相談に乗ることもあるが、
人手が足りずなかなかそこまで手が回らない。
そこで児童養護施設とは別に、
彼らのその後をサポートする居場所事業というものが生まれた。
教授の主宰する団体もそれに該当するもので、
月に一度退所者たちが集まって食事をしている。
前述の『明日の子供たち』にはこんなやりとりがあった。
「上司の家族が亡くなったとしようか。女子社員は明日の葬儀を手伝ってくださいってなったとき、君はどんな服装で行けばいいかとか、何を用意しとけばいいかとか、一人ですぐわかる?」「ネットとかで調べたら……」「ネットは君に特化した答えは見つからないだろ」。実家の母親など身近に頼れる大人がいれば「ちょっと教えて~」と一本電話すれば済む話だがそうはいかない者も多い。
そのための「居場所事業」でもある。

京都芸術大学教授・浦田雅夫氏と。
浦田教授の主宰する居場所事業についての動画↓
下記をクリックください。
京都の居場所事業
「アフターケアの会・メヌエット」
さて、教授の主宰する会合に招かれた当日、
彼らを前にどう話を持っていこうか、ぼくはギリギリまで悩んでいた。
相手の顔を見てから話の内容を決めるというのはいつものことだが、
10名ほどの若者が集う、その部屋のドアを開けた瞬間、
ぼくは少し拍子抜けしてしまった。
どこにでもいる普通の活発な若者たちではないか。
『明日の子供たち』の女性職員がかつてそうだったように、
彼らを「特別な人たち」と思い込んでいたぼくもまた
色眼鏡(偏見)の持ち主だった。
先述の「わたしはそんなこと気にしないよ」と応えた彼女の心底には
「かわいそう」「哀れ」「惨め」という思いがあったろうが、
彼女が職員となってわかったことは、
自分と彼との世界に違いはなかったということ。
世界が違うのではなく、
同じ世界に住まう人にもいろんな事情があるということだった。
そう言えば、ぼくも「かわいそう」と言われて育ってきた子だった。
ぼくを生んでくれた母親は、
産後の肥立ちが悪くぼくが3歳のときに亡くなり、継母に育てられた。
当時のことはほとんど覚えていないが、
小中学生の頃、事情を知る周囲の大人たちが
「この子は小さい時にお母さんに死なれてしもて、
ホンマかわいそうな子やねん」などと話すのを聞いた。
そのたびぼくの心はなんだかモヤモヤッとした。
「ぼくってかわいそうな子なんか?」

幼き日の筆者(右)と弟
……今回の訪問から一冊の本を通して、
ぼくが小中生の頃に抱いたあのモヤモヤの正体が少し見えて来た。
ぼくに「かわいそう」という言葉を投げつける人の背後に
「自分はそうでなくて良かった」
という優越感と、
ぼくを見下ろす視線を無意識にうちに感じ取ったからではないだろうか。
言葉ってほんまムズカシイしオソロシイ。
それでも一見優しい言葉に
日々傷つけられている人がいうことを忘れてはいけないと思う。
勝手な同情によってつけられた傷は、
時が経ってもなかなか癒えない。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

「日本古楽アカデミー.飯山公演」の詳細はこちらをクリックくださいませ。
「花團治公式サイト」は
ここをクリック!
高校時代、かねてより好意を寄せていた同級生の男の子に
告白したことがきっかけだった。
彼からの返事は
「住む世界が違うから
付き合えない」 というひと言。
このときはじめて彼が児童養護施設の子だということを知った。
彼女は彼に寄り添うつもりで応えた。
「わたしはそんなこと気にしないよ」
すると彼は
「ほらな。
やっぱり住む世界が違うんだ」
わたしと彼と、どう世界が違うのだろうか?
それを確かめるために児童養護施設の職員を目指した。
……とこれは、
有川浩『明日の子供たち』という小説のなかのひとくだり。

ぼくがこの小説を手にしたのは大学での特別講義がきっかけだった。
そのとき、ぼくは落語の歴史や演じ方だけではなく、
自身のコンプレックスやそこからくる落語観なども話した。
その講義を聞いていた教授が
「今の話をぜひうちの子どもたちの前でも」という。
「うちの子どもたちの前」とは
児童養護施設を退所した人たちの集いの場だった。
児童養護施設には親からの虐待や
不適切な養育を受けた子どもたちが暮らしているが、
高校を卒業すると同時に退所する決まりだ。
その後の生活については、
もちろん職員たちが相談に乗ることもあるが、
人手が足りずなかなかそこまで手が回らない。
そこで児童養護施設とは別に、
彼らのその後をサポートする居場所事業というものが生まれた。
教授の主宰する団体もそれに該当するもので、
月に一度退所者たちが集まって食事をしている。
前述の『明日の子供たち』にはこんなやりとりがあった。
「上司の家族が亡くなったとしようか。女子社員は明日の葬儀を手伝ってくださいってなったとき、君はどんな服装で行けばいいかとか、何を用意しとけばいいかとか、一人ですぐわかる?」「ネットとかで調べたら……」「ネットは君に特化した答えは見つからないだろ」。実家の母親など身近に頼れる大人がいれば「ちょっと教えて~」と一本電話すれば済む話だがそうはいかない者も多い。
そのための「居場所事業」でもある。

京都芸術大学教授・浦田雅夫氏と。
浦田教授の主宰する居場所事業についての動画↓
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京都の居場所事業
「アフターケアの会・メヌエット」
さて、教授の主宰する会合に招かれた当日、
彼らを前にどう話を持っていこうか、ぼくはギリギリまで悩んでいた。
相手の顔を見てから話の内容を決めるというのはいつものことだが、
10名ほどの若者が集う、その部屋のドアを開けた瞬間、
ぼくは少し拍子抜けしてしまった。
どこにでもいる普通の活発な若者たちではないか。
『明日の子供たち』の女性職員がかつてそうだったように、
彼らを「特別な人たち」と思い込んでいたぼくもまた
色眼鏡(偏見)の持ち主だった。
先述の「わたしはそんなこと気にしないよ」と応えた彼女の心底には
「かわいそう」「哀れ」「惨め」という思いがあったろうが、
彼女が職員となってわかったことは、
自分と彼との世界に違いはなかったということ。
世界が違うのではなく、
同じ世界に住まう人にもいろんな事情があるということだった。
そう言えば、ぼくも「かわいそう」と言われて育ってきた子だった。
ぼくを生んでくれた母親は、
産後の肥立ちが悪くぼくが3歳のときに亡くなり、継母に育てられた。
当時のことはほとんど覚えていないが、
小中学生の頃、事情を知る周囲の大人たちが
「この子は小さい時にお母さんに死なれてしもて、
ホンマかわいそうな子やねん」などと話すのを聞いた。
そのたびぼくの心はなんだかモヤモヤッとした。
「ぼくってかわいそうな子なんか?」

幼き日の筆者(右)と弟
……今回の訪問から一冊の本を通して、
ぼくが小中生の頃に抱いたあのモヤモヤの正体が少し見えて来た。
ぼくに「かわいそう」という言葉を投げつける人の背後に
「自分はそうでなくて良かった」
という優越感と、
ぼくを見下ろす視線を無意識にうちに感じ取ったからではないだろうか。
言葉ってほんまムズカシイしオソロシイ。
それでも一見優しい言葉に
日々傷つけられている人がいうことを忘れてはいけないと思う。
勝手な同情によってつけられた傷は、
時が経ってもなかなか癒えない。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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