244.ツラくとも、クサれども~それでも笑いが必要~
大阪商人の間には
今も「泣いてる暇があったら笑ろてこまそ」
という言葉が残っている。
例えば、店が大赤字で困っているときにも商売仲間との会話では、
「おたくの店、商売は順調でっか?」「赤子(赤ん坊)の行水ですわ」
「何でんねん」「タライで(足りなくて)泣いてます」と
笑いを誘う洒落を交えた。
この「笑い精神」は大阪に限ったことではない。
商売人というのはすべからくそうだ。
憔悴する姿は同情を誘いこそすれお客や取引先がついて来ない。
コロナ禍で自粛を余儀なくされた店主は
もっと怒りをあらわに泣きわめいていいと思うが、
多くの商人はグッと堪えている。ぼくの行きつけのあるお店でも、
「笑ろてなしゃあない」とばかり笑みまで浮かべ応対してくれる。

筆者(撮影:坂東剛志)
上方落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」の舞台には、
桂米朝師匠による「楽」という文字が掲げられている。
これは明治時代の寄席「幾代亭」の額の字「薬」に由来していて、
漢文学者・白川静によれば、
「楽」という文字は舞楽に用いる柄のついた手鈴の形で、
古代にはシャーマン(巫女)がこれを振りながら神を楽しませ、
神がかりの状態になって人々の病を治したという。
「楽」と「薬」の字の成り立ちは深く繋がっている。

上方落語協会・西川梅十三門弟会・繁昌亭にて
後列中央が筆者
オーストリアの精神科医・ヴィクトール・E・フランクルが著した『夜と霧』には、
世界大戦におけるナチスの強制収容所での様子が描かれている。
過酷な労働と劣悪な環境で次々と仲間が死んでいく極限状況のなか、
収容された人々は即席の演芸会や音楽会を開いた。
笑いに「気の薬」としての効用を求めたのである。
このことからみても、寄席に「薬」の額というのは実に理に適っている。

日本の戦時下において全ての娯楽は国の監視下に置かれていた。
国策に合わぬ台本は書き換えなくてはならない。
客席の一番後ろに設けられた臨監席に陣取った警察官が、
検閲済みの台本と舞台の芸を照らし合わせ、
ひとつでも異なる箇所があれば即刻中止を命じた。
そんななかでも奮闘し続けた芸人たち。
『戦争と漫才』(新風書房)という冊子には、
「防空戦」「節約第一」「空襲」といった、
いわゆる国策漫才と呼ばれる当時の漫才台本が収められている。

たとえば、「兵隊さんありがとう」という作品。
「欧州では、やれ空襲やと夜もおちおち寝られんのに我が国ではどうです。
これも皆、第一線で働いて下さる兵隊さんのお陰です(中略)
暑いというても内地とは暑さが違う。屋根の上を猫が通るでしょう。
それが猫はよう歩かん。足の裏、火傷しよる。
瓦が焼けてるから。そこへ鼠が出てくる。
猫がパッと鼠を噛んだ拍子に舌を火傷しよる。
猫舌やから。
豚なんか生きた奴をスポッと切ったらそのまま焼き豚になってる。
これほど暑いとこで苦労してはるねや」
「ホンマに兵隊さんのご苦労は、
銃後の我々がおろそかに思たら罰が当たる」
「君、ちっと兵隊さんの爪の垢でも煎じて呑め。
この非常時には君みたいな怠け者には持って来いや。
戦時薬言うて」「そら煎じ薬や」
今NHKで放映中の朝の連続ドラマ小説「おちょやん」
にも登場する花菱アチャコと、
その相方である千歳家今男にあてて書かれた台本だ。
作者は漫才作家・秋田實。


中央にアチャコの姿。その手前、女性を一人挟んで、お猪口を手にした先代花團治。

「わらわし隊の記録」(早坂隆著・中公文庫)のなかに、
実娘・藤田富美恵さんの言葉があった。
「当時のことを振り返って
『漫才師たちもみんなで戦争に協力していた』と悪く言う人もいます。
しかし、私の父は兵隊さんや銃後の国民に、
ただ笑いを届けたかっただけだと思います」

コロナ禍において、ぼくも大打撃を被っている。
高座の機会を失うのみならず、
お客さんへのおわびやチケット代の返金。
「ええい、ままよ」と
全てを放りだしてしまいたくなる衝動に
襲われることもしばしば。
でも、こんな時こそ芸能だと確信している。
今ほど「笑い」という気の薬が求められる時代はないのだから。
シンドイ時こそ「笑い」に頼って欲しい。
きっとワクチンよりも効きまっせ。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
2021年6月26日(土)朝10時30分~
繁昌亭にて「第7回・花團治の会」を開催します。
先代(二代目)花團治は襲名してたった一年で、1945年(昭和20年)
大阪空襲の犠牲となりました。
その追悼の意も込めた創作落語を披露します。
詳細は近日発表。

▶花團治代々については、こちらをクリック!
▶花團治公式サイトはこちらをクリック!
今も「泣いてる暇があったら笑ろてこまそ」
という言葉が残っている。
例えば、店が大赤字で困っているときにも商売仲間との会話では、
「おたくの店、商売は順調でっか?」「赤子(赤ん坊)の行水ですわ」
「何でんねん」「タライで(足りなくて)泣いてます」と
笑いを誘う洒落を交えた。
この「笑い精神」は大阪に限ったことではない。
商売人というのはすべからくそうだ。
憔悴する姿は同情を誘いこそすれお客や取引先がついて来ない。
コロナ禍で自粛を余儀なくされた店主は
もっと怒りをあらわに泣きわめいていいと思うが、
多くの商人はグッと堪えている。ぼくの行きつけのあるお店でも、
「笑ろてなしゃあない」とばかり笑みまで浮かべ応対してくれる。

筆者(撮影:坂東剛志)
上方落語の定席小屋「天満天神繁昌亭」の舞台には、
桂米朝師匠による「楽」という文字が掲げられている。
これは明治時代の寄席「幾代亭」の額の字「薬」に由来していて、
漢文学者・白川静によれば、
「楽」という文字は舞楽に用いる柄のついた手鈴の形で、
古代にはシャーマン(巫女)がこれを振りながら神を楽しませ、
神がかりの状態になって人々の病を治したという。
「楽」と「薬」の字の成り立ちは深く繋がっている。

上方落語協会・西川梅十三門弟会・繁昌亭にて
後列中央が筆者
オーストリアの精神科医・ヴィクトール・E・フランクルが著した『夜と霧』には、
世界大戦におけるナチスの強制収容所での様子が描かれている。
過酷な労働と劣悪な環境で次々と仲間が死んでいく極限状況のなか、
収容された人々は即席の演芸会や音楽会を開いた。
笑いに「気の薬」としての効用を求めたのである。
このことからみても、寄席に「薬」の額というのは実に理に適っている。

日本の戦時下において全ての娯楽は国の監視下に置かれていた。
国策に合わぬ台本は書き換えなくてはならない。
客席の一番後ろに設けられた臨監席に陣取った警察官が、
検閲済みの台本と舞台の芸を照らし合わせ、
ひとつでも異なる箇所があれば即刻中止を命じた。
そんななかでも奮闘し続けた芸人たち。
『戦争と漫才』(新風書房)という冊子には、
「防空戦」「節約第一」「空襲」といった、
いわゆる国策漫才と呼ばれる当時の漫才台本が収められている。

たとえば、「兵隊さんありがとう」という作品。
「欧州では、やれ空襲やと夜もおちおち寝られんのに我が国ではどうです。
これも皆、第一線で働いて下さる兵隊さんのお陰です(中略)
暑いというても内地とは暑さが違う。屋根の上を猫が通るでしょう。
それが猫はよう歩かん。足の裏、火傷しよる。
瓦が焼けてるから。そこへ鼠が出てくる。
猫がパッと鼠を噛んだ拍子に舌を火傷しよる。
猫舌やから。
豚なんか生きた奴をスポッと切ったらそのまま焼き豚になってる。
これほど暑いとこで苦労してはるねや」
「ホンマに兵隊さんのご苦労は、
銃後の我々がおろそかに思たら罰が当たる」
「君、ちっと兵隊さんの爪の垢でも煎じて呑め。
この非常時には君みたいな怠け者には持って来いや。
戦時薬言うて」「そら煎じ薬や」
今NHKで放映中の朝の連続ドラマ小説「おちょやん」
にも登場する花菱アチャコと、
その相方である千歳家今男にあてて書かれた台本だ。
作者は漫才作家・秋田實。


中央にアチャコの姿。その手前、女性を一人挟んで、お猪口を手にした先代花團治。

「わらわし隊の記録」(早坂隆著・中公文庫)のなかに、
実娘・藤田富美恵さんの言葉があった。
「当時のことを振り返って
『漫才師たちもみんなで戦争に協力していた』と悪く言う人もいます。
しかし、私の父は兵隊さんや銃後の国民に、
ただ笑いを届けたかっただけだと思います」

コロナ禍において、ぼくも大打撃を被っている。
高座の機会を失うのみならず、
お客さんへのおわびやチケット代の返金。
「ええい、ままよ」と
全てを放りだしてしまいたくなる衝動に
襲われることもしばしば。
でも、こんな時こそ芸能だと確信している。
今ほど「笑い」という気の薬が求められる時代はないのだから。
シンドイ時こそ「笑い」に頼って欲しい。
きっとワクチンよりも効きまっせ。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
2021年6月26日(土)朝10時30分~
繁昌亭にて「第7回・花團治の会」を開催します。
先代(二代目)花團治は襲名してたった一年で、1945年(昭和20年)
大阪空襲の犠牲となりました。
その追悼の意も込めた創作落語を披露します。
詳細は近日発表。

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