24未知の世界
船の上から満天の星を眺めていると思うんですよ。
人間はえらそうなこと言ったって、
まだまだ分からないことだらけだなって。
どんなにエライ学者の先生だって、
宇宙のこと、ほんの一部しか知らないよ。
ある先生も言ってた。
全宇宙のなかで人間が知ってることは
たったの4パーセントだって。
あれ知ってる、これ知ってるってえばるよかさ、
俺、これ知らない、あれ知らないって
聞いてまわってる方がさあ、
ちっとは人間賢くなるんじゃねえかなって、
最近つくづくそう思うんですよ。
(ニュージーランドの沖合にて、蝶六)
先日、私は皆既日食ツアーという企画で
私はニュージーランドから神戸に向かう船に乗せてもらった。
エンターテイメント班には他にハワイアンシンガーにダンサー、
ロックミュージシャン、狂言師ら。
なかでも皆既日食がご専門の日江井榮二郎教授には大変お世話になった。
話題が豊富で教授が一人おられるだけでその座はいっぺんに盛り上がった。
年82歳。現在は東京大学・国立天文台・明星大学名誉教授。
小惑星6731には「Hiei」が命名されている。
「ポリネシアの民はなぜ海を渡ったんだろうね」と教授はおっしゃった。
今からおよそ2000年前、
その民は島を出て海を渡った。
1000年かけてその民の子らが世界中に散らばった。
水平線ばかりが広がる大海原である。
島影も見えない。おそらくその島は豊かだったに違いない。
それなのに何故わざわざ海の彼方へ出る必要があったのか。
教授の問いかけに対し周囲はそれぞれの回答を示した。
「ひょっとして追われたのでしょうか。
そこに居られない事情があったとか……」。
すると教授はなるほどといった調子で大きく頷かれた。
他の者もそれぞれ冒険説や漂流説、アウトロー説を述べ始めた。
「なるほど、それは気がつかなかったなあ」
「うん、それは素晴らしい」が教授の口癖である。
こういう質問はさほど知識がなくともそこにいる誰もが参加できる。
何より「これが正解」というのがないのがいい。
宴席における会話がいっぺんに楽しくなった。
食事以外にも私は教授とよくご一緒させてもらった。
朝風呂、朝のストレッチ、お昼前のピアノラウンジ、
夜中の星座観察……
教授のおられそうなところへはできるだけ私も出没した。
半ば追っかけである。
いつもそこには教授の「尋ねる姿」があった。
船員にはエンジンについて、ハワイアンには踊りの意味について、
常に何かしら興味をもって耳を傾ける姿に私はおおいに教えられた。
ところで、世の中には尋ねられてもいないのに
相手の興味に構わずとにかく持てる知識を
全部ひけらかそうという人が多い。
賢く見られたい、自分を認知してもらいたいというのも
人間の業だから分からないでもない。
なかには到底周りがついてこられない話題を振って悦に入る者もいる。
例えば8人掛けのテーブルで皆が同じ話題で盛り上がっている時、
私とその当人しか理解できないマニアックな
落語の蘊蓄を振ってくる方がおられる。
しかも話の文脈に添っていないことが多く、
やはり他の同席者にも分かるように補足しなければならない。
私に気を遣っているのかも知れないがこれが結構厄介なのだ。
皆で共に盛り上がるべき場所では、
皆が共に参加できるような話題を提供するというのが望ましい。
日江井教授は見事にその実践を示されていた。
今も教授は小学校での授業にずいぶん力を入れておられる。
「子どもはいいよ。目をキラキラさせてねえ」。
天文という未知を語ることは
そのまま想像世界への誘いでもあるのだろう。
好奇心を育てることは知識を伝えること以上に大切なこと。
今も子どもの回答に一喜一憂する教授の姿が目に浮かぶようだ。
追伸:教授は1983年インドネシアのスラバヤの日本人学校で
皆既日食の授業をされた。
当時、小学4年生だった子どものコロナの絵の迫力が
今も忘れられないという。
今頃どうしているのかなとおっしゃる。
どなたか心当たりあらば教授の思いを
是非伝えて頂きたい。(了)
人間はえらそうなこと言ったって、
まだまだ分からないことだらけだなって。
どんなにエライ学者の先生だって、
宇宙のこと、ほんの一部しか知らないよ。
ある先生も言ってた。
全宇宙のなかで人間が知ってることは
たったの4パーセントだって。
あれ知ってる、これ知ってるってえばるよかさ、
俺、これ知らない、あれ知らないって
聞いてまわってる方がさあ、
ちっとは人間賢くなるんじゃねえかなって、
最近つくづくそう思うんですよ。
(ニュージーランドの沖合にて、蝶六)
先日、私は皆既日食ツアーという企画で
私はニュージーランドから神戸に向かう船に乗せてもらった。
エンターテイメント班には他にハワイアンシンガーにダンサー、
ロックミュージシャン、狂言師ら。
なかでも皆既日食がご専門の日江井榮二郎教授には大変お世話になった。
話題が豊富で教授が一人おられるだけでその座はいっぺんに盛り上がった。
年82歳。現在は東京大学・国立天文台・明星大学名誉教授。
小惑星6731には「Hiei」が命名されている。
「ポリネシアの民はなぜ海を渡ったんだろうね」と教授はおっしゃった。
今からおよそ2000年前、
その民は島を出て海を渡った。
1000年かけてその民の子らが世界中に散らばった。
水平線ばかりが広がる大海原である。
島影も見えない。おそらくその島は豊かだったに違いない。
それなのに何故わざわざ海の彼方へ出る必要があったのか。
教授の問いかけに対し周囲はそれぞれの回答を示した。
「ひょっとして追われたのでしょうか。
そこに居られない事情があったとか……」。
すると教授はなるほどといった調子で大きく頷かれた。
他の者もそれぞれ冒険説や漂流説、アウトロー説を述べ始めた。
「なるほど、それは気がつかなかったなあ」
「うん、それは素晴らしい」が教授の口癖である。
こういう質問はさほど知識がなくともそこにいる誰もが参加できる。
何より「これが正解」というのがないのがいい。
宴席における会話がいっぺんに楽しくなった。
食事以外にも私は教授とよくご一緒させてもらった。
朝風呂、朝のストレッチ、お昼前のピアノラウンジ、
夜中の星座観察……
教授のおられそうなところへはできるだけ私も出没した。
半ば追っかけである。
いつもそこには教授の「尋ねる姿」があった。
船員にはエンジンについて、ハワイアンには踊りの意味について、
常に何かしら興味をもって耳を傾ける姿に私はおおいに教えられた。
ところで、世の中には尋ねられてもいないのに
相手の興味に構わずとにかく持てる知識を
全部ひけらかそうという人が多い。
賢く見られたい、自分を認知してもらいたいというのも
人間の業だから分からないでもない。
なかには到底周りがついてこられない話題を振って悦に入る者もいる。
例えば8人掛けのテーブルで皆が同じ話題で盛り上がっている時、
私とその当人しか理解できないマニアックな
落語の蘊蓄を振ってくる方がおられる。
しかも話の文脈に添っていないことが多く、
やはり他の同席者にも分かるように補足しなければならない。
私に気を遣っているのかも知れないがこれが結構厄介なのだ。
皆で共に盛り上がるべき場所では、
皆が共に参加できるような話題を提供するというのが望ましい。
日江井教授は見事にその実践を示されていた。
今も教授は小学校での授業にずいぶん力を入れておられる。
「子どもはいいよ。目をキラキラさせてねえ」。
天文という未知を語ることは
そのまま想像世界への誘いでもあるのだろう。
好奇心を育てることは知識を伝えること以上に大切なこと。
今も子どもの回答に一喜一憂する教授の姿が目に浮かぶようだ。
追伸:教授は1983年インドネシアのスラバヤの日本人学校で
皆既日食の授業をされた。
当時、小学4年生だった子どものコロナの絵の迫力が
今も忘れられないという。
今頃どうしているのかなとおっしゃる。
どなたか心当たりあらば教授の思いを
是非伝えて頂きたい。(了)
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