249.鶴の恩送り~弟子にしたのは俺や、辞めさすのも俺や~
お釈迦さんは数多の弟子に多くの教えを示したが、
相手やその時どきに応じて、内容を変えている。
落語家の師匠も同じで、
「前に言ってたことと全然違うやん!」
ということが多々ある。
入門した当初は師匠の台詞をしっかりなぞることを強いても、
ある段階までくると全く正反対の言葉に代わることも。
それに指南というものは
さりげない日常会話のなかに含まれることが多く、
弟子の側にもしっかりそれを受け止めるアンテナを持つことが課せられる。
在日コリアン3世の笑福亭銀瓶が、
タレントを目指し笑福亭鶴瓶師匠のもとに入門したのは1988年。
鶴瓶師匠の指南はいつも簡潔かつ絶妙なタイミング。
「お前、落語やれ」
「お前、韓国語できるんか」
「もっと恥をかけ」…。
たったこれだけの言葉に、
彼は「なぜ、今ここで師匠は自分にそれを言うのだろうか」と
心の奥深くでしっかり受け止め忠実に実行してきた。
ある日、彼を含む弟子たちが師匠を囲みながら、
師匠が過去に出演したあるドラマについて談笑していた。
けれども、その話題についていけない彼は
「兄弟子らは師匠が大好きで入門したのに、自分だけは違う」と
不純な自身を恥じた。
また、師匠の奥さんとの関係も良好なものではなく、
彼は奥さんからこんな言葉を突きつけられた。
「銀瓶くん、あなた、『俺は鶴瓶の弟子やのに、
なんでこんなオバハンに
言われなあかんねん』って思ってるでしょ」

実はぼくも彼と似た経験をしている。
入門時二十歳だったぼくは
「尖がっていることが恰好良い」と思い込んでいる格好の悪い奴で、
口癖は「せやけどね」だった。
「“せやけどね”の前に、“そうですね”と何で言われへんのん?」と
師匠の奥さんから何度お叱りを受けたことか。
「奥さんはぼくの師匠やない」という思いがそうさせたのだ。
また、「あんた、師匠のことをあんまり好きやないのんと違う?」と
鋭く問われたこともあった。
それに、メディアにおいても「阪神と言えば春蝶」と言われるほど
タイガースに熱狂する師匠の姿をぼくはどこか冷めた目で見ていた。
師匠と兄弟子たちがまるで同志のようにタイガース談義を熱く交わすとき、
ぼくだけいつも蚊帳の外だった。
野球に興味がわかないぼくはその輪に入れず、
銀瓶同様「自分だけは違う」という憂いを抱えていた。

しかし、彼はその後の行動がぼくとはまるで違っていた。
モヤモヤの解決を時の流れに任せるしかしなかったぼくと違い、
銀瓶は実に潔かった。
ある日、彼は意を決し師匠にこう言う。
「僕がいると、師匠や奥さんに不快な思いをさせて、
家の中の雰囲気も悪くなって……、(中略)
僕はこの家にいるべき人間じゃないと思います。
だから、辞めさせてください」
しっかり思いを伝えた銀瓶もエライが、
それを聞いた師匠・鶴瓶や奥さんの対応も素晴らしい。
奥さんを横に立たせた鶴瓶師匠は銀瓶にこう伝えた。
「…あのな、お前を弟子にしたんは俺や。
そやから、お前を辞めさすんも俺や。
俺が見て、こいつはアカンと思ったら俺から言う。
お前から勝手に辞めることはでけへん。
俺は今、お前を辞めさす気はない。
…玲子(鶴瓶師の奥さん)、それでええな?」
奥さんは「はい」とだけ答えた。
ぼくは、彼が著した「師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉~」(西日本出版社)
という自叙伝を三回ほど読み返し、三回ともこのくだりで泣かされた。

考えれば考えるほど師匠というのは損な役回りである。
どこの骨ともわからない人間を預かり、責任をもって世に送り出す。
ようやく一人前になろうかという時に廃業する者もいる。
優秀な弟子ほど自分の商売仇になり得る。それでも無償で稽古をつける。
数多の武勇伝で知られる鶴瓶師匠も松鶴師匠にとって「大変な弟子」だったはず。
全ては自分を育ててくれた師匠の恩に報いるため。
「恩返し」ならぬ「恩送り」
…とはいえ、この年になると師匠に恩返しがしたくなる。
師匠がまだまだ元気な銀瓶がつくづく羨ましい。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。


※上方落語協会マガジン「んなあほな」に、
繁昌亭15周年企画「春団治・五郎兵衛一門ウィーク」について記事を書きました。
ここをクリックしてぜひご覧くださいませ。
※「花團治公式サイト」はこちらをクリック!
相手やその時どきに応じて、内容を変えている。
落語家の師匠も同じで、
「前に言ってたことと全然違うやん!」
ということが多々ある。
入門した当初は師匠の台詞をしっかりなぞることを強いても、
ある段階までくると全く正反対の言葉に代わることも。
それに指南というものは
さりげない日常会話のなかに含まれることが多く、
弟子の側にもしっかりそれを受け止めるアンテナを持つことが課せられる。
在日コリアン3世の笑福亭銀瓶が、
タレントを目指し笑福亭鶴瓶師匠のもとに入門したのは1988年。
鶴瓶師匠の指南はいつも簡潔かつ絶妙なタイミング。
「お前、落語やれ」
「お前、韓国語できるんか」
「もっと恥をかけ」…。
たったこれだけの言葉に、
彼は「なぜ、今ここで師匠は自分にそれを言うのだろうか」と
心の奥深くでしっかり受け止め忠実に実行してきた。
ある日、彼を含む弟子たちが師匠を囲みながら、
師匠が過去に出演したあるドラマについて談笑していた。
けれども、その話題についていけない彼は
「兄弟子らは師匠が大好きで入門したのに、自分だけは違う」と
不純な自身を恥じた。
また、師匠の奥さんとの関係も良好なものではなく、
彼は奥さんからこんな言葉を突きつけられた。
「銀瓶くん、あなた、『俺は鶴瓶の弟子やのに、
なんでこんなオバハンに
言われなあかんねん』って思ってるでしょ」

実はぼくも彼と似た経験をしている。
入門時二十歳だったぼくは
「尖がっていることが恰好良い」と思い込んでいる格好の悪い奴で、
口癖は「せやけどね」だった。
「“せやけどね”の前に、“そうですね”と何で言われへんのん?」と
師匠の奥さんから何度お叱りを受けたことか。
「奥さんはぼくの師匠やない」という思いがそうさせたのだ。
また、「あんた、師匠のことをあんまり好きやないのんと違う?」と
鋭く問われたこともあった。
それに、メディアにおいても「阪神と言えば春蝶」と言われるほど
タイガースに熱狂する師匠の姿をぼくはどこか冷めた目で見ていた。
師匠と兄弟子たちがまるで同志のようにタイガース談義を熱く交わすとき、
ぼくだけいつも蚊帳の外だった。
野球に興味がわかないぼくはその輪に入れず、
銀瓶同様「自分だけは違う」という憂いを抱えていた。

しかし、彼はその後の行動がぼくとはまるで違っていた。
モヤモヤの解決を時の流れに任せるしかしなかったぼくと違い、
銀瓶は実に潔かった。
ある日、彼は意を決し師匠にこう言う。
「僕がいると、師匠や奥さんに不快な思いをさせて、
家の中の雰囲気も悪くなって……、(中略)
僕はこの家にいるべき人間じゃないと思います。
だから、辞めさせてください」
しっかり思いを伝えた銀瓶もエライが、
それを聞いた師匠・鶴瓶や奥さんの対応も素晴らしい。
奥さんを横に立たせた鶴瓶師匠は銀瓶にこう伝えた。
「…あのな、お前を弟子にしたんは俺や。
そやから、お前を辞めさすんも俺や。
俺が見て、こいつはアカンと思ったら俺から言う。
お前から勝手に辞めることはでけへん。
俺は今、お前を辞めさす気はない。
…玲子(鶴瓶師の奥さん)、それでええな?」
奥さんは「はい」とだけ答えた。
ぼくは、彼が著した「師弟~笑福亭鶴瓶からもらった言葉~」(西日本出版社)
という自叙伝を三回ほど読み返し、三回ともこのくだりで泣かされた。

考えれば考えるほど師匠というのは損な役回りである。
どこの骨ともわからない人間を預かり、責任をもって世に送り出す。
ようやく一人前になろうかという時に廃業する者もいる。
優秀な弟子ほど自分の商売仇になり得る。それでも無償で稽古をつける。
数多の武勇伝で知られる鶴瓶師匠も松鶴師匠にとって「大変な弟子」だったはず。
全ては自分を育ててくれた師匠の恩に報いるため。
「恩返し」ならぬ「恩送り」
…とはいえ、この年になると師匠に恩返しがしたくなる。
師匠がまだまだ元気な銀瓶がつくづく羨ましい。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。


※上方落語協会マガジン「んなあほな」に、
繁昌亭15周年企画「春団治・五郎兵衛一門ウィーク」について記事を書きました。
ここをクリックしてぜひご覧くださいませ。
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