251.ビル・ゲイツなぼく~”皿洗い”に救われる~
旧知の友人がソロキャンプにはまっていて、
その様子を不定期ながらYoutubeに公開している。
たき火の揺らぎは画面ごしでも気持ちが安らぐ。
近所にたき火ができる場がなく、
車の免許も持たないぼくは時折この動画を眺めて
瞑想タイムのおすそ分けをもらっている。
瞑想とは無心になること。つまり煮詰まった頭をリセットすることだ。

terucamp ←ソロキャンプの動画はこちらから
ずいぶん前の話になるが、とあるバーで月に一度だけ
昼下がりに行われる絵画教室に参加していたことがある。
水彩でも色鉛筆でも絵具はなんでも構わなかったが、
目の前にある静物、たとえばリンゴであったり、トウモロコシであったり、
ススキの穂であったり…、回によってまちまちだが、
カウンターのなかにいる先生をぐるりと囲むように
10名ほどの生徒が止まり木に並び、
先生からちょっとしたアドバイスをもらいながら2時間近く、
それぞれがただ黙々と画用紙に向かうというものだった。
それが終わると、先生からの寸評があり、
その後は酒を楽しんで三々五々に解散という流れ。
これでも一応、芸術大学の出身なので絵を描くことは嫌いではない。
酒を酌み交わすことも大好きだ。
でも、今から思えば、そこに通った一番の理由は
絵を描いたり酒を飲むことより、
ただ無心になるためだった。瞑想といってもいい。

コロナ禍が続き、家にいることが多くなった。
とはいえ、ぼくが大の苦手であるデスクワークの多くは
女房が一手に引き受けてくれている。
さすがに連載している原稿などは自身で書いているが、
推敲や校正も女房頼み。その代償というわけでもないのだが、
洗濯や皿洗い、ゴミ出しは今やすっかりぼくの担当となった。
水仕事をしていると住み込みだった内弟子時代を思い出すが、
ぼくはこの作業が嫌いではない。むしろ心地の良い時間ですらある。
そんなことを女房に呟くと「ビル・ゲイツと同じやね」
なんてことを言う。
「ビル・ゲイツってMicrosoftの創業者の?」
「そう。ビル・ゲイツだけでなく、amazonのジェフ・ベゾスも皿洗いを日課にしてるんだって」
そう言われるとなんだか皿洗いが
急に崇高な行為に思えてくるから不思議である。
以来、皿洗いは決して女房にはやらせないぼくの聖域となった。
この「ビル・ゲイツの皿洗い」の話をきっかけに、
ネットサーフィンから「マインドフルネス」という言葉にたどり着いた。
Wikipediaによると「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」とある。
世界一の大富豪は皿洗いによって“今ここ”に集中し、
一日の緊張を解きほぐしていた。
つまり、ぼくが無意識のうちに
自ら進んで皿洗いに手を出すようになったのは、
ストレス解消の術として身体が求めていたということだろう。
絵を描くことも皿を洗うことも、
ぼくにとって瞑想でありマインドフルネスだった。
そうそう、この原稿を書いているのだって
瞑想タイムといえなくもない。
締切に追われているときは瞑想どころではなく、
気が立って先に進まなくなってしまうことも多々あるが、
この原稿の元は日々思いついたことを落書きしているメモ帳。
ボーっとしながら無地のノートに水性ボールペン
を走らせる瞬間は実に心地よい。

筆者(撮影:坂東剛志)
原稿書きが一段落ついたところで、
次は商売道具である手拭のアイロン掛けに入ろうと思う。
実はこれとて無心になれる大切な時間。
本来なら落語の稽古が瞑想、
マインドフルネスということに繋がれば
一番都合良いのだが現実はなかなかそうとはならない。
ぼくはどうやらどこまでも現実逃避を
したいだけなのかもしれない。
実に残念である。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

◆「二代目春蝶生誕祭」詳しくはここをクリック!
◆花團治公式サイトはここをクリック!
その様子を不定期ながらYoutubeに公開している。
たき火の揺らぎは画面ごしでも気持ちが安らぐ。
近所にたき火ができる場がなく、
車の免許も持たないぼくは時折この動画を眺めて
瞑想タイムのおすそ分けをもらっている。
瞑想とは無心になること。つまり煮詰まった頭をリセットすることだ。

terucamp ←ソロキャンプの動画はこちらから
ずいぶん前の話になるが、とあるバーで月に一度だけ
昼下がりに行われる絵画教室に参加していたことがある。
水彩でも色鉛筆でも絵具はなんでも構わなかったが、
目の前にある静物、たとえばリンゴであったり、トウモロコシであったり、
ススキの穂であったり…、回によってまちまちだが、
カウンターのなかにいる先生をぐるりと囲むように
10名ほどの生徒が止まり木に並び、
先生からちょっとしたアドバイスをもらいながら2時間近く、
それぞれがただ黙々と画用紙に向かうというものだった。
それが終わると、先生からの寸評があり、
その後は酒を楽しんで三々五々に解散という流れ。
これでも一応、芸術大学の出身なので絵を描くことは嫌いではない。
酒を酌み交わすことも大好きだ。
でも、今から思えば、そこに通った一番の理由は
絵を描いたり酒を飲むことより、
ただ無心になるためだった。瞑想といってもいい。

コロナ禍が続き、家にいることが多くなった。
とはいえ、ぼくが大の苦手であるデスクワークの多くは
女房が一手に引き受けてくれている。
さすがに連載している原稿などは自身で書いているが、
推敲や校正も女房頼み。その代償というわけでもないのだが、
洗濯や皿洗い、ゴミ出しは今やすっかりぼくの担当となった。
水仕事をしていると住み込みだった内弟子時代を思い出すが、
ぼくはこの作業が嫌いではない。むしろ心地の良い時間ですらある。
そんなことを女房に呟くと「ビル・ゲイツと同じやね」
なんてことを言う。
「ビル・ゲイツってMicrosoftの創業者の?」
「そう。ビル・ゲイツだけでなく、amazonのジェフ・ベゾスも皿洗いを日課にしてるんだって」
そう言われるとなんだか皿洗いが
急に崇高な行為に思えてくるから不思議である。
以来、皿洗いは決して女房にはやらせないぼくの聖域となった。
この「ビル・ゲイツの皿洗い」の話をきっかけに、
ネットサーフィンから「マインドフルネス」という言葉にたどり着いた。
Wikipediaによると「今、この瞬間の体験に意図的に意識を向け、
評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観ること」とある。
世界一の大富豪は皿洗いによって“今ここ”に集中し、
一日の緊張を解きほぐしていた。
つまり、ぼくが無意識のうちに
自ら進んで皿洗いに手を出すようになったのは、
ストレス解消の術として身体が求めていたということだろう。
絵を描くことも皿を洗うことも、
ぼくにとって瞑想でありマインドフルネスだった。
そうそう、この原稿を書いているのだって
瞑想タイムといえなくもない。
締切に追われているときは瞑想どころではなく、
気が立って先に進まなくなってしまうことも多々あるが、
この原稿の元は日々思いついたことを落書きしているメモ帳。
ボーっとしながら無地のノートに水性ボールペン
を走らせる瞬間は実に心地よい。

筆者(撮影:坂東剛志)
原稿書きが一段落ついたところで、
次は商売道具である手拭のアイロン掛けに入ろうと思う。
実はこれとて無心になれる大切な時間。
本来なら落語の稽古が瞑想、
マインドフルネスということに繋がれば
一番都合良いのだが現実はなかなかそうとはならない。
ぼくはどうやらどこまでも現実逃避を
したいだけなのかもしれない。
実に残念である。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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