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254.おじいちゃんのざんげ~戦争を知らない子どもたち~

ぼくが小学生3年か4年生の頃。
正月に母方の祖父の家に親戚一同が集まり、
その頃は高校生で後に音楽大学に進んだ叔母がピアノを披露し、
祖父は詩吟か何かを詠い、余興の順番がぼくにまわってきた。
ぼくはその少し前に流行った杉田二郎の戦争を知らない子どもたちを歌った。

戦争が終わって 僕等は生れた
戦争を知らずに 僕等は育った
おとなになって 歩き始める
平和の歌を くちずさみながら
僕等の名前を 覚えてほしい
戦争を知らない 子供たちさ


作詞・北山修、作曲・杉田二郎


太陽の塔400
「戦争を知らない子どもたち」が発表されたのは、1970年「大阪万博」の年だった。
「大阪万博」でアマチュアフォークシンガーのステージがひらかれ、その“テーマ曲”として製作された。




このとき一同からの拍手はどこかぎこちなく、
とても凍り付いた空気になったことは小学生のぼくにもわかった。
祖父はなんともいえぬ顔で黙っていた。

この母方の祖父は戦時中、満州での戦争に参加していて、
そのときのことを周囲の人によく話していた。
けれども、それはいかに作戦を立て相手を襲撃したかという話ばかりで、
ぼくはその武勇伝に辟易していた。
それで祖父に「一矢報いてやろう」と思いが
ぼくのなかに芽生えたのかもしれない。


一方、父方の祖父は父がまだ幼い頃に亡くなっていた。
父からは「お爺ちゃんは牢屋の中で死んだ」と聞かされた。
「何か悪いことしたの?」と小学生のぼくが尋ねると、
戦争反対を唱えたからや」という言葉が返ってきた。

父は母と結婚するときに猛反対されたらしいが、
きっとこのことが関係しているのだろう。
その母はぼくが3歳のときに亡くなり、
その後すぐに継母がきてぼくを育ててくれた。

父と生母のことをもっと詳しく知りたい気持ちもあるが、
今だずっと聞けないままでいる。

幼き日のぼくと弟
幼稚園の頃の筆者(向かって右)と弟




これは最近知ったことだが、
母方の祖父はかつて憲兵だったこともあるらしく
周囲からはとても恐い存在として映っていたらしい。
でも、一番孫であるぼくにはいつも優しかった。

ぼくが「戦争を知らない子どもたち」を歌ってからも、
祖父はぼくが家を訪れるたび目を細めて迎えてくれた。
いつしか戦争の武勇伝はあまり口にしなくなっていた。
当時の想い出として、
テーブルに大きく新聞を拡げる祖父の姿が今も目に焼き付いている。
祖父は4大新聞の全てを購読していた。
新聞なんてどれも一緒じゃないかと思っていたぼくが、
「何でそんなにたくさんの新聞を読むの?」と尋ねると、
「考えが片寄るといけないからな」という。

もうひとつ、思いだすのは祖父が封筒貼りをする光景だ。
その頃の祖父は民生委員など地域のボランティアを多くこなしていて、
毎日がその業務に追われて忙しそうだった。
リビングの傍らには大きな段ボールが詰まれ、
書類の封筒詰めから糊付けまで誰にもやらせず全て自分一人でこなしていた。
それが全くの無報酬だということを知ったぼくは
「誰かに手伝うてもうたらええやん」と言った。
祖父はしばらく黙っていたが、部屋を出ようとするぼくの背中に
「懺悔や」とひと言呟いた。

その祖父も十数年前に亡くなった。
今になって祖父の話をもっと聞いておけば良かったと思う。

祖父が戦争を武勇伝みたく喋っていた姿。
新聞を何紙も買い込んで目をこらす姿。
ボランティアに精出す姿。これらは同一人物とは思えなかった。

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今、ぼくは大阪空襲のことを調べて落語にしているが、
それを知った人からは憲法や戦後補償のあり方について問われることが多くなった。
でも、ぼくはそこにはっきりと答えを持てないでいる。
ネットでの論争は白か黒か、正か悪か…。
はっきりした意見ほど持てはやされている感があるが、どうもぼくにはなじめない。
「考えが片寄ると~」と応えた祖父の言葉が妙にぼくのなかに残っている。


立ち位置によって正義は変わるのである。
このことはうちの師匠(二代目春蝶)が晩年酒を舐めながらポソッと呟いたひと言、
「世の中を知れば知るほど寡黙になる」
という言葉とも符合している。

ぼくが今言えるのは「戦争はアカン」ということだけだ。

これをどういうアプローチで語っていくべきか。
開戦80周年を機として、ぼくなりの「過去との対峙」をやっていきたいと
気持ちを新たにした年末である。



※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。





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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

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