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25.笑いの基底にあるもの

「おい、こらおっさん。もっと酒飲ましたらんかい!何でわしが帰されないかんねん!」

12月13日。落語家は毎年この日に正月を迎える。
私は師匠の故・先代桂春蝶や兄弟子らと共に大師匠に当たる
三代目桂春団治のご自宅へと向かっていた。

ちょうど車がその門前まで差し掛かった時にその罵声が放たれた。
はがいじめにされていた男は私より1年先輩の落語家。
当時、私も入門したばかりの頃である。その先輩はかなり泥酔していた。
私は師匠の様子が気になってふと横を見た。
さぞ苦々しい顔をしているだろう。と思いきや、
意外にも師匠はその男を愛おしそうに笑みを含みつ眺めていた。

「蝶六、あいつの名前は?
…ほうか、うちの一門にも生きのええのが入ってきたな。
若いうちはあれぐらいの元気がなかったらあかん」
私は思った。もしあれが我が弟子の姿だったら
師匠は烈火のごとく怒っていたに違いない。
他人の弟子だからそういうことが言えるのだと。

ともあれ、この時のこの泥酔事件での師の眼差しと表情は
今も私の脳裏に深く刻み込まれている。

「そんな阿呆なことばっかり言うてんねやないで。相変わらず面白い男や」
落語に登場する阿呆者は絶えず町内のご隠居にこう突っ込まれるが、
この何でもない一言に彼に対する気持ちが強く込められている。
「ええ加減にせんかい」と突き離しているように見える
言葉の裏にある深い慈愛。
私が見たその時の師匠の表情はこの眼差しと全く同じだった。

「笑いの構造・感情分析の試み」(著・梅原猛、角川選書)にこんな一文。

「戦後の日本人を戦前から区別する一つの特性は、怒りの有無であろう。
かつて怒りは明らかに悪であった。
日本人は欲望がかなえられないとき、その原因を自分の責任にすることも、
他人に帰することもしなかった。むしろそれをしかたのないもの、
運命的なものとして諦めることを精神的美徳としたわけであるが、
ここでは罪と怒りの代わりに、悲しみの感情が支配的であった。
すべてはしかたがない、ドウニモナラナイ、悲しい、
これが日本人の運命に耐える知恵だった。
しかし、戦後この知恵は悪徳となった。
欲望の満たされぬ原因はすべて他人と社会にあった。
ここで怒りは感情の世界における市民権を回復したばかりか、
社会改革の原動力をなす最も重要な感情となったのである」。

故・春蝶は昭和16年の生まれだから終戦時は4歳。
師は幼少期から咄家になって売れるまで決して裕福な暮らしではなかった。

私が入門した頃の師は毎日のようにテレビやラジオで時事放談を語っていたが、
世の中をはすかいに見たその分析は多くの信奉者を生んだ。
怒りをそのままぶつけるのではなく
笑いというオブラートに包んで放つ師の姿がそこにあった。
晩年には大学で国際政治学を専門に学んだり、
さらに上を目指していた。
また、当時万年最下位と言われた阪神タイガースをこよなく愛していたこと、
弱きを助け強きをくじく任侠映画にはまっていったこと、
冒頭に紹介した泥酔した先輩に寄せた眼差し……
これらの動向の全てが師の落語に反映されていた。

落語は単に人の愚かを笑うこともあれば、
毒をもって世の中の理不尽や不正義を笑いのうちに揶揄することもある。
言うまでもないが、
怒りをそのままストレートに表現したのでは
決して笑いというものは生まれない。
怒りを肚に持ちつつも
それを呆れとか困りといった表現に転化してこそ笑いになる。

同時に、笑いは演者とお客の共感の産物である。
つまり、人を笑わせるということは
その咄の底辺に流れる思想に
お客を同調させるということになる。
笑うことは楽しく気持ちのいいことであるが
実はそんな怖い一面もあるのだ。
苛めて笑う。悪口を楽しむ。これらのことを見れば明らかであろう。
落語会の居心地は
演者の思想や考え方に左右されるということを我々は心しなければならない。

さて、これを書いている本日は1月4日。
師匠の命日である。師匠がこれを読んだらどう思うであろうか。
「何にも分かってないくせに、
お前はホンマに相変わらずのおっちょこちょいやなあ」。
そう言って慈愛の眼差しを向けてくれるだろうか。(了)

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蝶六改メ三代目桂花團治

Author:蝶六改メ三代目桂花團治
落語家・蝶六改め、三代目桂花團治です。「ホームページ「桂花團治~蝶のはなみち~」も併せてご覧ください。

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