259.最後の贈り物~笑いと、涙と、あの人と~
今年の3月、師匠の奥さんが亡くなった。
コロナ禍ということもあり、密を避け家族葬で見送ることになったが、
親族や弟子の他に、奥さんとごく親しい友人二人も駆けつけておられた。
このお二方の女性は芸界にも通じていて、
師匠とも番組はじめ公私にわたって交流のあった方々だ。
ぼく自身も若い頃、ずいぶんとお世話になった。
仕事を世話してもらったり、たまにはお小言やアドバイスをもらうことも。
ところが、その頃のぼくは糞生意気なガキで、
木で鼻をくくったような態度で接したこともしばしば。
師匠亡きあとはお会いすることもなく、
交流が途絶えてから30年近く経っていた。
そんなこともあって、葬儀会場でお二人の姿を見かけたとき、
ぼくはバツが悪く思わず身構えてしまった。
けれども限られた人しかいない会場で知らぬ顔もできまい。
意を決してぼくは声を掛けた。
「大変ご無沙汰をしています。あの…蝶六です」
「あぁアンタ、今、花團治さんやろ?…聞いてるでぇ!アンタよう頑張ってるなぁ」
まるでついこの間、一緒に酒を酌み交わした仲間のように話しかけてくれた。
勝手にわだかまりを抱いていた自分が恥ずかしかった。

師匠の奥さんの葬儀会場にて、師匠の息子の現・春蝶くんと。
以前、ぼくはこのコラムで
「弟子の決断・師匠の覚悟」というタイトルで書いたことがある。
弟子は「この人を師匠にしよう」と決断してこの世界に入ってくるが、
師匠は「これも役目」と覚悟して弟子を受け入れる。
どこの誰ともわからない男を住み込みの弟子として迎えるということは、
誰よりも奥さんが多くの苦労を強いられる。
師匠もさることながら奥さんの我慢によって
ぼくは落語家を辞めずにいられたという内容だった。

先代春蝶のご家族と共に(後列一番右が筆者)
今もその思いは変わらない。
ぼくが師匠を怒らせてしまったとき、
いつも間に入ってくれるのは奥さんだったし、その逆もあった。
それが元で夫婦喧嘩に発展することもあった。
済んだことを後に引きずらないのは師匠の性格だが、
奥さんもそれに輪をかけたようなところがあって常に天真爛漫な人だった。
「ぼくはあの奥さんやなかったら、落語家を続けられてなかったと思います」
すると、横にいたくだんの女性が
「ホンマやな。子どもみたいに無邪気なところがある人やったから、
アンタも我慢したり苦労もあったやろけど、あの奥さんでホンマ良かったなぁ」

昨年の二代目春蝶生誕祭にて(左から春蝶、一蝶、花團治)
喪主であり師匠の長男でもある春蝶くんも加わり、
奥さん(彼にとっては母親)の想い出話をしていると、
葬儀会場というのにもう笑いが止まらなくなった。
ここには書けないような奇想天外なエピソードの数々。
すべてに「奥さんらしさ」が溢れていた。
その時、ぼくのもとに小走りに寄ってきた女性がいた。
すぐには誰だかわからなかった。
「わたし、分かります?恵子です」
ぼくが入門したとき、彼女は幼稚園児だった。
「…あぁ恵子ちゃんかぁ。すっかり大人やなぁ」
「何を言ってるんですか?私、もう35ですよ」
彼女のことは春蝶くんからも聞いていた。
「妹、今すごいんですよ。めちゃくちゃ仕事ができてエライ出世ですわ」
見違えるほど魅力ある女性に育った彼女を前に
ぼくはなんだか浦島太郎のような気分にさせられた。
お経の後にお坊さんの話があった。

茨木市にある先代春蝶のお墓
「葬儀はお別れの場ですが、
疎遠になっていた人が再会する場でもあります。
お亡くなりになった方からの最後の贈り物かも知れませんね」
ぼくは大きく頷くしかなかった。
ひょっとしてお坊さんはぼくらのやり取りを聞いていたのかもしれない。
ひとしきり笑った後、出棺であまりにも軽い棺を担ぐと、途端に涙が溢れてきた。
今頃、師匠と奥さんは
「蝶六さんは相変わらずドンくさいなぁ。どないかならんやろか」などと、
苦笑まじりで語っているに違いない。
師匠、奥さん、ホンマにありがとうございます。
おかげでなんとか落語家やってます。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

「花菱の会」の詳細はこちらをクリック!
◆花團治公式サイトはこちらをクリック!
コロナ禍ということもあり、密を避け家族葬で見送ることになったが、
親族や弟子の他に、奥さんとごく親しい友人二人も駆けつけておられた。
このお二方の女性は芸界にも通じていて、
師匠とも番組はじめ公私にわたって交流のあった方々だ。
ぼく自身も若い頃、ずいぶんとお世話になった。
仕事を世話してもらったり、たまにはお小言やアドバイスをもらうことも。
ところが、その頃のぼくは糞生意気なガキで、
木で鼻をくくったような態度で接したこともしばしば。
師匠亡きあとはお会いすることもなく、
交流が途絶えてから30年近く経っていた。
そんなこともあって、葬儀会場でお二人の姿を見かけたとき、
ぼくはバツが悪く思わず身構えてしまった。
けれども限られた人しかいない会場で知らぬ顔もできまい。
意を決してぼくは声を掛けた。
「大変ご無沙汰をしています。あの…蝶六です」
「あぁアンタ、今、花團治さんやろ?…聞いてるでぇ!アンタよう頑張ってるなぁ」
まるでついこの間、一緒に酒を酌み交わした仲間のように話しかけてくれた。
勝手にわだかまりを抱いていた自分が恥ずかしかった。

師匠の奥さんの葬儀会場にて、師匠の息子の現・春蝶くんと。
以前、ぼくはこのコラムで
「弟子の決断・師匠の覚悟」というタイトルで書いたことがある。
弟子は「この人を師匠にしよう」と決断してこの世界に入ってくるが、
師匠は「これも役目」と覚悟して弟子を受け入れる。
どこの誰ともわからない男を住み込みの弟子として迎えるということは、
誰よりも奥さんが多くの苦労を強いられる。
師匠もさることながら奥さんの我慢によって
ぼくは落語家を辞めずにいられたという内容だった。

先代春蝶のご家族と共に(後列一番右が筆者)
今もその思いは変わらない。
ぼくが師匠を怒らせてしまったとき、
いつも間に入ってくれるのは奥さんだったし、その逆もあった。
それが元で夫婦喧嘩に発展することもあった。
済んだことを後に引きずらないのは師匠の性格だが、
奥さんもそれに輪をかけたようなところがあって常に天真爛漫な人だった。
「ぼくはあの奥さんやなかったら、落語家を続けられてなかったと思います」
すると、横にいたくだんの女性が
「ホンマやな。子どもみたいに無邪気なところがある人やったから、
アンタも我慢したり苦労もあったやろけど、あの奥さんでホンマ良かったなぁ」

昨年の二代目春蝶生誕祭にて(左から春蝶、一蝶、花團治)
喪主であり師匠の長男でもある春蝶くんも加わり、
奥さん(彼にとっては母親)の想い出話をしていると、
葬儀会場というのにもう笑いが止まらなくなった。
ここには書けないような奇想天外なエピソードの数々。
すべてに「奥さんらしさ」が溢れていた。
その時、ぼくのもとに小走りに寄ってきた女性がいた。
すぐには誰だかわからなかった。
「わたし、分かります?恵子です」
ぼくが入門したとき、彼女は幼稚園児だった。
「…あぁ恵子ちゃんかぁ。すっかり大人やなぁ」
「何を言ってるんですか?私、もう35ですよ」
彼女のことは春蝶くんからも聞いていた。
「妹、今すごいんですよ。めちゃくちゃ仕事ができてエライ出世ですわ」
見違えるほど魅力ある女性に育った彼女を前に
ぼくはなんだか浦島太郎のような気分にさせられた。
お経の後にお坊さんの話があった。

茨木市にある先代春蝶のお墓
「葬儀はお別れの場ですが、
疎遠になっていた人が再会する場でもあります。
お亡くなりになった方からの最後の贈り物かも知れませんね」
ぼくは大きく頷くしかなかった。
ひょっとしてお坊さんはぼくらのやり取りを聞いていたのかもしれない。
ひとしきり笑った後、出棺であまりにも軽い棺を担ぐと、途端に涙が溢れてきた。
今頃、師匠と奥さんは
「蝶六さんは相変わらずドンくさいなぁ。どないかならんやろか」などと、
苦笑まじりで語っているに違いない。
師匠、奥さん、ホンマにありがとうございます。
おかげでなんとか落語家やってます。
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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