267.40年目の赤っ恥~落語のなかの人権問題~
「感激したわぁ!ほんま来てよかったわ」
終演後、お客様の見送りをしていると
一人の妙齢の女性が駆け寄ってきて熱く感想を語ってくれた。
芸歴40年を迎えたばかりだが、
これほど褒められたのは初めてかもしれない。
とはいえ、それは落語そのものではなく、
その後に話した内容についての賛辞だった。

芸歴40年&還暦記念独演会で話す筆者(撮影:坂東剛志)
「世の中のあらゆる作品に
作者や演じ手の考え方や思想が反映される。
表現物というのはすべからくプロパガンダである」
ということはこれまでにもあちらこちらで語ってきた。
その日は「大阪空襲訴訟」に関する集まりで、
自作の創作落語「防空壕」を演じたあと、戦時下におけるプロパガンダについて話し、
それに付随して「仔猫」という落語におけるぼくなりの見解について説明したのだった。

「仔猫」は大阪船場の商家が舞台。
奉公人は店に住み込みで働くといった時代背景である。
新しく雇い入れたおなべは小まめによく働く女性で、店の誰からも気に入られていた。
しかし、彼女には少し妙なところがあった。
皆が寝静まると夜な夜な店を抜け出していなくなるのだ。
そこで不審に思った旦那と番頭がおなべの留守中に
彼女の持ち物を調べようということになり、
葛を開けると中には血まみれになった大量の猫の毛皮。
このことを問い質す番頭に彼女は「ここに置いてほしい」と懇願しつつ、
その理由について告白し始めた。
「わたしの父さんは百姓片手の山猟師。
生き物の命を取るのは悪いことじゃと
再々意見はしたが聞いてはくれず、
親の因果が子に報い、
七つの歳に飼い猫が足を噛まれて戻ったを、舐めてやったが始まりで、
それから猫の生血の味を覚え、
他人様の猫とみれば矢も楯もたまらず取って食らうがわしの病。
あれは鬼娘じゃと噂され、大阪へ奉公すれば治るかと出てはきたが、
因果なもんじゃ。昼の間は何事もないが夜になると心が狂い、
仔猫を捕らえて喉笛へ。
…生暖かい猫の血が喉を過ぎれば我が身に返り、
あぁまたやくたい(くだらないこと)をしてしまったと悔やんでも後の祭り。
…わしは村へはよう帰らん。どうぞここへ置いておくれ」
それを聞いた番頭が、
「昼間はあんなに大人しいのに、そんな恐ろしいことしてるとは
……あぁ、猫をかぶってたんや」
さて、ぼくが問題にしたのはおなべの独白の部分。
これは明らかにケガレ信仰を反映し、猟師やその代々をも否定している。
人間にとって大切な食糧を調達するという、尊い役目にも関わらず、
山猟師を忌み嫌われる存在としたまま咄を終わらせている。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高らかに人間の尊厳と平等をうたいあげて、
1922年3月3日に「全国水平社」が創立。その「全国水平社」創立50周年を記念し、
奈良県御所市の住宅街の一角に記念碑が建立されました。
実は、ぼく自身このことに気づかされたのはつい最近のことである。
ぼくの稽古を隣の部屋で聴いていた嫁さんからの指摘だった。
なんでもっと早く気がつかなかったのだろう。
ぼく自身が差別を助長しているようなものではないか」
芸歴40年にして大きな気づきであり赤っ恥だった。
ぼくはずっと垂れ流しにしてきたのだ。
冒頭の女性は興奮気味にこうおっしゃった。
「このことをよく理解されていると感じた落語家さんは過去に一人だけでした。
今日ようやく二人目に出会いました。これからは花團治さんも応援させてもらいます」

奈良県御所市にある「水平社博物館」
古典落語はその時代の価値観を反映している。
それをそのまま演じてしまうと今の時代感覚とずれてしまうのは当然だ。
「古典だから仕方ない」という意見もあるが、
はたしてその箇所を言いっぱなしにしておいてよいものか。
ぼくはおなべの独白のあと、
番頭に「それは間違った考えである」という台詞を言わせるようにしたが、
この演り方で納得しているわけではない。
これからも演じる作品をひとつひとつ見直しながら手直ししていこうと思う。
還暦になって初めての元旦、まっさらになったつもりでの再出発だ。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
※こちらも人権問題について書いてます。ぜひ下記のURLを押してごらんください ↓ ↓ ↓
◆泣いた赤鬼~アイツはよそ者やと彼らが言った理由~


◆花團治公式サイトはここをクリック!
◆花團治・大学研究紀要はここをクリック!
終演後、お客様の見送りをしていると
一人の妙齢の女性が駆け寄ってきて熱く感想を語ってくれた。
芸歴40年を迎えたばかりだが、
これほど褒められたのは初めてかもしれない。
とはいえ、それは落語そのものではなく、
その後に話した内容についての賛辞だった。

芸歴40年&還暦記念独演会で話す筆者(撮影:坂東剛志)
「世の中のあらゆる作品に
作者や演じ手の考え方や思想が反映される。
表現物というのはすべからくプロパガンダである」
ということはこれまでにもあちらこちらで語ってきた。
その日は「大阪空襲訴訟」に関する集まりで、
自作の創作落語「防空壕」を演じたあと、戦時下におけるプロパガンダについて話し、
それに付随して「仔猫」という落語におけるぼくなりの見解について説明したのだった。

「仔猫」は大阪船場の商家が舞台。
奉公人は店に住み込みで働くといった時代背景である。
新しく雇い入れたおなべは小まめによく働く女性で、店の誰からも気に入られていた。
しかし、彼女には少し妙なところがあった。
皆が寝静まると夜な夜な店を抜け出していなくなるのだ。
そこで不審に思った旦那と番頭がおなべの留守中に
彼女の持ち物を調べようということになり、
葛を開けると中には血まみれになった大量の猫の毛皮。
このことを問い質す番頭に彼女は「ここに置いてほしい」と懇願しつつ、
その理由について告白し始めた。
「わたしの父さんは百姓片手の山猟師。
生き物の命を取るのは悪いことじゃと
再々意見はしたが聞いてはくれず、
親の因果が子に報い、
七つの歳に飼い猫が足を噛まれて戻ったを、舐めてやったが始まりで、
それから猫の生血の味を覚え、
他人様の猫とみれば矢も楯もたまらず取って食らうがわしの病。
あれは鬼娘じゃと噂され、大阪へ奉公すれば治るかと出てはきたが、
因果なもんじゃ。昼の間は何事もないが夜になると心が狂い、
仔猫を捕らえて喉笛へ。
…生暖かい猫の血が喉を過ぎれば我が身に返り、
あぁまたやくたい(くだらないこと)をしてしまったと悔やんでも後の祭り。
…わしは村へはよう帰らん。どうぞここへ置いておくれ」
それを聞いた番頭が、
「昼間はあんなに大人しいのに、そんな恐ろしいことしてるとは
……あぁ、猫をかぶってたんや」
さて、ぼくが問題にしたのはおなべの独白の部分。
これは明らかにケガレ信仰を反映し、猟師やその代々をも否定している。
人間にとって大切な食糧を調達するという、尊い役目にも関わらず、
山猟師を忌み嫌われる存在としたまま咄を終わらせている。

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と高らかに人間の尊厳と平等をうたいあげて、
1922年3月3日に「全国水平社」が創立。その「全国水平社」創立50周年を記念し、
奈良県御所市の住宅街の一角に記念碑が建立されました。
実は、ぼく自身このことに気づかされたのはつい最近のことである。
ぼくの稽古を隣の部屋で聴いていた嫁さんからの指摘だった。
なんでもっと早く気がつかなかったのだろう。
ぼく自身が差別を助長しているようなものではないか」
芸歴40年にして大きな気づきであり赤っ恥だった。
ぼくはずっと垂れ流しにしてきたのだ。
冒頭の女性は興奮気味にこうおっしゃった。
「このことをよく理解されていると感じた落語家さんは過去に一人だけでした。
今日ようやく二人目に出会いました。これからは花團治さんも応援させてもらいます」

奈良県御所市にある「水平社博物館」
古典落語はその時代の価値観を反映している。
それをそのまま演じてしまうと今の時代感覚とずれてしまうのは当然だ。
「古典だから仕方ない」という意見もあるが、
はたしてその箇所を言いっぱなしにしておいてよいものか。
ぼくはおなべの独白のあと、
番頭に「それは間違った考えである」という台詞を言わせるようにしたが、
この演り方で納得しているわけではない。
これからも演じる作品をひとつひとつ見直しながら手直ししていこうと思う。
還暦になって初めての元旦、まっさらになったつもりでの再出発だ。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
※こちらも人権問題について書いてます。ぜひ下記のURLを押してごらんください ↓ ↓ ↓
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