269.公共の授業~論破で未来は創れない~
ぼくの夜間高校での落語の授業は、
ぼくの実演の後のディスカッションに
重きを置いている。
落語の内容の背景にある価値観や文化など
テーマはいくらでもある。
井戸端会議のノリで終わるときもあれば、
喧々諤々の意見が飛び交うこともある。
ぼくの履く雪駄から、日本の摺り足、
西洋のバレエにまで話が及んだことも。
芸能のルーツから祝祷芸、八百万の神へと話が広がったときは、
キリスト教信者の生徒の一人が
「神様は一人だから先生の言うことはおかしい」と主張し始めた。
これはこれで宗教観の違いが浮き彫りとなり、
次の授業では「祝詞」と「誓いの言葉」を比較した。
落語のなかの価値観や単語が差別的だとして
やり玉に挙げられることもあるが、
「“古典落語だから仕方がない”
という言い訳だけは絶対にしない」
というルールを自分に課している。
間違っていようがいまいが、
意見を自由に出し合う場を大切にしたいからだ。

実はずいぶん前、ぼくはたいそう落語好きの教員と組んで
落語の授業をしていたことがあった。
その教員は自分の美学や考えを決して曲げないところがあり、
それはそれで結構なのだが、
相手が自分の考えと違えば折伏しようとする癖があった。
議論で相手を打ち負かし、
したり顔でほくそ笑むさまはあまりいいものではなかった。
相手の生徒も納得したわけではない。
反論するのが面倒になったというのが本音だろう。
ぼくはといえば、「議論に打ち負け、恥をかくのは嫌だ」という狭い了見から、
何も言えずに黙ってしまった。

筆者:桂花團治(撮影:坂東剛志)
この時に感じた情けなさが、
ぼくがディスカッションを大切にしたいと考えるきっかけになった。
とはいえ、意見を出し合う授業というものは“言うは易く、行うは難し”。
どうしても説得・論破をしたくなる。
だから、旧知の近畿大学教授・中谷常二先生から
「討議事例から考える公共の授業」(清水書院)を見せられたときには心底驚いた。
ぼくはこういう教えを探していた。

聞けば、昨年から「公共」という科目が高校の授業に加わったのだという
(「社会科」が30年近く前に消えていたのも知らなかった)。
「公共の授業」とは、文科省が発表した学習指導要領をぼくなりに解釈すれば、
世の中のいろんな問題を
皆で「ああでもない」「こうでもない」と意見を出し合いながら「探求」を深め、
その過程で「倫理」「政治・経済」についても学んでいくというものだ。
中谷教授の専門はコンプライアンスやリスクマネジメントで、
ずいぶん前から他の教授や中高の教諭と共に
公務員倫理を研究する勉強会を立ち上げていた。
そんな折、この会が取り組んでいるテーマと
同様の科目が新設されることを知り、刊行に至ったのだという。
いわば「公共の授業」の教材となる本だ。
ここで扱う事例は、高校生が日常生活で直面するジレンマや、
馴染みのある現代社会の課題ばかり。
例えば、
「文化祭で全員参加の演劇をすることになったが、
役割ごとに準備することが山ほどあり、
ホームルームだけでは時間が足りなくなった。
そこでクラス全員がスムーズに連絡を取り合う方法として
SNSを使うという案が出た。
しかし、クラスにはスマホを持たない生徒が二人いる。
授業のあとにクラス全員が集まって10分間の打ち合わせを行うという案も出たが、
時間の無駄が生じるなど反対意見が多数出た。さて、どうする?」
というところから様々な意見を交わしつつ倫理学を学んでいく。

筆者と中谷教授(向かって右)
◆「近畿大学経営学部・中谷常二の研究室」はここをクリック!
最近、論破王「ひろゆき」さんが賞賛されているが、
ぼくはどうも好きになれない。
でも、「公共」という科目が少しは違う方向に持っていてくれるかもしれない。
違和感を抱きながらも口をつむっていた、
ぼくのような小心者も少しはモノが言えるようになるかもしれない。
世の中の大半に正解など存在しない。
…あぁ、ぼくもこんな授業を受けたかった。
そんな思いで、今、この「公共の授業」という一冊を貪るように読んでいる。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

◆「春団治まつり」の詳細はここをクリック!
◆「花團治公式サイト」はここをクリック!
ぼくの実演の後のディスカッションに
重きを置いている。
落語の内容の背景にある価値観や文化など
テーマはいくらでもある。
井戸端会議のノリで終わるときもあれば、
喧々諤々の意見が飛び交うこともある。
ぼくの履く雪駄から、日本の摺り足、
西洋のバレエにまで話が及んだことも。
芸能のルーツから祝祷芸、八百万の神へと話が広がったときは、
キリスト教信者の生徒の一人が
「神様は一人だから先生の言うことはおかしい」と主張し始めた。
これはこれで宗教観の違いが浮き彫りとなり、
次の授業では「祝詞」と「誓いの言葉」を比較した。
落語のなかの価値観や単語が差別的だとして
やり玉に挙げられることもあるが、
「“古典落語だから仕方がない”
という言い訳だけは絶対にしない」
というルールを自分に課している。
間違っていようがいまいが、
意見を自由に出し合う場を大切にしたいからだ。

実はずいぶん前、ぼくはたいそう落語好きの教員と組んで
落語の授業をしていたことがあった。
その教員は自分の美学や考えを決して曲げないところがあり、
それはそれで結構なのだが、
相手が自分の考えと違えば折伏しようとする癖があった。
議論で相手を打ち負かし、
したり顔でほくそ笑むさまはあまりいいものではなかった。
相手の生徒も納得したわけではない。
反論するのが面倒になったというのが本音だろう。
ぼくはといえば、「議論に打ち負け、恥をかくのは嫌だ」という狭い了見から、
何も言えずに黙ってしまった。

筆者:桂花團治(撮影:坂東剛志)
この時に感じた情けなさが、
ぼくがディスカッションを大切にしたいと考えるきっかけになった。
とはいえ、意見を出し合う授業というものは“言うは易く、行うは難し”。
どうしても説得・論破をしたくなる。
だから、旧知の近畿大学教授・中谷常二先生から
「討議事例から考える公共の授業」(清水書院)を見せられたときには心底驚いた。
ぼくはこういう教えを探していた。

聞けば、昨年から「公共」という科目が高校の授業に加わったのだという
(「社会科」が30年近く前に消えていたのも知らなかった)。
「公共の授業」とは、文科省が発表した学習指導要領をぼくなりに解釈すれば、
世の中のいろんな問題を
皆で「ああでもない」「こうでもない」と意見を出し合いながら「探求」を深め、
その過程で「倫理」「政治・経済」についても学んでいくというものだ。
中谷教授の専門はコンプライアンスやリスクマネジメントで、
ずいぶん前から他の教授や中高の教諭と共に
公務員倫理を研究する勉強会を立ち上げていた。
そんな折、この会が取り組んでいるテーマと
同様の科目が新設されることを知り、刊行に至ったのだという。
いわば「公共の授業」の教材となる本だ。
ここで扱う事例は、高校生が日常生活で直面するジレンマや、
馴染みのある現代社会の課題ばかり。
例えば、
「文化祭で全員参加の演劇をすることになったが、
役割ごとに準備することが山ほどあり、
ホームルームだけでは時間が足りなくなった。
そこでクラス全員がスムーズに連絡を取り合う方法として
SNSを使うという案が出た。
しかし、クラスにはスマホを持たない生徒が二人いる。
授業のあとにクラス全員が集まって10分間の打ち合わせを行うという案も出たが、
時間の無駄が生じるなど反対意見が多数出た。さて、どうする?」
というところから様々な意見を交わしつつ倫理学を学んでいく。

筆者と中谷教授(向かって右)
◆「近畿大学経営学部・中谷常二の研究室」はここをクリック!
最近、論破王「ひろゆき」さんが賞賛されているが、
ぼくはどうも好きになれない。
でも、「公共」という科目が少しは違う方向に持っていてくれるかもしれない。
違和感を抱きながらも口をつむっていた、
ぼくのような小心者も少しはモノが言えるようになるかもしれない。
世の中の大半に正解など存在しない。
…あぁ、ぼくもこんな授業を受けたかった。
そんな思いで、今、この「公共の授業」という一冊を貪るように読んでいる。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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