272.黒歴史という財産~”弱さ”は身を助ける~
もし、ぼくが吃音じゃなかったら、きっと落語家になっていなかったし、
教壇にも立っていなかった。
吃音になる要因はまだ解明されていないらしいが、
幼児期に大きなストレスを体験するとか、
左利きを右利きに強制されたことが引き金になることがあるという。
3歳の頃に実母を亡くし、もともと左利きだったぼくはその両方に当てはまる。
それにぼくはひどいチックで、今も高座に上がって座布団の上でお辞儀をしながら、
お客にわからないように顔をしかめるのがぼくのルーティンワークになっている。
チックは注意欠陥や多動性障害と合併することが多いらしいが、
これもぼくは見事に当てはまっていた。小学生の頃の通信簿には
「落ち着いて行動しましょう」「自分勝手な行動はさけるように」という
担任からの文言が並んでいる。
今でも忘れられないのは、終礼の時間のこと。
日直の「起立!」という号令と共に全員が立つのだが、
その声が聞こえているにも関わらず、ぼくは座ったままずっと外の景色を眺めていた。
級友の「森くん(ぼくの本名)がまだ座っています」という言葉に、
担任がこう言い放った。
「放っておきなさい。
この子は普通の子やないから」
このことを機にぼくに対するイジメはひどくなった。
いわば先生公認のいじめられっ子になったのだ。
ちょうどその頃、クラスでお楽しみ会という芸能発表会が催された。
「気の合う者同士」で4・5名のグループを作りなさいという担任の指示のもと、
皆がそれぞれに組を作りだした。
しかし、いじめられっ子のぼくを入れてくれる友人などなく、一人取り残されたと思った。
が、その時ぼくと同じような境遇の男子が目に入った。
ぼくは彼と二人で漫才をすることになった。
吃音のぼくは口の周りが形状記憶になるぐらい稽古した。
本番の様子などまるで記憶にないが、よくウケたことだけははっきり覚えている。
ただ笑われてばかりの存在が、笑わせることを覚えた瞬間だった。
以来、ぼくは芸人に憧れるようになった。

毎日新聞(2020年2月3日)
落語を知ったのは高校生になってからだが、
この時に抱いた思いが今もぼくの土台となっている。
落語は愚か者を受け入れるばかりでなく、コミュニティーの中心に置く。
「しゃあないやっちゃなぁ」
「相も変わらずオモロイやっちゃ」
落語のなかのそんな台詞は全てぼくへの祝福だった。
ぼくは落語の世界に居場所を見つけた。

落語に居場所を見つけた高校生時代(向かって、左から二番目が筆者)
先日、ぼくはとある吃音教室の特別イベントで講演する機会を頂いた。
熱心な聴衆のおかげでおおいに盛り上がり、
講演後には急きょ懇親会の場が設けられた。

酒を酌み交わしながらそれぞれの話は尽きず、
「ドモリもけっこう喋るんですよ」
には思わず笑ってしまったが、
感心させられたのはお互いに次の言葉をちゃんと待っていることだ。
他の座なら一人が詰まった時、
他の誰かが言葉を被せるように割って入ることが多々見らるが、
吃音の集いは聴き上手の集まりでもあった。
それに何より嬉しかったのが、
竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」や岩井寛「森田療法」といった本が
ここでは皆の共通言語だったこと。
どちらもぼくが発語に悩みながら夢中になって読みふけったもの。
竹内は幼児の時に耳を病み、言葉を満足に発することができなかったが、
後には演劇の世界で演出家として名を成し、
「竹内メソッド」と呼ばれる演劇バイブルを遺している。
岩井は「あるがまま」に代表されるメンタル・ヘルスの実践法を世に広めた。
思わずぼくも饒舌な一夜となった。

これらの本が吃音教室の懇親会で話題にのぼった
もし、ぼくが小学生の頃、皆とフツーにつるんでいたら
落語の優しさを前に素通りしていただろうし、落語家になろうと思わなかったろう。
大学や専門学校、夜間高校といった教育機関に立つようになってかれこれ25年以上経つが、
もしぼくに発語の悩みがなければ、今のカリキュラムは成り立たなかっただろう。
あの頃の黒歴史がぼくにとって誇りであり原動力になっている。
最強のブラックカードである。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

◆「花團治・文都ふたり会」の詳細はこちらをクリック!
◆花團治公式サイトはこちらをクリック!
桂花團治の研究紀要は下記をクリック ↓ ↓ ↓
◆大阪青山大学学術情報リポジトリ
教壇にも立っていなかった。
吃音になる要因はまだ解明されていないらしいが、
幼児期に大きなストレスを体験するとか、
左利きを右利きに強制されたことが引き金になることがあるという。
3歳の頃に実母を亡くし、もともと左利きだったぼくはその両方に当てはまる。
それにぼくはひどいチックで、今も高座に上がって座布団の上でお辞儀をしながら、
お客にわからないように顔をしかめるのがぼくのルーティンワークになっている。
チックは注意欠陥や多動性障害と合併することが多いらしいが、
これもぼくは見事に当てはまっていた。小学生の頃の通信簿には
「落ち着いて行動しましょう」「自分勝手な行動はさけるように」という
担任からの文言が並んでいる。
今でも忘れられないのは、終礼の時間のこと。
日直の「起立!」という号令と共に全員が立つのだが、
その声が聞こえているにも関わらず、ぼくは座ったままずっと外の景色を眺めていた。
級友の「森くん(ぼくの本名)がまだ座っています」という言葉に、
担任がこう言い放った。
「放っておきなさい。
この子は普通の子やないから」
このことを機にぼくに対するイジメはひどくなった。
いわば先生公認のいじめられっ子になったのだ。
ちょうどその頃、クラスでお楽しみ会という芸能発表会が催された。
「気の合う者同士」で4・5名のグループを作りなさいという担任の指示のもと、
皆がそれぞれに組を作りだした。
しかし、いじめられっ子のぼくを入れてくれる友人などなく、一人取り残されたと思った。
が、その時ぼくと同じような境遇の男子が目に入った。
ぼくは彼と二人で漫才をすることになった。
吃音のぼくは口の周りが形状記憶になるぐらい稽古した。
本番の様子などまるで記憶にないが、よくウケたことだけははっきり覚えている。
ただ笑われてばかりの存在が、笑わせることを覚えた瞬間だった。
以来、ぼくは芸人に憧れるようになった。

毎日新聞(2020年2月3日)
落語を知ったのは高校生になってからだが、
この時に抱いた思いが今もぼくの土台となっている。
落語は愚か者を受け入れるばかりでなく、コミュニティーの中心に置く。
「しゃあないやっちゃなぁ」
「相も変わらずオモロイやっちゃ」
落語のなかのそんな台詞は全てぼくへの祝福だった。
ぼくは落語の世界に居場所を見つけた。

落語に居場所を見つけた高校生時代(向かって、左から二番目が筆者)
先日、ぼくはとある吃音教室の特別イベントで講演する機会を頂いた。
熱心な聴衆のおかげでおおいに盛り上がり、
講演後には急きょ懇親会の場が設けられた。

酒を酌み交わしながらそれぞれの話は尽きず、
「ドモリもけっこう喋るんですよ」
には思わず笑ってしまったが、
感心させられたのはお互いに次の言葉をちゃんと待っていることだ。
他の座なら一人が詰まった時、
他の誰かが言葉を被せるように割って入ることが多々見らるが、
吃音の集いは聴き上手の集まりでもあった。
それに何より嬉しかったのが、
竹内敏晴「ことばが劈(ひら)かれるとき」や岩井寛「森田療法」といった本が
ここでは皆の共通言語だったこと。
どちらもぼくが発語に悩みながら夢中になって読みふけったもの。
竹内は幼児の時に耳を病み、言葉を満足に発することができなかったが、
後には演劇の世界で演出家として名を成し、
「竹内メソッド」と呼ばれる演劇バイブルを遺している。
岩井は「あるがまま」に代表されるメンタル・ヘルスの実践法を世に広めた。
思わずぼくも饒舌な一夜となった。

これらの本が吃音教室の懇親会で話題にのぼった
もし、ぼくが小学生の頃、皆とフツーにつるんでいたら
落語の優しさを前に素通りしていただろうし、落語家になろうと思わなかったろう。
大学や専門学校、夜間高校といった教育機関に立つようになってかれこれ25年以上経つが、
もしぼくに発語の悩みがなければ、今のカリキュラムは成り立たなかっただろう。
あの頃の黒歴史がぼくにとって誇りであり原動力になっている。
最強のブラックカードである。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。

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