273.ダルマの伝言~市民はいつも知らされない~
大阪大空襲 - 2023年07月22日 (土)
明日にでもウクライナのサポリージャ原発が
攻撃されるというニュースが飛び交っている。
すでに周辺住民は避難を始めているというが、
管理する職員など役目上残っている者もいる。
今、どのような心境でそこにいるのだろうか。

大阪大空襲(ピースおおさか)
ぼくの父方の祖父は、父がまだ幼い頃に亡くなっている。
それも牢獄死だと聞いたのは、ぼくが小学校に上がって間もない頃だった。
戦時中、戦争反対の言論を唱えたとかで、アカと呼ばれ拷問に遭ったらしい。
これについての証拠は何も残されていないが、
何度も同じ話を父から聞かされたのでおそらくそうだったんだろう。
ぼくの名づけ親だという人も
憲兵にひどい目に遭わされたらしく両手両足がなかった。
眉毛が濃く一見強面のおじさんだったが、
言葉少なく目の奥はなんだか穏やかだった。
しかし、子どもというものはひどく残酷なもので、
ぼくはその男性のことを面と向かって「ダルマのおじさん」と呼んだ。
おじさんはそれに対して怒ることはなかったが、
少し寂しそうな笑みを浮かべていたことだけはうっすら覚えている。

筆者(撮影:坂東剛志)
先日、兵庫県保険医協会が主催した
「落語家&弁護士が語り継ぐ大阪空襲
〜空襲の悲劇、そして「防空法」とは…?」
という講演会が開かれた。
ぼくが創作落語「防空壕」を演じ、
大阪空襲訴訟に携わった弁護士・大前治先生が
スライドを用いながら「防空法」について語った。
「防空法」とは、
「空襲から逃げずに焼夷弾へ突撃することが国民の義務」とする法律。
当時、学童疎開は広く実施されていたものの、
一般的には疎開が認められていなかった。
今なら「なんと言われようとも
早々に地方に逃げるべきではなかったか」と言う人もあろうが、
そんな簡単な問題ではなかった。
物品の多くが配給制の時代、逃げた先で食糧を確保できるかどうか、
また何より「非国民」と後ろ指を指されるのは想像に安易かった。
あの頃、なぜ「防空法」という愚かな法律が制定されたのだろう。
それはもちろん戦争遂行者である当局の勝手な都合。
当局が最も危惧したのは反戦感情が盛り上がることだった。
戦争を継続するためにもこれだけはどうしても食い止めねばならない。
それに疎開を認めると、都市部で軍需生産にあたる労働人口が流出してしまう。
だから、躍起になって町に住民を押しとどめた。
驚くべきは、昭和15年に政府が発行した冊子「防空の手引き」で
「焼夷弾は消火できない。落下と同時に発火爆発する」と書かれていたのが、
その翌年の冊子「時局防空必携」では「焼夷弾は簡単に消せる」とあり、
「焼夷弾はシャベルですくい出せ」
「水をかけて消せ」といった文言が続いている。
もちろん現実はそんなものではなく、
焼夷弾の投下によって一面火の海になったことは言うまでもない。

大前治先生(向かって右)とツーショット。
「防空法」について大前先生が詳しく書いておられます ↓ ↓ ↓
◆防空法についての詳しくはこちらをクリック!
80年前の日本では、国民の多くは
まさか自分が空襲に見舞われるなど思わなかった。
たとえ爆弾が落ちようともすぐに消せるぐらいに思っていた。
前述の冊子のような、当局による意図的な嘘の情報が流されていたからである。
一部の有識者はすでにそれを見抜いていたであろうが、
そのことを口にすればすぐに牢獄に連れていかれた。
SNSが発達した現在、あの頃とはずいぶん状況も違うだろうが、
今、ロシア国民はどう思っているのであろうか。
ロシア国内からもっと「戦争反対」の声を上げるべきという人もいるが、
今のロシアではなかなかそれがままならないのが現状だろう。
知人から聞いた話だが、
日本在住のロシア人が
「戦争反対なんて、
そんなこと怖くて口にできないよ」と言っていたという。
ロシアの今は当時の日本を再現しているかのよう。
しかし、しかしである。あんな悲惨な終結は絶対にあってはならない。
日本の大失敗に学んではもらえないものか。
……最近、あのダルマのおじさんが夢に現れるようになった。
やはりどこか寂し気である。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
戦争を伝える落語 第3弾
2023年9月9日 繁昌亭朝席 上演

◆花團治公式サイト・出演情報はここをクリック!
◆花團治公式サイトはここをクリック!
攻撃されるというニュースが飛び交っている。
すでに周辺住民は避難を始めているというが、
管理する職員など役目上残っている者もいる。
今、どのような心境でそこにいるのだろうか。

大阪大空襲(ピースおおさか)
ぼくの父方の祖父は、父がまだ幼い頃に亡くなっている。
それも牢獄死だと聞いたのは、ぼくが小学校に上がって間もない頃だった。
戦時中、戦争反対の言論を唱えたとかで、アカと呼ばれ拷問に遭ったらしい。
これについての証拠は何も残されていないが、
何度も同じ話を父から聞かされたのでおそらくそうだったんだろう。
ぼくの名づけ親だという人も
憲兵にひどい目に遭わされたらしく両手両足がなかった。
眉毛が濃く一見強面のおじさんだったが、
言葉少なく目の奥はなんだか穏やかだった。
しかし、子どもというものはひどく残酷なもので、
ぼくはその男性のことを面と向かって「ダルマのおじさん」と呼んだ。
おじさんはそれに対して怒ることはなかったが、
少し寂しそうな笑みを浮かべていたことだけはうっすら覚えている。

筆者(撮影:坂東剛志)
先日、兵庫県保険医協会が主催した
「落語家&弁護士が語り継ぐ大阪空襲
〜空襲の悲劇、そして「防空法」とは…?」
という講演会が開かれた。
ぼくが創作落語「防空壕」を演じ、
大阪空襲訴訟に携わった弁護士・大前治先生が
スライドを用いながら「防空法」について語った。
「防空法」とは、
「空襲から逃げずに焼夷弾へ突撃することが国民の義務」とする法律。
当時、学童疎開は広く実施されていたものの、
一般的には疎開が認められていなかった。
今なら「なんと言われようとも
早々に地方に逃げるべきではなかったか」と言う人もあろうが、
そんな簡単な問題ではなかった。
物品の多くが配給制の時代、逃げた先で食糧を確保できるかどうか、
また何より「非国民」と後ろ指を指されるのは想像に安易かった。
あの頃、なぜ「防空法」という愚かな法律が制定されたのだろう。
それはもちろん戦争遂行者である当局の勝手な都合。
当局が最も危惧したのは反戦感情が盛り上がることだった。
戦争を継続するためにもこれだけはどうしても食い止めねばならない。
それに疎開を認めると、都市部で軍需生産にあたる労働人口が流出してしまう。
だから、躍起になって町に住民を押しとどめた。
驚くべきは、昭和15年に政府が発行した冊子「防空の手引き」で
「焼夷弾は消火できない。落下と同時に発火爆発する」と書かれていたのが、
その翌年の冊子「時局防空必携」では「焼夷弾は簡単に消せる」とあり、
「焼夷弾はシャベルですくい出せ」
「水をかけて消せ」といった文言が続いている。
もちろん現実はそんなものではなく、
焼夷弾の投下によって一面火の海になったことは言うまでもない。

大前治先生(向かって右)とツーショット。
「防空法」について大前先生が詳しく書いておられます ↓ ↓ ↓
◆防空法についての詳しくはこちらをクリック!
80年前の日本では、国民の多くは
まさか自分が空襲に見舞われるなど思わなかった。
たとえ爆弾が落ちようともすぐに消せるぐらいに思っていた。
前述の冊子のような、当局による意図的な嘘の情報が流されていたからである。
一部の有識者はすでにそれを見抜いていたであろうが、
そのことを口にすればすぐに牢獄に連れていかれた。
SNSが発達した現在、あの頃とはずいぶん状況も違うだろうが、
今、ロシア国民はどう思っているのであろうか。
ロシア国内からもっと「戦争反対」の声を上げるべきという人もいるが、
今のロシアではなかなかそれがままならないのが現状だろう。
知人から聞いた話だが、
日本在住のロシア人が
「戦争反対なんて、
そんなこと怖くて口にできないよ」と言っていたという。
ロシアの今は当時の日本を再現しているかのよう。
しかし、しかしである。あんな悲惨な終結は絶対にあってはならない。
日本の大失敗に学んではもらえないものか。
……最近、あのダルマのおじさんが夢に現れるようになった。
やはりどこか寂し気である。(了)
※この原稿は、熊本の(株)リフティングブレーンが発行する
月刊「リフブレ通信」に連載中のコラム「落語の教え」のために書き下ろしたものです。
戦争を伝える落語 第3弾
2023年9月9日 繁昌亭朝席 上演

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